第3話 初めての部活

 初めての何たらというのはだいたい緊張する。初めてのおつかいから始まり、初めての学校、やがては初めてのデート、初めての男女の夜。後半二つは悲しいかな、藤宮にとって未経験ゾーンだ。


 今日の放課後、初めての部活がある。それだけではない、初めて女子と一緒に部活するのだ。彼の緊張度合いは凄まじいものだった。


 トボトボと部室に向かって歩いて行く。先ほど桐嶋に説教をくらい気まずいことも緊張の要因だった。ああ、会いたくない。


(桐嶋め、あいつ新入部員の俺をいじめるなよ……!)


 ダメだ、ここで逃げたらいつもと一緒だ。彼はそう思うことで自分を奮い立たせて重い足を引きずるように歩く。


 ガラガラと部室の扉を開けると、二人はもう来ていた。


「こんにちは~」


 真っ先に挨拶をしてくれる西条。彼女とはクラスが別なのでこれが今日初対面だ。彼女を見てひとまずほっと一息つく。来てよかったと思えた。


「あっ、どうも。こんにちは」


 パソコンで何か書いていたようだがその作業を切り上げ、明るく朗らかな表情で迎えてくれる。一方で読書をしていた桐嶋は顔を上げ、少し気まずそうに彼の方を見たが、やがて口を開いた。


「その、さっきはすこし言い過ぎたわ。ごめんなさい」

「いや、別にいいよ。桐嶋さんは正論言ってくれたわけだし」


 桐嶋も決して悪い人ではないのだ。ただ、彼女が言うことは正論なので耳が痛いだけ。彼と桐嶋の会話が終わったことを確認し、西条は再び藤宮に話しかける。


「藤宮君ってふだん、どんな本読むの?」

「う~ん、純文学とラノベかな」


 おいおい純文学なんて読むのかよ、みたいなツッコミがはいりそうだが、実際に藤宮は純文学も読んでいる。表現技法を身につけるために純文学を読むこともあるし、構成の勉強のためにラノベを読むこともある。まあ、後者が圧倒的に多いわけだが。あまり純文学的な表現を使いすぎてもウケはよくないのだ。


「西条さんは?」

「私も一緒かな~」

「へぇ、ラノベも読むんだ」


(意外だな、女性も読みやすいように下ネタとか控えた方がいいのかな……)


 ラブコメには下ネタがつきものだからバランス加減は今後の課題になってくるな、などと考え事をしてぼーっとしている彼に、西条はグイッと体を近づける。黄金色の髪と豊かな胸が揺れているのがわかる。正直目に毒だ。その体勢で彼女は続ける。


「そういえば、さっきまで小説書いてたんだ。それで、これなんだけど見てみる?」

「え!? いいの?」


(すごいな、知り合って間もない人に見せられるのか……)


 小説とは自分の妄想に文字を当てて、具現化したものだ。普段自分が見せたくない本音や欲望といったもので溢れている。


(それをよくまぁ、面と向かって見せられるなぁ……)


「うん、いいよ。文香も見る?」

「藤宮君が読み終わった後でいいよ」

「そっか、わかった」


 彼女はパソコンの画面を藤宮の方に向けた。彼は画面をのぞき込む。


 西条の小説のテーマは友情だった。二人の少女の間に芽生えた友情がこの物語を通して語られている。ポップな雰囲気で、少しギャグ要素のある日常系のアニメといった観点でも楽しめるのだが、テーマはやはり友情。作品の根幹はぶれていない。


 無機質なパソコンの画面の文字も、彼女の巧みな言葉選びのおかげで、一つ一つの文字が芽吹いて花ひらいていくような感覚がする。文字の世界の花々が物語の中で咲きほこり、育まれた友情をより美しいものにしている。ストーリーに大きな起伏があるわけではないが、それが二人で過ごした時間がいかに暖かくて大切だったかを際立たせていると思えた。


「すごくいいと思うよ。暖かい文章だった」

「ありがとう! それはよかったんだけど……」


 口で喜んでいる割には西条の表情はどこかさえない。


「何か不満でもあったの?」


 あの文章を見る限り、特に不満を感じる要素はなかったはずだ。少なくとも彼は特段不満を感じなかった。むしろ文のうまさに感心したほどだ。


「私、こういう日常系の話は書けるんだけど、動きがあるストーリーが書けないんだよね……」

「まあ、人には得手不得手があるし。それにこれから少しずつ新しいジャンルにも挑戦していけばいいんじゃないか?」


 伸び悩みというか、彼女なりに壁にぶつかっていたようだった。彼は責任をとれないので、とりあえず当たり障りのないことを言っておく。


「……うん、そうだね。それでね、私、一度恋愛小説を書いてみたいんだ」

「恋愛小説かぁ~、難しいよな」

「藤宮君は書いたことあるの?」

「いやまだないんだけど。ちょっと挑戦してみようかなって、思ってたところで」


 ラブコメも一種の恋愛小説だから間違っていないはず。イチャイチャとシリアスのバランスをうまく取るのは至難の業だ。え? イチャイチャ100パーセントじゃダメなのかって? 自分の頭にいる誰かに問いかけるが、彼の答えは変わらない。シリアスあってこそのイチャイチャだ。


「そうなんだ~、じゃあこれから一緒に頑張ろうねッ」


 曇りのない明るい笑顔を彼に向ける。女の人は笑顔になると、これほどまでに輝いて見えるものなのか。その笑顔に心臓を射止められたような気がする。


「はい、文香」


 西条は桐嶋のほうにパソコンの画面を向けようとするが――


「……いや、やっぱりいい。もう時間遅いし」

「うん、じゃあ今度ね」

「……わかった」


 そのとき、藤宮は桐嶋の顔がやや曇り気味なのに気づく。目線は下を向いているが、本には向けられていない。しかし、ただ疲れただけなのかも知れないと思い、尋ねることはしなかった。






 家に帰った藤宮は自分用のパソコンをひらいて、カタカタと文字を打ち込む。プロローグの部分に文字を埋めていく。もちろん自分のことをそのまま書くわけにはいかないので、少しばかり変化を加えてみた。


 ――モノクロの世界に生きる一人の青年がいた。きっかけは些細なことだったが、彼はモノクロの世界を色づいたものにしてくれるきっかけを求めた。高校二年になる前の春休みの間、そればかりを追い続けた。それが理由なのだろうか――


 変化を加えたといっても主人公は藤宮自身に重なるところが多い。執筆で学生生活がモノクロだった彼が運命の出会いを果たし、そして……。筆がのってきた藤宮はそのまま書き続けていく。


 ――彼は一年遅れの部活見学に繰り出して様々な部室を見て回り、最後に文芸部の部室の前に立った。扉を開けると、その教室は夕焼け色に染まっていた。なぜなら、そこに二人の美少女がいたから。誰もが認める二人の美少女がいたからだ。


 モノクロの世界に色がついた。ただ、彼は知らなかった。色がついたのは二人のうち、どちらによるものなのかということを――

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