第8話
司と終電がなくなるまで呑んだ。二人ともタクシーでもどる羽目になるまでね。
「ね、この店の看板はいったい何時なんだ?」「新橋のこの手の店は、朝までやってるんだ」
それをきいたらなんとなく疲れちゃってね。
お茶漬けをもらって、漬け物をお茶受けに冷えた麦茶。
カラスの鳴き出す午前3時前、異常に安めの会計をすませて、大通りの交差点前でなんとなくはなしこんでた。
信号が何度も赤から青にかわってく。
「ねえそれで、ききたかったんだけど…」
「あらたまっちゃって…」
酔っぱらいの司はなんだか陽気だ。
あの(司いうところの)モノクロでダークな高校生じゃない
「『特別仕様』は気にいってる?」
司はにこにこと笑った
「俺にとってはお前の目こそが特別仕様だったって、寸刻もいわなかったっけか?人はそれぞれが特別仕様なのさ。隣の芝生が青いだけだ。違いはそこだけだって。わかる?」
「卒業式の日にとったフィルムを覚えてる?」
「勿論」
「あれで司はいったんだよ『その実この特別仕様を気にいってるのかもしれないな』って。今は?」
「あれねー」
そういって司は笑って、照れくさそうに笑って、手にしてた缶のお茶を口にした
「緑の風景を皆と…っていうか中原の見てる緑の風景を手にいれたかったよ。それは寸刻もいったっけ? で、俺はいろいろあって当時からすでに遺伝子を目指してた。純然と、疑うべくもなく手にはいる緑色ってやつはでも、俺が最初からの記憶をなくさない限りは皆が思ってるのと同じレベルでは手にはいらなかったんだよ。それはあの当時から解ってたんだよね」
「ああ、いってたね。手にはいっても疑うだろうなあって」
司はウンと頷く
「それは緑色を手にいれる代償にしちゃあ、大きすぎるよな」
僕の反応も待たずに司はそのまま続けて話しだす。
「人魚姫の話、覚えてる?」
「勿論」
「笑うなよ? 俺ね、あれは自分だと子供の頃思ってたよ… だから笑うなって!」
「司はロマンチストだね。内藤先生は科学者はロマンチストだっていってた」
「いやロマンとかじゃなく、マジにそう思ってたんだって。規格外なのは俺がここでうまれるべき人間じゃなかった歴然たる証拠だって思ってたよ。小さい頃から、規格品の家庭じゃなかったからな〜。『いつかだれかが』『俺のいる本当の場所』を用意してくれるんだって思いたかったんだろうな。男なのに変なのはその頃から意識してたから人に言ったりはしなかったけどね」
大通りといえども夜中で居るのは客待ちタクシーだけだ。
あとはカラス。
この時間のカラスは我が者顔だ。カラスにとってみりゃ、こんな時間に出歩いてる人間なんて迷惑だ、くらいのもんだろうな。
「流石に俺もふた桁の年齢になってくると、いろいろ考えるわけだ。人魚姫のことも。
彼女は、家族も今までの社会も全てすてて男の元に走ったわけだけど、その後のリスクは考えてたんだろうか?とかさ」
司は僕が笑う前に、声をあげてわらった。
僕は笑っていいシーンなんだって、それで判断して一緒に笑った。
司はこの話も例えも消化しきってるんだろうけど、僕にはちょっとツラすぎたから。
知らないし、話さないけど、司は僕よりずっと、キビシイ人生歩んできちゃってるってわかるからね
「辛いとおもうよ。社会規範から違ってるわけで、だれにも相談しようもない。もしかしたら王子様の愛情だって数年でさめちゃうかもしれない。そうしても彼女は実家にかえりようもないんだ。何をみても新鮮っていうのは、なにをみても理解できないってことなんだってことを、彼女は人間になる決意をしたときに考えただろうか?」
「魔法使いは忠告してた気がする。覚えてないけど」
「恋する乙女は大人のいうことなんて聞きゃしないぜ? 中原の目がうらやましいとおもった俺に魔法があったら、迷わず手にいれてたかもしれないな、って心が揺らいだのと一緒だ。人魚姫の不幸だった点は、彼女はファンタジーの住人で、だから魔法使いがそばにいたってことだな」
今度は僕自らがわらった。だって落とし穴があるから
