第15話 静かな葛藤

 西条の練習から一夜明けた水曜の放課後。例のごとく静かな部活の時間。西条の心の中で藤宮の占める割合は大きくなっていた。


 何か特別なきっかけがあったわけではない。いつも丁寧に小説のことをいろいろ教えてくれて、優しくアドバイスしてくれるところ。苦手なことにもひたむきに努力し、さらに徐々に成果を出しているところ。教え方をさらっと褒めてくれたところ。感謝の気持ちを示してくれるところ。彼女の中で藤宮との思い出のページは増えていく。


 西条は自作の恋愛小説を引きつづき書き進める。桐嶋はそんな西条を傍目で見つめていた。最近西条の様子がどうもおかしいとは感じる。以前は藤宮とよく話していたのに今はあまり話していない。


 体育祭の練習で何かあってギクシャクしているのだろうか、とも考えたがそれもどうやら違うだろう。彼らの間の沈黙は不仲ゆえのものではなく、西条が藤宮に話かけるのにどこか緊張しているからな気がする。事実、ときおり西条が彼を見ているときの目はどこかトロンとしたもので、表情もいつもの朗らかなものではなくどこか色っぽさを感じさせるもの。彼らは決して不仲になったわけではない。ならこの沈黙の理由は何か。桐嶋はこの答えを導きたくなかった。


(でもまだ……?)


 実のところ、西条はこういった恋愛感情に疎い。一年以上一緒にいる桐嶋はそれを知っている。今まで自分が他の男子にモテていることにもほとんど気づいていなかったし、これもまた本人は気づいていなかったが、恋愛感情というものを持ち合わせていないように思われた。だからこそ彼女が恋愛小説を書くと言ったとき桐嶋は内心驚いていた。今までの経験から西条は今はまだ自分の気持ちの正体に気づいていないはず。


(ならいっそ私が先に――)


 そう思いかけてすぐにその考えを捨て去る。今の自分が彼に好かれているはずがない。


 もっと優しくしたいのに、いまだに接し方がわからない。普通に話すのにもなぜかとても緊張してしまうから。よく言われるような男が喜びそうなことや気の利いたことなんて一つも言えないし、ましてやあざとい仕草や可愛い仕草なんて全然できない。それどころか彼のためを思う言葉は口から出たときには棘を帯びてしまう。


 そんな自分が嫌になる。


 そんな自分を今まで何度変えようとしたことか。


 今はまだ西条は何も自覚していない状態。だが彼女が自分の気持ちに気づき、名前をつけられるようになるのはそう遠くないはず。そうなったときには……


 そうなったときにはこの部室もデート場所のような雰囲気になるのだろうか、それとも部室には顔を出さなくなるのだろうか。前者なら自分はどうすれば……密かに想いつづけてきた相手と友だちが結ばれているところを見せつけられるなんて生き地獄のようなもの。


 かといって西条とは友人でいたい。彼女は自分とは正反対で、優しくて明るいし、二人だけで一緒にいれば楽しい。だから彼女が自分の気持ちを自覚して藤宮とそういう関係になったときには、素直に祝うべきだと思う。西条に幸せになって欲しいと心の底から思っているのもまた事実だから。


 だったらむしろ自分は二人を邪魔しないほうがいいんじゃないかと思えてくる。もし西条が自分も藤宮のことを想っていることを知れば、仮に結ばれても彼女の性格上幸せになれないんじゃないか? それに友だちである西条と争いたくない。しかし、それでは自分の気持ちとはどう向き合えば、どう処理すればいいのだろう?


 つくづく可愛くないし、めんどくさい性格をしていると彼女は自分でも思う。いろいろ考えるくらいなら行動すればいいのに、なかなかうまく行動に移せない。いや、いろいろ考えるからうまくいかないのかも知れない。


 もっと何も考えずに突っ走れたら楽なのに余計なことばかり頭の中をよぎってくる。もっと素直でいられたらいいのに、口をつく言葉や彼に取ってしまう態度は思い通りのものじゃない。


「桐嶋さん、大丈夫? さっきからぼーっとしてるけど」

「……そうでもないと思うけど」

「でも、さっきから本が一ページも進んでない」

「……もしかしたら少し疲れてるかも」


 そんな風に物思いに沈んでいた彼女は藤宮の声でふたたび現実に引き戻される。一体誰のせいだと思って……だが、こうやって本当に落ち込んでいるときにまっさきに声をかけてくれることが嬉しい。あのときそうだったように……


 彼の言葉を聞き、西条も心配そうに桐嶋を見つめる。


「大丈夫? 今日はもう帰ろっか」

「……そうしようかな。ごめんね」

「いいよ、気にしないで」


 今は何だかここにいたら気が滅入ってしまいそうだと思い、西条の提案をありがたく受けることにした。


 戸締まりを終えた彼らはいつもより早く下校する。雲が空全体を覆っているせいで、下校した時間はいつもより早かったのに外はいつもより暗くてどんよりしていた。


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