第9話 手を引いてくれる存在

 なんだかんだ藤宮の高校生活は軌道に乗ってきた。部活も楽しいし、勉強もやってみると案外悪くない。英単語一個覚えただけでも嬉しいレベルだが、少しは楽しいと思えるようになってきた。何より今のところ執筆が順調だ。やはり彼自身が現在進行形で高校生、かつヒロインのモデルが実在しているからかリアリティのある描写をすることができている。


 月曜の朝だというのに珍しく機嫌がいい彼は、鼻歌を歌いながら学校に登校する。やがて朝のホームルームが始まり、担任が教壇にたって連絡事項を言っていく。


「あと一ヶ月ぐらいで体育祭が始まるから、誰が何に出るかとかそろそろ決めとけよ」


 教師はそう言って教室の横の黒板に種目名を書いていった。前の黒板は授業の時に使われるが、横の黒板はこういったクラスに関係することを書くのに使われている。


 体育祭。藤宮曰く陽キャの祭典。それは運動が苦手な彼からすれば忌むべきもの。開催される時期は高校によってまちまちだが、彼の高校では体育祭は五月の中旬に行われる。実施される種目はリレー・二人三脚・騎馬戦・綱引きで、一人二種目出ることになっている。この中でリレーはいわゆるクラス対抗リレーであり、全員が出なければいけない。そして残り三種目の中から一つ自分が出たい種目を選ぶことができるというわけだ。


(まぁ、順当に綱引きだよな……)


 二人三脚や騎馬戦というような連携が求められる種目には出られそうにない。第一こういった種目はあらかじめ仲がいいグループが参戦するものであって、一人だけで参加していいものではない。それに――


(どうせ休むから問題ないけど、一番迷惑にならないのを選ばないとな)


 当日休むにあたって一番迷惑にならなさそうなもの。それは間違いなく綱引きだ。二人三脚や騎馬戦はメンバーとの連携を重視する。当日、彼が急に休んで代わりに補欠の人が出ることになっても、きっと連携がうまくいかず迷惑がかかってしまう。だが綱引きには連携はいらない。たとえ藤宮が休んで、代わりに補欠の人が出たとしても何の問題もない。


 全員リレーだってそうだ。彼が休んだところで、いや彼が休んで補欠に入っている足の速い人が走った方がむしろいいだろう。藤宮が出る意味はない。


 そんな理由でもちろん藤宮は去年も体育祭を休んでいる。どうせ自分が出ても何の意味もない。それどころかクラスの足を引っ張る可能性が高い。それなら休んで丸一日小説の執筆にあてた方がよっぽど有意義だし、クラスメイトからしてもお荷物が減ってむしろ喜ばしいことだ。誰も損しない世界がそこには広がっている。


「藤宮君は何に出るの?」


 ホームルームが終わり、一限目との間のわずかな休憩時間に後ろの席の桐嶋が声を掛けてくる。


「綱引きかな」

「というか、去年出てなかったでしょ? 今年は出るの?」


 去年同じクラスなだけあって、藤宮が休んでいたことを彼女は知っていた。かといってそのことを責めている口調ではなかった。


「……わからない」


 本音としては出たくないので今年も休みたい。しかし今はそういうわけにはいかなくなった。


(学園ラブコメを書くにあたって体育祭は外せないよなぁ)


 そう、学園ラブコメには体育祭がつきものだ。体育祭を通して主人公とヒロインの関係は深まっていくというのは定番中の定番。具体的に言うならば、体育祭の準備を一緒にしたり、リレーで主人公がちょっと足がはやいところを見せつけたりといった感じ。やはり想像で書くより実際の体育祭の空気を感じた方がいいに決まっている。だから今年は参加した方がいいのだろうな、と頭の中ではわかっているのだが――


(出たくねぇ~)


 それでもやはり出たくない。クラスに迷惑を掛けたくないと言うより、クラスに迷惑を掛けて陰口をたたかれたくない。


「ねぇ、なんで去年は出なかったの?」

「出る意味がなかったから、かな?」

「それはどうして?」

「体育祭に出るくらいなら家で小説書いてた方が有意義だって思ったから。それに別に俺がいなくても誰も困らないじゃん。むしろ俺がいない方がお荷物が減っていいだろうし」


 彼の言葉を聞いて桐嶋はほんの少し寂しそうな顔をしたが、再び問う。


「なるほどね……今はどうなの?」

「ちょっと迷ってる、出た方がいいのかもって」

「なら出るべきね。ありきたりかも知れないけど、やっぱり体育祭は高校の時だけの思い出よ。それに……」

「それに?」

「藤宮君は自分がいなくても誰も困らない、むしろお荷物だって言ったけど、周りのことなんて考える必要なんてない。体育祭において周りから見れば藤宮君はいてもいなくても変わらなかったとしても、あなたにとって体育祭に出るか出ないかは大きな違いよ。だから、少しでも出ようと思うなら周りのことは気にせずに出た方がいいよ」

「……そうだな」


 今までまっすぐ向き合ったことがなかった学校行事。今年は真剣に取り組んでみるのも悪くないかも知れない。たとえそれが小説のためでも、新たな一歩を踏み出すことには違いない。モノクロの学校生活を彩ってみよう。何せ今は桐嶋と西条がいるのだ、去年よりは楽しめそうな気がする。


「あと、さっき藤宮君は自分はいてもいなくても変わらないって言ったけど、もしかしたら……藤宮君がいなかったらイヤだって言う人がいるかもしれないよ?」


 その言葉を発した桐嶋の頬は赤く染められていた。普段は凜々しい表情が緩められて、かわいらしくなっている。思わず見とれてしまうぐらいに彼女は可愛かった。


「ありがとう、そうかもしれないよな」


 彼女はいつも自分を引っ張ってくれる。少々お節介で、それが少し面倒くさいと感じてしまうときもあるが、やはり手を引いてくれるのは桐嶋だ。彼女には感謝してもしきれない、藤宮はそう感じた。

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