第12話
それ以上読み進める事は不可能になる程頭は痛かった。泣きすぎで鼻と目が重い。
全くやる気のなくなったまま朝を向かえたので会社を休んだ。金曜だからこれで3連休だ。
やる気がしない。僕は思い出しては何度も泣いた。出来ることはそれだけだ。
でも、このままじゃダメになる。ここで止まる訳にもいかない。
とりあえず顔を洗うと、冷たい水を一気にのんだ。
ちょっとだけおちつく。
深く息をすると…昨日の続きを読むことにした。
昨日の続きから残った日記はたった3日間分。遺書の管理を先日の弁護士じゃないひとに頼んでる。
元同僚の元奥さんっていう、かなり遠い関係。
『彼女に事実をつたえると、米人女性らしい反応を示した。妻につげていない事を文書内容から知ると、さらにその反応は顕著になった。あなたは奥さんを蔑視してらっしゃるんですか?とこうだ。
蔑視してないからわざわざ黙ってるんだって、先日話した「日本人の特性について」という問題とからめて説明する。
2度目の説明は脚色されていて、自分で聞いててもかなりモットモらしかった。「彼女はあなたと違って日本人の血が濃く流れている。この事については心から納得してくれるよ」と言った。「その遺言状が必要になるのは明日明後日のハナシじゃない。病気だっていうのはいつかはいうよ」ともいった。その時点で自分は絶対言わないんだろうな、と言葉で考えることができた。
車を運転して戻ると、もう夕方で妻の車がガレージに斜めにいれてある。彼女は真っすぐ車をいれることができない。キッチリいれないと2台の車は止められないのだが、それができないのだ。
ああこんな作業も必要なくなるんだなあ、車を止め直しつつ漠然と考える。彼女は斜めに車をとめても困らなくなるわけだ。
車を2台ガレージにいれて、玄関をあけると、キッシュの匂いがした。
彼女は珍しくエプロンをつけていて「ケイトがキッシュをくれたの。今オーブンであたためてるわ」
ケイトのキッシュの為に地下のワインをとりにいった。キッシュなら軽めだろう、そう思った。
思いつつ笑った。
こんなこと、考えるのもあと数日だ。多分だけど
もう自分は耐えられそうにもないんだよ。こんな状況、生殺しだ。
忘れるんだ。日々忘れてるんだ。そんな状況耐えられない。
どこの神様も信用してない自分を助けてくれる神様なんていないのかもしれない。それでも思わず祈ってしまう。
夢だったらいいのに、ともおもう。でもこれは自分が受け入れるべき現実でしかないんだ。
どうしようもないんだよなあ』
僕はもう先が読めなくなっていた。決まった結果をよむだけなのに恐ろしくて仕方ないんだ。
ページを閉じる。そして関係ないフリをしてみる。でもすぐにページをひらいてしまう。
そんなことを繰り返しててもイミがないのにね。
考えた。考えてから電話をしようと受話器をとった。
どこへかけるか非常に迷った。松浦さんなら飛んできてくれるかもしれない(学校さえなきゃね)
でもそれじゃあ、卑怯な気もした。
じゃあどこへ?
自分はつくづく、こういうときに心から話せる友達が居ないんだって実感する。
もし、死んだのが別の友達で、もし、電話できる場所に司がいたからって、自分は電話をしてただろうか?
友達にこんな重荷を背負わせていいもの? でも司なら一緒に荷物をもってくれそうな気もする。でもそれは自分の希望的観測でしかない気もする。 そうしてほしい、のと、そうしてくれる、のは全然別なんだよな。
司が僕の事を知らないという以上に、僕は司の事をよくしらないんだよヤッパリね。
なんだかガックリする以上に一寸腹だたしい。
そんなコト、当の司がとっくに気付いていたっていうのに、どうしてこんなものを僕に寄越したんだ?
重荷でしかないのに。ヒトの思いはホントに重いっていうのに。
重い荷物を半分もってよ、っていってくるならまだわかる。
自分はイチヌケタ、そりゃないだろ?
