第21話 体育祭

 昼食にコンビニで買っておいたサンドイッチを食べてから、藤宮は綱引きに出場した。綱引きはただ力任せに引っ張るだけだったので、そこまで体調悪化につながらなかった。そして次に待ち構えるのは全員リレー。今日一番の目玉種目で、彼が一番忌み嫌う種目。


 もうここまで来たらやるしかない。結果のことを考えたらダメだ。無我夢中で足を動かすことが最適解。頭が若干ふらふらするのももはや気にならなくなった、いやむしろ気にしなくなった。


 藤宮が走る順番はちょうど真ん中辺り。足が遅い人が一番固まると言われているところだ。ここならいけるはず、失礼なこと極まりないがそう思えた。


 藤宮は自分に明確なゴールを用意した。目標は相手をごぼう抜きにすることではない。バトンを貰った順位をキープすること、ただそれだけ。抜かされてはならない。もし万が一抜かされたとしても一人まで。


(別にヒーローになりたいわけじゃない。目標は脱戦犯、ただ一つ!)


 彼らの高校は一学年八クラス。そのうち文系クラスが四つ、理系クラスも四つ。一般的に理系のクラスの方が男子が多いので、必然的に理系クラスの方が体育祭では有利になるはず。つまり自分のところにバトンが回ってくる辺りではだいたい四位・五位くらいと考えられる。下手すれば最下位もあり得る。少なくともプレッシャーがかかる場面で回ってくることはないだろう、藤宮はそう考えていた。







 予測とはあくまでも予測でしかない。人間は自らの理性から生まれる、はず・だろうといった思い込みによって未来を予測しているがその時にはまだ何も起きていないのだ。理性の働きは何もいいことばかりをもたらすわけではない。


 (ヤバい……どうしよ? これ)


 唐突に哲学を始めてしまうほど今の藤宮は動揺していた。まず誤算の一つ目は、彼のクラスが予想以上に健闘しているということだ。なんと彼のクラスは現在二位。それ自体は素晴らしいことなのだが、ここで困るのはプレッシャーがかかる場面で走る可能性がかなり高くなってしまったということ。


 誤算の二つ目は、走る順番が真ん中の辺りの人に足が速そうな人が多いということだ。どうやら中盤で差をつけるために足がそこそこ速い人を配置しているクラスもあるようだった。それが今一位のクラスと三位・四位のクラス。さらに彼らの走る順番は藤宮と同じ。


(運が悪いなんてレベルじゃない! ホントにどうすんだこれ?)


 しかも前の走者を見るとそこまで差がついていない。この程度の差なら追いつかれても不思議ではない。


 (下手すれば二位から四位になる……)


 簡単に思い描くことができる。無様に抜かされて、あそこまでは調子よかったのになぁ~、あそこまでなら一位狙えたのになぁ~みたいな空気になってしまうクラスの雰囲気を。謎の励ましをいただくだけならまだいいが……嫌味や罵倒は遠慮したい。


 (人がやる気を出そうとしてるときに限って……)


 さんざんだ。朝から体調は悪いし相手走者の組み合わせは最悪。そのうえ接戦の場面で走ることになった。しかもクラスの順位がかかっていて、ここを二位でキープできれば一位を狙えるかもというところ。そのせいで変な期待感まで背負う羽目になった。足が速い人なら燃えるシチュエーションなのかも知れないが、いくら練習したといってももとは足が遅かった藤宮にとっては最悪のシチュエーション。


 嫌な要素をこれでもかと煮詰めて凝縮させたようなもの。せっかく、ちょっとだけではあるが頑張ってみたというのにあんまりの仕打ちだ。


 (こんなことなら休んで……いや、それはないか)


 今日来ていなかったら西条と至近距離で見つめ合ってドキドキすることはなかったし、何より桐嶋の笑顔を見られなかった。これを経験できただけで今日は来た甲斐があった。そう自分に言い聞かせる。二人にはかっこ悪くてもキチンと見て貰おう、ようやく藤宮の思考にピリオドが打たれた。


 所定のコースに立って後ろを振り返ると、どんどん走者の体が大きくなっていくのがわかる。彼の手にはバトンが握られている。


(思い出せ、練習の時のようにやればできる!)


 バトンを受ける。西条に習ったように徐々に加速しながらバトンを受ける。一位の走者がその少し前に横で勢いよく走り出すが気にしない。藤宮もまた足を動かしてしっかりスピードをのせた。歓声も彼の耳にはほとんど届いていなかった。後ろからものすごい勢いの足音が聞こえてくる。おそらく三位の走者がかなり迫っているのだろう。抜かされないように藤宮もまたさらに全力で足を動かし、腕をより強く振る。頭の痛みは完全にかき消されていた。


 無の境地に達した気がした。今聞こえるのは自分の足音と息づかいだけ。息はどんどん荒くなっていくが、それに比例してスピードもどんどん速くなる。ただひたすら必死に、とにかく前へと走った。


 それでも一位とはじわじわ距離を離されていくし、三位の走者は相変わらず迫ってきていた。苦しい。つらい。だが何とかわずかな距離を保って走れている。体中の力を振り絞って、息が苦しくてもなお速く走ろうともがく。


 しばらく走っていると、いよいよ次の走者の姿が見えてきた。なるべく減速せず、それでいて相手が取りやすいように。西条から習ったことを頭の中で反芻しながら次の走者に向かって駆けていく。


「!?」


 ここで前で異変が起こる。一瞬驚いたがすぐに原因がわかった。一位だった走者がバトンを渡すのに失敗したのだ。あまり減速していなかったのはよかったのだが、おそらく次の走者にとってかなり取りにくかったのだろう。次の走者が受け取ることができずにバトンを落としてしまった。


 ――このとき、おそらくたった数メートルだけではあるが、藤宮は一位だった。最後の最後ではあるが逆転することができた。


 藤宮の目にははっきりと次の走者が見える。桐嶋だった。彼の次を桐嶋が走ることになったのは確かにただの偶然だったのだが、今の藤宮にとっては偶然ではないように思えた。


 運命というのは存在するのかも知れない。


 クラスの中で唯一よく知っている人が次の走者で本当によかったと心から思う。彼女のことを思い、彼女が取りやすいようにはやく且つ丁寧に彼女の手にバトンをつなぐ。


 






 コースから出て、桐嶋が走り出したことを確認すると思わず息が出た。安堵の息だ。すると今度は今まで飲み込んできた苦しみが溢れてきた。激しく咳をする。苦しかった、おそらく今までで一番。ぜぇぜぇと大きく呼吸をしてなんとか空気を肺に取り入れる。


 (やりきった……!)


 普通の人にとっては何でもないことなのかも知れない。だがたとえそうであったとしても、今まで苦手なことから逃げてきた彼が初めてそれを克服した瞬間に変わりない。努力は報われるとは限らない。だからこそ、報われたときに味わえる達成感は至高と言ってもいい。


 (ありがとう、二人とも)


 改めて桐嶋と西条の二人に感謝した。一歩踏み出すきっかけをつくってくれた桐嶋と実際に手取り足取り教えてくれた西条に。当の二人にはその意図があったかはわからないが、結果的に苦手なことに向き合う大切さを教えてくれた二人に。


 最初はラノベの参考にするために入部した文芸部。ラノベの参考にするために出ようと思った体育祭。そこでの経験は今では藤宮の高校生活の中で大きな財産になり、なくてはならないものになった。

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