第10話

日本にもどってきた僕はそのまま、松浦さんに連絡する。

今は東京の大学で教授の肩書きをもつ彼は、突然のそんな行動に快く答えてくれる。

成田からカバンもったまま八王子方面。

疲れてるのに、空港から車をとばした

坂をあがりきったキャンパスの駐車場にのりつけて、そっからはできるだけ早足であるいた

やや寒い秋の夕暮れ。コンクリートの打ちっぱなしの校舎がなんだか僕にたおれかかってくるようにみえた。

勝手知ったる教授室までの道、僕はただとりとめのない画像が渦巻いてたんだよ。

それでも社会人らしくノックをし、返事をまってから扉をあける。

「やあまってたよ」

松浦さんは3分刈り位の完全なる白髪頭で、メガネ。

僕が学生の頃と変わってないのは、そのニカニカとした笑い方と、1口2口でもみけしてしまうショートホープだけだ。

目で僕をソファーに案内して、サーバーのコーヒーをくれる。

「ご愁傷様」

「こちらこそ。突然すいません」

「まあ人生そういうこともあるよ」

そういってまたニカニカとわらった。


お墓まで案内してくれた奥さんに案内されて、司のうちをはじめておとづれた。

一度はこいよ、っていわれ続けて生きてる間に一度もいかなかった場所。

奥さんがあんな台詞と目つきで、僕を始終みてた理由がわかった。

遺言どおり僕には大量の日記と文章の草稿みたいなもの、司の撮った映像の全てがおくられたから。こんなプライヴェイトなもの、他人に贈る方がどうかしてる。

でも『どうかしてた』僕はありがたくいただくことにした。

勿論奥さんには「コピーいります?」ってきいたけど(断わられたけど)

奥さんは長い髪にややウェーブがかかっていて、それをキッチリとひとつにゆわいてた。

日本人ってきいてたけど、灰色の瞳とキリっとした鼻筋がどうもそれだけじゃないって語ってる。

それに、空港に出迎えにきてくれたトキの台詞がキイてた。プレゼンだったら、これでもう『ヤラれた!』ってこっちの失敗を嘆く位だ。

彼女は植物学者らしく化粧気のない顔で、僕にキッパリと… とっても冷静な声でこういってきたんだよ

「はじめまして中原さん。そして私の永遠のライヴァル、中原さん」

僕が当惑してるのをみて、彼女はちょっと得意そうな顔でコッチをみたんだ


「僕、遺言にしたがって、日記とフィルムとビデオを多量にもらったんです。これの真意ってなんだとおもいます?」

「オイオイ。俺に謎ときさせる気か?」

暫く話しているうちに空はすっかり暗くなった。

お得意のワインがすでに出てきてる。学校なのに、いいのか?

「だってわからないじゃないですか?こんなプライヴェイトなもの」

「でももらってきちまった」

「くれるってモノを断わる理由はない。司の意思ですから」

松浦さんは煙草に火をつけて、一寸考えるとこういった

「言葉わるくてスマン。中原はでも、それが欲しかったんだろ? 司がどうの、っていうのはイイワケだよな単なる」

僕は一瞬言葉につまる。

それが一番の解答になる。

「日記や映像って、作った本人の記憶の断片だ。そこに真実があるかどうかは別にしても、他人が手にいれていい類の記憶じゃないよな。ましてや奥さんにしてみりゃ当惑するしかない。しかもそんなことをおまえが考えつかない筈もない。 欲しかったんだろ?」

僕は天井を仰いだ。蛍光灯が目に痛い。軽く目をつぶるとなんとなく決心がつく

「……やっぱりそうおもいます?」

「だろ?やっぱそうだろ?」

松浦さんの声が『ビンゴ!』って言ってる気がした。あたっちゃったのが悔しい位だけど、他人の目がみた客観的事実ってやつはかなり正確なんだ。


「彼の目はいつも観察してたんです」

と奥さんは僕にいった。

「私はある意味、それに耐えられなかったの。中原さんは?」

「僕はそういう風におもったことなかったからなあ。司の目がうらやましいばっかりで」

「うらやましい?あの色盲が?」

ハッキリいうなあ…… 

「色盲、っていうより着眼点っていうか…… その観察できる目っていうか… 主観で物事を観がちな僕にはその目がうらやましかったですよ。いつでも新しいモノをみてた。いつも違った毎日を送ってることを実感してるようだったから」

奥さんのカップが、カツン、と悲鳴をあげた。

「物事には表と裏があるんですよ。彼の目はいつも他人だったわ。他人の目で、私も自分も観察してた。彼の目に観察されるのはそれはそれは耐えがたかったんです。なんで平気だったの?」