なんだかやや腹立たしい。
そう思おうとしてるのか?
『彼女は気付かないのか気付いてるのに見過ごしてくれてるのか判らない。自分がそんなに演技が上手だという自信もないが、とにかく彼女は普段どおりにふるまってくれる。キッシュと簡単なパスタ。勿論お腹がすくので、その後、車をだして、カフェに食べにいく。
とりとめのない職場の話を延々と聞く。来月末の学会にむけての準備のハナシ。
自分が面倒みてる生徒のウワサ。3ケ月先にはフィールドワークへ行こうと思ってること。
どうやら自分が落ち込んでるコトは見抜いたらしく、一生懸命に喋ってくれてるんだと気付いた。
自分は泣きそうになった。勿論泣けるわけもないので、それからは普通にみえるように
「仕事、休めるようだったら、また日本にでもいったら?」「君も一度一緒に行けるといいのにねえ」「あんまり興味ないのよね。アジア方面研究対象外なのよ。しってるでしょ?」「単なる旅行って発想はないのかい?君はさぁ」
なんていうイツものやりとり。何百回もくりかえしてまるで台詞のようなやりとり。
本当に日本にいけるといいのに。
中原に言ってしまえば楽になるかもしれない。中原は本気で心配してくれるだろうな。
自分はこの後、どうするかは知れないけれど、中原には事実を知っておいて欲しい。常に自分を誤解していたらしい中原には最終的な自分の事実を覚えていてほしい、と思う。
彼女は気をつかうとき、ひたすら喋る。中原は黙る。そんなとこでもすでに違うけど、自分にはなんだか似た存在には違いない。
口に出すのもはずかしいがいわゆる「なくてはならない存在」ってやつだ。
自分はもう、あと何日も生きてはないだろう、とおもう。今日の昼間なんとなくだが、彼女が飲んでいた睡眠薬の残りをかきあつめた。薬効がアヤしいが、量としては到死量が確保できた。経口は失敗が多いからそれが一寸不安だ。
こんなことなら休む前に、研究室から何かもってくるべきだった。
用意するだけで多少落ち着いた。つかわないかもしれない。いやわからないけど。
彼女が黙る間もなく喋る間にも自分はそんなコトを考えつづけた』
僕はもう何にも怖くなかった。
結論はどうやっても見えてるんだ。これをよまなくてもよんでも司がいないことには変わりがないって気付いたから
でもページをめくって、あと2日。翌日からの日記は全く趣向がちがってた
『中原へ。これを中原へ残す事に今日きめたので、弁護士にそう指示しました。俺の書いた日記の全て、草稿、映像の全てを中原におくります。ここまでの日記は完全に俺個人の記録として残していたので一寸どうかとおもうんだけど、でもやっぱりそうしようと』
僕は、対決する位の気持ちで、目をつぶり、
深く深呼吸をして、まるで嘆息のように息をはいた。
目をあける。続きをみる
『多分明日、自分はこの世を去る事にします。これまでの経緯はこれまでの日記を読んでもらえれば判るとおもうけど、自分にはこの病気は耐えられそうにない。色盲の俺にとって記憶ってやつは一番大事で重要なモノなんだよ。死守しなきゃいけないナニカ。名誉にかけても守り通さなきゃならないモノ。失くなる位なら、自分で亡くした方がよっぽど気分がいいからね。
でも中原、俺はたぶんこの行動、多分だけど、後悔しないよ。
死んだら後悔もなにもないけど、でも何も感じないし何も覚えてない状態なら、死んでも病気が進行しても一緒だからね。
俺はそれに耐えられそうにない。
いつかそうなる、というプレッシャーには更に耐えられそうにない。ゴメン中原ホントゴメン。
こんなコト、中原に書き残すと、中原が嫌な思いするのは、自分も判ってます。でもやっぱり中原には知っておいて欲しいんだよね。
中原はホラ、俺を記憶してくれてたヒトだから。
