第7話

 「また来た!6時上方!」


 カラコフは叫ぶと同時に機銃を撃ち始めた。当たらなくても牽制程度にはなるだろう。弾の大きさを問わず、撃たれているというのは人にストレスを与える。


 「糞ったれ!」

 

 とにかく回避のために左旋回に入った。最初はあえて緩く旋回し、敵機の機首がこちらを向いたタイミングでさらに鋭く旋回し射線から逃れる。


 「抜けてった!」


 単純な横旋回なら現状のYP-2は敵機より優れている。それを知って敵機は一旦離脱したようだ。


 さらに別の敵機がこちらを狙っていた。


 右に傾け機を地面と水平になったところでバレルロールを行い射線から逃れる。曳航弾の束が頭の上を通り過ぎていった。


 「ケツに付かれた!」

 

 カラコフが叫ぶ。


 「糞っ!」


 誰へともなくヴォルゴは悪態をつく。


 操縦桿を押し込んだ。多分敵が一番想定していない機動だ。その後すぐに引き付け上昇に転じ、ペダルを踏み操縦桿を右に倒して小さく旋回する。


 敵機が追従してくるのを見て素早く左に切り返した。


 敵機は一度上昇して切り返してきた。ハイ・ヨーヨー、縦方向に大きいバレルロールのような動きだ。有り余る速度を一度高度に変換することでオーバーシュートを防ぎ、上昇後は高度を速度に変換して再び襲う機動だ。

 

 「糞っ……!」


 ヴォルゴは再び毒づいた。永遠に弾を避けることなどできない。今のまま回避機動を強要され続ければ速度を殺されて蜂の巣だ。


 味方の戦闘機が来る気配は無い。ほとんどが飛行場の防空戦闘についているのだと思う。


 目の前の脅威に対処すべく、一旦思考を意識から追い出しす。


 機体を傾け操縦桿を思い切り体に引き付ける。単なる旋回だが現状他に打てる手は無い。だがただの旋回では撃たれる。そう直感してフラップを着陸位置にまで下げた。


 簡単に言えばフラップは速度と引き換えに揚力を手に入れることができる。もっとも旋回中ずっと出し続けると失速してしまうため少しの間だけだ。


 かなり際どかったがなんとか敵の火箭からは逃れられた。だがもう速度は最低限飛ぶだけしか残っておらず、できることは小刻みに上下左右に動くだけだ。


 旋回を終え水平飛行に戻ったところで不意に連続した衝撃に襲われた。まるで自分がドラム缶の中にいて、外から乱暴にハンマーで叩かれているかのような音だった。そこに悲鳴が混じっていたのをヴォルゴは聞き逃さなかった。


 「カラコフ!カラコフ!」


 「大丈夫、生きてる!」


 威勢こそいいが苦痛に耐えてるのがありありと分かる声だった。変わらず機銃を撃ち続けているが気が気ではない。


 そう思っている間にも敵機はこちらを撃ってくる。小さく左に動く。


 戦闘機の機銃は機首と同じ向きで固定されており、そのため小さく動くだけでも避けられる。ただ敵機が装備している12.7mm機銃は大口径機関砲に威力は劣るものの大量の弾薬を搭載しており、とにかくばら撒くことができる。YP-2にとって12.7mmは立派な脅威だ。


 エンジンや操縦系に損傷が無いのは幸運と言えた。運動性能がガタ落ちすることは避けられている。


 いくら小刻みに動いたって無限に避けられるわけではない。というかそういう動きは最後の悪あがきに過ぎないのだ。また衝撃が襲ってきた。


 右翼の翼端を敵弾が叩き、さらに機体の下からも着弾音がした。多分右の固定脚だ。


 もういい加減限界だった。


 「5時上方!」


 カラコフが叫ぶのと同時に更なる衝撃を感じ、ヴォルゴの右目の視界が真っ赤になった。他にも体に鋭い痛みを感じる。操縦席に飛び込んで来た銃弾はコックピットのガラスを砕き、ヴォルゴに裂傷を、幾つかが喰い込んでいた。


 エンジンは黒煙を吐いていた。今し方銃撃を浴びせたパイロットがもう少し射撃が上手だったらもうヴォルゴ達は撃墜されていただろう。


 「また来るぞ!」


 カラコフの悲痛な叫びが聞こえた。もう毒づいても言葉にするだけの体力も気力も無かった。機体を動かすが死ぬのは規定事項だと感じていた。パラシュートで脱出できる高度ではない。撃たれた衝撃を感じた次の瞬間には地面に激突して死ぬ。