「司…ファンタジーだから、彼女はきっと一生ずっと王子様に愛されて終わるんだよ。人魚の世界と人間の世界もどっかで融合したり、交流したりしちゃうんだよ」
司は深く頷いた
「でも俺には魔法使いはいないんだよ。魔法の替わりにあったのは、だから科学だった。で、人魚姫のやくどころの俺は思うわけだ。手にいれる為に払うリスクのことを。手にいれればそれはとてつもない衝撃だけど、絶対に心と体が理解できないだろうことを。俺が緑色の色みをグレースケールから判断できるように学習したのと一緒で、ただそれを学習するだけだってことを。だから今だに『芝生は青い』ままなんだよ」
僕はゆっくりとしか反応しない頭で、ゆっくりと考える
「それは…気にいってるってこと?」
「永年かけて諦めたってこと。体が理解するには記憶をなくしてイチからやりなおせ、と魔法使いにいわれた俺は、記憶をとった、とまあこういうわけだよ」
司は得意げにちょっと、その猫背ののばして僕を改まったように見た
「だって、記憶がない俺なんてもう俺じゃない。色盲じゃない俺なんてもう俺じゃないだろ?だろ? 俺はこの目でこの家族でこの環境で、お前がいたから俺なんだ。他じゃだめだ」
僕はかなり満足だった。そのいいっぷりもその解答内容も。
僕が気にいってるその『特別仕様』を司が嫌ってないって分かっただけでも満足だ。
でもそれって本当に信じてるコト? 永年かけて諦めたっていうのは、酸っぱい葡萄理論であきらめただけ?
「新たな展開がまってるかもしれない」
「新たな展開なんていらないんだよ。展開は他人の目がいくらでも見てる。俺はそれをただ聞くだけでいいんだ。俺でなくなる必要なんてひとつもない。魔法の力でもってなにかを手にいれなくたって、学習できる範囲でいいんだ。俺は俺だからね。そうやって一寸づつ他人の目を手にいれてけばそれでいい……とまあ納得にいたるまでの時間は長かったんだけどね」
僕はもう何もいえなかった。
心の隅でやっぱり僕が望んでたことは、高校生の頃のあの司だったんだけど、それはもう諦めざるおえないってわけだ。時間はとめようがないってことだね。
内藤先生はいったっけか?
裏切られる事に対しての準備をしておきなさいって。僕は逢ってくれればそれで終わりだとおもってたけど、そこからが始まりだったってわけか。
「全身全霊俺は俺を一生涯やることにきめたんだよ。この年になってやっとそんなことを決心したんだ」
中原は暗がりでもわかる程、本当に照れていた
僕は僕をやるなんてこと考えてみたこともなかったけど、一生涯僕は僕をやるなんて根性すえたことはなかったけど
「やっぱり司は『特別仕様』だ。僕はそこまで考えた事なんてなかったや」
「欠けた五感を考える、なんて必要性が中原にはなかったからさ」
司の視線がちょっと泳ぎ、振り返った僕はビルについてる時計を目にした。
「ごめん。勤め人には辛い時間までつきあわせちゃって」
司はやっと歩き出し、交差点でタクシー待ちしてる車の窓をコツコツと叩いた
「続きはまたこんど。もう二度と逢えない訳じゃない。すくなくとも、高校の頃、俺奴が別れた時程絶望的ではないよ」
そういって握手をした。
僕はその手を離したことを、タクシーがかなり遠くにいってからも後悔した。
カラスが王様状態の街で、向こうにみえる駅にはすでに光がはいってた。
道の反対側からタクシーに乗る気で渡った僕は、駅にいくでもなく、タクシーにのるでもなく、ただ歩き続けて考えた。
いや正確には考えるマネをしてただけだ。
頭の中で情報は混乱してる。
なんともいえない感情が渦巻いてる。
自販機の側の缶入れにカラになった缶をすて、新たなお茶を手にいれる。
ひとくちで半分以上のみほした僕の口から出た言葉はこれだった
「しまった。明日休まない?って、提案するべきだったか?」
その台詞にだれでもない僕が笑ったけど。
とりあえず歩いた。
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