第6話 自覚
桐嶋の監視の目もあり、藤宮は今日も学校では寝ないで真面目に授業を受けている。といっても一年分の遅れはかなり響く。授業を聞いても相変わらずわからないので、彼女からもらった単語帳を開けてみた。
(俺、ホント基礎からわかってないんだな~)
最初の数ページを開けたが、さっそくわからない単語が目に飛び込んでくる。最初の方は簡単なはずなんだけど……と思わず首をひねる。ただの単語帳が奇書の類いに見えてしまう。
(ボチボチやってくかぁ)
大卒の肩書きを手に入れておいた方が何かと便利だ。少し前まで自分の将来についてここまでしっかり考えたことはなかった。きっかけをくれたのは桐嶋だ。彼女といると身が引き締まる思いがする。何よりこれからも作家として食べていけるかわからないのだ。大卒になれば確実に選択肢が増える。いわゆる名門といわれるところに行けば尚更だ。選択肢は多ければ多いほどいい。
彼は姿勢を正し、単語帳に向き合う。たった一歩だったが、それでも藤宮は前へ歩もうとしていた。そんな彼を桐嶋は後ろからそっと見守る。彼の背中を見ながら桐嶋は思索にふける。
ここ二日はちゃんと起きている。いい兆候だ。彼にはキチンと自分に向き合って欲しい。そのための手助けをしたい、あのとき彼が自分を救ってくれたように……たとえ藤宮本人が忘れていたとしても。わずかな間言葉を交わしただけ、そんな些細な出来事だったから仕方がないのかも知れないが、忘れられていたことはショックだった。それどころか、一年の頃に同じクラスだったことさえ……。でも彼との関係はそれだけで、特別な感情はないはずだった。
だが、彼が西条と一緒にいるとなんだか胸騒ぎがする。彼女と一緒にいる藤宮は楽しそうで、彼女の方もまんざらでもなさそうで……。でも自分は彼に対して優しく接しようと思ってもできなくて、むしろめんどくさいと思われているような気がして……。この胸騒ぎの正体はこれまで桐嶋には無縁なはずのものだった。ずっと、今までずっとそんな気持ちになることはないと思っていた。そして自分の気持ちに気づいたとき、彼女は彼ら二人の空間にいることが耐えられなくなってしまった。昨日は先に帰ってしまったのはそのせいだ。さらに西条にも素っ気ない態度を取ってしまった。西条はたった一人の文芸部の同級生、もっと仲良くなりたい。そう思っていたはずなのに……
(綾乃は藤宮君のことを友達として好きなだけ……きっと……!)
彼女はつい最近藤宮と会ったばかりなのだ、さすがに友達としてしか見ていないはず。大丈夫、今はまだ最悪の事態にはなっていない。でも藤宮の気持ちが西条に向いてしまったら?
今日一日の授業が終わり、硬くなった体を伸ばす。今日は部活がないので、さっそく藤宮は帰り支度にはいる。それにしても今日はよく勉強した。英単語も少しくらい覚えることができたのではないだろうか、毎日少しずつ続けていこう、彼はそう思った。
(帰ったら小説の続き、書かなくちゃ)
学園ラブコメで三角関係をテーマにしたラノベ。プロットを見せたら編集の方がGOサインを出してくれたのでさっそく書き始めていた。締め切りはまだ大丈夫だが、何が起きるかわからない。はやく書き終わるに越したことはない。
「今日はもう帰るの?」
後ろの席から声がかけられる。彼が席を立とうとしたとき、桐嶋はまだ机に座ってペンを握っていた。
「うん、ちょっと用事があるから」
「……そう、じゃあまた明日」
彼の返事を聞き、桐嶋の顔には一瞬暗くなる。今日も一緒に勉強しようと誘おうとしていたのに……言葉に出せばよかったのだろうか。ああ。もしかしたら、いやもしかしなくても、自分はうっとうしく思われているのかも知れない。そんな不安が彼女の心を蝕んでいく。
(それでもいい……! 少しでも藤宮君のためになるなら……)
それに彼女はうまく男子とコミュニケーションを取るにはどうすればいいのかわからない。自分の今までのやり方を貫いていくしかないのだ、桐嶋は一人教室に残って自習を始めた。
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