第22話 始まりへの一歩

「とっても速かったよ。今までで一番じゃないかな」

「ああ……そうかも、火事場の馬鹿力ってやつかな」

「周りの人も速かったね~、あの人たち相手に抜かされなかったのはすごいよ!」


 全員リレーが終わり、閉会式までの間に西条がとびきりの笑顔で話しかけてくれる。彼女の笑顔で改めて自分の努力が報われたことを思い出す。西条に続いて桐嶋も藤宮のもとに歩み寄ってきた。


 そう、自分は体育祭でクラスの足を引っ張らなかった。今までの彼からすれば誇るべきことだ。でもそれは一人で達成できたわけではない。努力が報われるか否かは、もしかしたら支えてくれる人がいるかいないかに依っているのかも知れない。一人で影ながらする努力だってもちろん賞賛に値すると思うが、結局一人では何も達成することができないのかも知れない。


「綾乃、ありがとう。本当に助かった、綾乃のおかげだよ」


 だからこそ感謝の気持ちを伝えないと……。


「私はちょっと手助けしただけだよ。うまくいったのは宏人君が頑張ったからだよ」

「ありがとう」


 西条は疲れ切った顔をしている藤宮を見つめる。相手をごぼう抜きしたわけではないし、アンカーを走って注目されたわけでもない。それでもがむしゃらに頑張る姿はかっこよく感じた。小説のことをいろいろ教えてくれた時には頼もしさを感じた。欲しいときに欲しい言葉をくれた。


 いつからだろうか――なぜか一緒にいると胸騒ぎがするようになった。


 運命のようなものではなかった。何がきっかけかと聞かれたらわからない。強いていうならこの体育祭だが、それ以前からずっといいなと思っていた。


 前まで普通に話せていたのに緊張することが多くなった。練習の時はまだ話すことがあるからよかったが、特に部活の時には今までになく緊張した。ずっとわからなかった、それの意味を。それは当然と言えば当然だった。なぜなら彼女は今までこの思いを経験したことがなかったのだから。


 ようやくわかった、この気持ちが。初めてわかった、この気持ちが。不思議と藤宮に目が吸い寄せられる。意味もなく彼を見つめる。今はそれでもよかった。見つめているだけで幸せな気持ちになれた。


「どうしたの? ぼーっとしてるけど大丈夫?」

「……うん。ちょっと考え事してただけ」

「そう、ならいいけど」


 今書いている恋愛小説はかなりいいものにできそうだ。今まで苦手なジャンルだったが、もう大丈夫。なぜなら今は藤宮がいるから。世界が開けて見えた。色づいて見えた。


 藤宮が自分と一緒に苦手を乗り越えたのと同じように、自分もまた藤宮のおかげで苦手が苦手ではなくなった。できることなら藤宮ともっと一緒にいたい、西条はそう願った。ただの純粋な願いだった。その願いが込められたまなざしで藤宮をずっと見つめ続ける。






 今までとは違う西条のまなざし。桐嶋はそれに気づいていた。同時にそれが何を意味するかも気づいた、いや気づいてしまった。考え得る限りで最悪の状況に陥ってしまった。しかし、いつかはこうなるだろうと思ってもいた。


 西条が気づいてしまった、彼女自身の気持ちに。そして桐嶋は自分自身の気持ちにもまた向き合う。このまま行けばどうなってしまうかはある程度予想できた。それは回避しなければならないと思っていた。


 藤宮のことを想っているのは事実だったが、西条もまた友達として大事だったから。西条が楽しそうにしている姿はしばらく筆を置いていた桐嶋を勇気づけるものだった。途中何度もやめたくなった文芸部も西条がいたから入っていたし、部にも顔を出していた。だから西条とはずっと友達でいたかったのに……。今もこの気持ちは変わらない。変わらないはずなのにもう一つの想いがそれを邪魔する。


 どうしてこうなるのか……現実は残酷だ。西条は優しいし明るい。男が好きそうなタイプの女子。実際、藤宮の様子を見ても彼女のことを悪しからず思っているのはわかる。ここは自分がひいて二人を応援する方がいいのか……


(いや、私がひかなくてもいずれそうなるのかな……)


 そう割り切れたらどれほど楽だろう。きっとそれが今彼女に残された最善手には違いない。早々に諦めてしまうほうがまだ自分の思いを押し殺すことができる。諦め悪く食い下がってしまえばもう後に引けなくなる。そして自分に言い訳すればいい。


 ――別にあいつのことなんかそんなに好きじゃなかった――


(これですべて解決するはずなのに……)


 それでも諦められない。もちろん彼への想いが強いからだが、なにより目の前に諦めずに頑張った男が目の前にいたから。疲れ切った顔をしながらどこか充足感を含んだ顔をしている藤宮を見ると諦めきれない。自分も諦めなければ何かが起きるのではないかと思えてしまう。西条に鼻の下を伸ばしているくせにここに来てまだ自分の気持ちを揺さぶってくる藤宮が憎たらしいのに……


「藤宮君。速かったね、かっこよかったよ」

「そう? ありがとう。……それと、体育祭に出ることを薦めてくれてホントにありがとう。おかげでいい思い出を作れた」

「……そう。それはよかった」


 彼を見る目は優しかった。その後西条に目線を移す。西条はいつだって友達だ。だが――負けたくなかった。


(私のほうがさきだった……さきだったんだから……)


 自分のほうがさきだった、だからこそ尚更負けたくない。とられたくない、奪われたくない。そして藤宮の隣にいる彼女に対して抱いた感情は……西条を見る桐嶋の目はいつもとは少し違っていた。


 もう桐嶋は戻れなかった。







 藤宮は目の前にいる二人を見つめる。自分を支えてくれる二人にいつか自分も何かを還元できるようになりたいと思う。そうすれば互いに支え合う理想の関係になれる。もちろん彼は一人の男として目の前の二人は魅力的に映っていた。だがまだ自分は二人に何も与えられていない、彼はそう思っていた。だからこそ、藤宮にとって自分の気持ちを素直に心に描くことはためらわれた。少なくともこの時点では。


 もう一度目の前の二人を見つめ直す。しかし二人の瞳に浮かんでいる感情を読み取ることはできなかった。

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