俺の特別仕様を何時までも覚えててくれた。そしてそれ目指してくれてるっていってくれる。それはすごく有難い。
今の俺とどれだけかけ離れてようとも、それは「もしかしたらそう」だったかもしれない俺の可能性の道を歩んでくれてるってことだから。だからすごく有難い。そんな中原に「現実の司史郎」の経過と結果を知らせておきたいんだ。
これが、俺の今までの人生です。半分位だけど。
中原はだから、俺が居なくなった後も心おきなく「もしかしたらそう」だったかもしれない俺の可能性を進んでください。
いや、それはもう、俺じゃなくて中原だけどね。何十年も前からそうだったけど
人魚姫にとっての魔法使いが、自分にとっては科学だって例えは覚えてる? 魔法使いがかけてくれた魔法の薬の効用は一生だったかもしれないけど、科学の効用はコッチに来てからやや薄れてしまった気がしたよ。でもキッチリ弊害はあったんだ。
人魚姫はファンタジーだから、彼女にリスクはなかったけど、自分にはあった。そしてこの病気は最後の、多分大リスクだ。
自分にはこれに挑戦するだけの気力も体力ももう残ってない、とまあこういうわけだよ。
魔法は万能だけど、科学も医学も万能じゃないからね。
医者は薬で抑えてつきあえといったけど、自分にはそんなヒヤヒヤした生活は耐えらえないよ。
自分にとって「科学は最後の砦」だし、その砦を頼ってここまで来ちゃったんだからね。
よくわからないけど、やっぱりコッチにこなかったほうがよかったのかなあ? 日本にいて、中原と呑んだくれてた方がよかったのかも。 こんなモノかいてる間に、中原に電話して話せば楽になりそうな気もする。
多分中原は、病気とつきあって生きていけ、ていうとおもう。
そして俺も中原に話しちゃったら、そうすると思うよ。自分だって死ぬとおもったらかなり恐ろしいからね。でもじわじわと死を向かえるよりもずっとずっと自分にとっては楽だったんだ。こんな選択を許して下さいとはいわないけど、理解はしておいてほしい。
中原に電話したら「死ぬ気がなくなりそうな自分」が恐ろしかったんだ。決心が揺らぎそうでさ』
勿論揺らいでくれればいいのに。と僕は思った。小説を読んでるんだったらどんなに楽だろうと思いつつ、ページをめくる。
今どきちゃんとスカシのはいった紙をつかった日記帳。アトがボコボコつくほどの筆圧。
青いボールペンの文字は、几帳面に薄く印刷された線の上に並んでた。漢字とひらがなが並んでるだけなのにどうしてこんな感情なんだろう。イライラしたような泣きたいような腹立たしいような、悲しいような、吐き気もあるし頭もいたい。なんだかもうよくわからない。でも不思議と涙はそんなに出てこなかった。
『妻にも言えそうにない。彼女はこんな現実を受け止めて解決するだけの強さをもってるか不確定だから。でも女性は強いから、ちゃんと乗り越えるんだろうな、と思う。病気の事実を聞いた後、自分が死んだらそれこそきっともっと苦しむ。だから彼女にもいわない。
こっちにこなかったらこんな人生じゃなかったのかなあ?ねえ中原どうおもうよ?
俺自身はそうであってもそうでなくても、きっとそれぞれ後悔したんじゃないかとおもうけどね。
だけど中原よ
今はこの選択、間違えたっておもってないよ。後で後悔しようもないんだけどね。多分ね
ホントに天国ってあるのかなあ?そんなことばっかり考えてる。
もし地獄があるなら、間違いなく地獄行きだなあ…とか。
ちょっといったとこの中華街の旧正月のときにみた地獄絵図、色んな地獄があったけど、自殺ってやつはどこにおくられるんだろう?
忘れてしまったけど、まあこんな俺でもおとなしくそこでやってりゃ、いつかは浄化できるだろう』
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