 せめてヴォルゴにできるのは自分達をあの世へ送る真後ろの敵機を睨みつけることだけだった。


 今にも敵機の射撃する直前。突如として斜め上方から曳航弾の束が敵機の前に現れた。戦闘機は時速数百キロで飛んでいるから避けることなどできずにその束へと突っ込み、そして一瞬で燃える鉄屑となって落ちていった。

 

 事態が飲み込めないヴォルゴとカラコフが飛んできた元を辿たどるといたのはなんとIL/2だった。しかも複数機いる。


 IL/2の固定武装は23mm機関砲2丁、7.62mm機関銃2丁。戦闘機がまともに喰らって耐えられる代物ではないのだ。


 機数的には敵機の集団と変わりないが、敵機は潮が引くように去っていった。驚いたのか、引き上げの命令が出たのか、あるいは両方か。ヴォルゴ達には分かりかねるが、ただ一つ言えることがあった。


 助かった。死ぬのが当たり前の状況で生き残ることができた。


 緊張の糸が途切れ、一気に脱力したヴォルゴだが感謝を述べるのは忘れなかった。無線へと手を伸ばす。


 「感謝します」


 「気にするな。先程部下が助けられた。そのお礼さ」


 先程?いぶかしんだヴォルゴは思い出した。ああ、敵機に追われていたIL/2か。


 「飛べるか?右脚が無くなってる。高度を上げて脱出しろ」


 「了解」


 もともと軽い部類のYP-2だ。エンジンが負傷しているとは言え戦闘機動によって燃料は著しく減っており弱々しくなら高度を上げることができた。


 「ダメだヴォルゴ。足を負傷したんだ。着地の衝撃に耐えられない」

 

 弱った様子でカラコフが言う。


 「……わかった」


 わかった、とは言ったもののどうすべきかわからない。固定脚である以上、片方が無いとなればどうしても荒々しい着陸になる。着陸、と言うよりは不時着に近い。というかどうしても片方の翼が地面につくことになるから墜落だろう。触れるだけならいい方で、強力な摩擦となり、バランスが崩れ横転、燃料に着火して火だるまになりかねない。もしこの機が引き込み脚なら胴体着陸すればいいだけなのだが……。


 だがカラコフがパラシュートで脱出できない以上着陸するしかない。


 ヴォルゴはそのことを無線で伝えた。


 「機銃手が脱出できません。着陸します」


 「……そうか。着陸する時は気を付けろ。エンジン出力の低下や被弾による空気抵抗の増大でおそろしく簡単に失速するからな。地面スレスレを飛びつつ滑走路の一番奥に着陸するつもりでやれ」

 

 「……了解」


 乗機が被弾した状況での着陸などしたことなんてなかったし、訓練もしていない。機の状態を細かく把握しつつアドバイス通りにやるしかない。


 いや、そもそも滑走路は無事だろうか?襲来する敵機の数を知らないから被害の程度は予測できないが飛行場への襲撃である。滑走路は叩くだろう。だが希望が無いわけではない。滑走路周辺は離着陸に備えて平坦な地形になっている。多少脇に逸れれば着陸できるかもしれない。


 飛行場に帰るだけなら燃料はある。着陸後は滑走路が塞がる可能性が大きいからIL/2らは先に着陸するために先行した。


 滑走路には爆弾によってできたクレーターが複数存在するものの、端によれば十分着陸可能だった。


 ただし整備場や建物が手酷く叩かれていた。


 ふらつく機体をアドバイス通り機に低空を這わせる。失速した時に高度が高いと機首から地面に激突してしまうからだ。

 

 視線は滑走路の最奥に向ける。できることなら燃料を全て投棄したかったがそんな機能はなかった。スロットルを絞り、フラップを着陸位置にまで下げる。滑走路に進入した時点でエンジンを切った。


 たしかに想像以上に早く失速していく。着陸のための減速ではなく、純然たる失速だった。


 それでも左脚は地面に着いた。だがここからだ。重力に従って右主翼が地面に近付いていく。この速度で接地されたら大事故待ったなし。だから持ち上げ、機が十分速度を落とすまで地面と水平を保つよう操る。

 

 しかし速度が無くなっていくということは同時に揚力も無くなっていくということだ。自然、右主翼も下がり始める。


 とうとう右主翼が地面に着いた。強力なブレーキとなり一気に機体がスピンした。右主翼翼端と左脚がもげた。ヴォルゴは強力に左回りに体を打ち付けられた。


 衝撃から立ち直るとすぐに機体から火が出ていないか確認した。どうやら燃えていないようだ。墜落に近い着陸だったが、なんとか成し遂げたのだ。

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