なんでっていわれてもなあ……

奥さんはやっぱりナーバスになってるのかも。ってそのとき初めて僕は思い至ったんだよ。

ああこんなコトだから、妻も娶れないんだよ僕は。

僕は返す言葉もなくて、視線だけがただ、ウロウロしてた。こんなときに何いってもきっと無駄なんだ

「彼の唯一の主観で現実は、あなただったんだとおもうわ」

そんなことないですよ、ってフォローすべきとはおもったけど、僕はその単語を口にすることが出来なかった。

遺言の品はもらっちゃいけなかったんだ。

僕が彼女に決定打をあたえてしまったんだ。


「僕は思い至らなかったんですよ。遺言の品うんぬんを話すのが、この会話の後だったら、絶対もらって来ませんでした。勿論です。彼女を傷つけるつもりは毛頭なかったんですから。でも僕は遺言の品を『ありがたく』受けてしまったんです。 日記その他には司の記憶がつまってるって、頭が思ってなくても、心がおもってたから」

松浦さんは、僕の空いたグラスにワインをそそいでくれる。フルボディのソレの赤はあきらかにドス黒い。

海外の間接照明と白熱球の中でみたら、本当に黒にみえるかもしれない。フルボディのワインの深みにはふさわしい色ではあるけれど。

「きっとその時、僕は彼女を著しく傷つけた」

「中原が、形見の品の受取を辞退すると思ってたってこと?」

「思ってたでしょう。だからあんな台詞なんだ」

「まあさ…中原」

そういって松浦さんが暫くだまってしまうものだから、僕はまた思い出してしまう。

『彼は、私にプライドも自由も財産もパテントもくれたけど、記憶はくれなかったの。それはあなたに残したのよ』

でも僕がもらったのは紙と記録であって、それは実際の記憶ではないのに。

実際、司が海外にわたってから何をどう考え行動してたかなんて、僕にはしりようもなかったし、完全なブランクでしかないのに。

「奥さんはさ…」

松浦さんの声に僕はハっとする。

ソファには座っちゃいるが、ここはあの居間じゃない。

高級そうなカーペットのかわりに、リノリウムの床。ジャガード折りのソファーのかわりにビニールレザーの肘かけ椅子

趣味のいいインテリアのかわりに雑然とした資料の山。

でもここには僕と多分司が、かなり傷つけてしまった奥さんのかわりに、話を聞いてくれる松浦さんがいるんだよ

「中原?きいてる?」

「勿論ですよ」

ホっとした。

心の底から。

そしておもった。居心地のいい場所はモノじゃなくヒトがつくるんだって

なぜだか急に

「彼女は全てが欲しかったんだよ。彼の全てが。他人と思い出すら共有できない程、愛してた…というか、そういう方法しか知らなかったんだろうね」

「そういうものですか?」

「おまえは、司のコトを、学生時代から俺や死んだ坂口にいってきたじゃないか。他にも沢山のヒトに彼の事を喋ったんだろ? そのことについて、『司の芽が他人に育つ』って中原自身が評したことがあったけど、おまえのやり口はそうだったんだよ。わかる?」

「方法が違う?」

「性格が違うのさ。彼女は肉食獣的、中原は草食獣的…いやキノコ的っていうべきか?」

松浦さんは自分の例えに自分で微笑っていた。

僕は頭の中で絵ヅラを描いてた。森をのしあるく豹のような美しい彼女。そして倒木に寄生する僕。

関係なさそうな両者が争ってきたらしい共通の司は……じゃあいったい何なんだ?

「おまえは、司の芽を他人に植えたんだぜ?植えた相手の中でそれが育ってないと思うかい? ゲリラ的におまえが配った胞子がいろんなトコでいろんなカタチで芽をふいてる。そういうコトだよ。彼女は取りつくし、食いつくした。おまえはまだ育ててるんだ」

松浦さんは目の前でただだまってる僕をゆっくりと見て、足を組み直し、それから台詞のように言葉を口にしたんだ。

「その日記と映像…記憶の断片は、おまえの育ててるキノコには必要な養分になるだろうな。司はそれが理解ってたんじゃないか? おまえに覚えてて欲しかったんだよ。友達にその任を押し付けるなんて、なんて贅沢な話なんだろうな」

こういうときに『予定調和』を何時も考えてしまう。

こういう台詞を心のどこかで待ってた自分が、ホっとしたときにだ。

でもそれをまるがかえで信じられる程、若くもないんだよ僕はもう

「彼女にその記憶を渡しても、彼女一人が喰い尽くしておしまいだもんなあ。俺でもそうするよきっと」

松浦さんは煙草に火をつけると、片手で僕のグラスにワインを足してくれた。

「俺も中原に頼もうかな?」

「やめてくださいよ。縁起でもない」

僕は全く関係ない事を頭の片隅で考えながらも、そう反射で答えてる。

ちょっとは気楽になった自分、それでいて信じてない自分、後悔してる自分、満足してる自分

そんなのが『何時ものように』ごちゃまぜなんだ。

僕はいったい、中原から何を学んだんだ?

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