第3話
十数年ぶりに卒業アルバムを探し当て、住所録をたぐる。誰にしようか迷ったが、僕にとっては単位とりに選択しただけの、司の担任の生物教師にしてみることにした。
美術の教師と彼にとって印象の悪い司の思い出を語るというのは、ふさわしいキャスティングにはおもえなかったから。
住所がマンションじゃない、という理由から勝手に持ち家だと想像して電話してみることにする。
昼間なのに…
僕はどうしちゃったんだか。
でも一応、誰が住んでるかだけでも確かめられる。頭ン中でこんな言い訳を沢山考えつつ、ダイアルした
間違えないようにと、指先が緊張した。
はい…と出た女性の声にむかって僕はこういうった
「えーと内藤先生のお宅ですか?」
「………はいそうですが…」
不振そうな声。キャッチセールスだと思われてんだろうな、と思いつつ、
「えーと僕は、中原といいまして、十数年前に先生に教えていただいてたんですけれど…」
ああ。って電話の向こうの声はいった
「そうでしたか……九段の頃でしたかしら?」
「そうですそうです」
僕は会話がつながっただけでかなりうれしくなった。
「今は…多分小石川だとおもうんですけど… ごめんなさい。私も詳しく知らないんですの」
疑問は声じゃなく、感情が伝わっちゃってた
電話の向こうの声は、心無しか笑ってた
「けっこう前に離婚したんです。連絡先、申し上げましょうか?」
電話を切った僕は、しばらく放心してた。
こんなことでショックを覚える歳じゃない。現に仲間うちでも離婚しちゃった奴、数人しってるし。
でも先生って職業のひとは、そういう「家庭の事情」かかえてるって実感できないんだよね。変なんだけど、勝手に絵にかいたような幸せな…というか、教育的な…というか、いわゆる……というか。
一般的にこう、って状況なのかと勝手におもってしまいがちだ。
それが高校の教師ともなればなおさら。
でも実際のところ、規範的であたりまえっておもわれる教師もたまらんだろうなあ……
こんなこと思えるのも、自分が、いわゆる、でも一般的に、でもなくなっちゃった証拠だ
教えてもらった電話は留守電になってた。
メッセージを残した…が僕は結局、連絡がもらえるまで待てなかった。
授業の終わる時刻はおもいだせなかったが、一般的に夕方とおもわれる時間に小石川高校に電話して、内藤先生につないでもらう。
もっといろいろきかれるかとおもったけど、案外セキュリティは甘くて、こっちの身分すら訊かれやしない。
かなり肩スカシだ。
問題はつながった先生が僕を…というかせめて司を覚えてるか、だったが、それも問題なく…
「ああ九段の42回生ね。覚えてるよ。君達の代はとても個性的だったし、その翌年からあそこコース制学校になっちゃったからね」
というわけで、いきなり司をきりだしても問題ない状況だった。
僕はクドクドと司史郎と友達ということをアピールし、そして連絡先を教えてもらいたいと言った
「あー。家に戻れば連絡先位はわかるとおもうよ。年賀状を数年前にもらった覚えがある…とはいっても、出てくるかが問題だけど……… あーちょっとまってね。わかるかもしれない…こっちに持ってきちゃったノートのどれかにあるとはおもうけど…」
僕はもういてもたってもいられなかった。
「よければ、そっちへいって探すの、手伝ってもよろしいですか?」
一瞬の空白。マズったか?
「切羽つまってるんだ?事情はわからないけど。 まあおいでなさい。小石川高校の生物教官室だ。今くるかい?」
話のわかるひとだ。
僕は「お願いします」とだけいって、電話をきると、タクシーをとばし、1時間後には、その教官室にいた。
自己紹介しつつ、生徒手帳でももってくりゃよかったと、後悔し始める。いくらなんでもアヤしいよな。
「司史郎ねえ。あいつにこんなに熱い友達がいるなんておもってもなかったよ…ほら、どっか達観したやつだったでしょ?九段って、なにごとにも熱い奴がおおかったから、うちにクラスではちょっと浮いてたんだよね」
記憶の中の先生は、眼鏡じゃなかった気がする。年齢もあるだろうけど、もっとシャープな目つきだった筈だ。
一緒なのはその、キリキリときりつめた短めの髪だけだ。
「実際の所、司が連絡もなしに引っ越した後、彼の事は記憶としては覚えてたんですけど、無理して会おうって程じゃなかったんですよ。だから僕も一生懸命じゃなくって…」
生物教師らしくヨレた白衣。これは昔と一緒だけど、あの頃の先生はもうちょっと、ダンディだった気がする。白衣と同じようなヨレた雰囲気だった。離婚しちゃったから?いやこれも年齢ってことなのか?
「ああ、じゃあ君も、熱いって程ではなかったんだ」
先生は段ボールから、日誌とかかれたビニールカバーのノートを沢山取り出す。
ああきっと、これのどこかにかかれてるんだ。
説明もないけれど、先生のペラペラめくる態度でわかる。僕も断わりもなしに、一冊を手にとり、調べはじめた。
「…で?司君の連絡先がわかったら、どうするつもりなんだい?」
「いやとりあえず連絡を」
手をやすめることなく会話の続きがはじまった。
とおもってた…
「向こうがあいたくないっていったら、その時の心構えはしとくべきじゃないかな?」
僕は心の中で、口笛をふいた。
このひと、こんなにシャレたことを言うひとだったけ?
勿論あの頃はあきらかに落ちこぼれの生徒と先生というだけの関係だったから気付かなかったんだろうけど…
そっくりだけど他人ってセンはない?……ないか…
「ありますかね?そういうことって」
「あるでしょう。ヒトにはいろいろ事情ってヤツがあるからな」
そうそう。先生が離婚したみたいにね。
「そうですね。司が連絡もなしにいきなり引っ越したのだって理由があるんだとはおもうんですよ。でも今の僕はそんな事情を考えてる余裕がなくてですね……」
先生は僕の顔を考えるような目つきでみた。
そのプレッシャーに耐え兼ねて僕は司のコトをはなした。すごい既視感が頭の中でよみがえる。
確か前にもこんなことをした。教室で、やっぱり司のことを…
「先生は司の目のこと、しってましたか?」
やおら話し終わったときにそう訊いた。あまりにも先生がだまっていたから
「勿論知ってたさ。担任だったからね…それに彼は試薬の区別がつかないことがあってね、美術なんかと違って実験では致命的だったよ。それでも司君は遺伝子工学を目指しててね ……ああうろおぼえだが、数年前にもらった年賀状には、それ関係の研究所につとめてるとかなんとか、書いてあったなあ…それでまあまあ覚えてるんだよ」
「じゃあ、目は…」
「治療法は今だないから治ってはないだろう。それに先端分野じゃもう、実験結果は目測なんてことはなく全部がコンピュータでの解析だからな。別に問題はないんじゃないか?」
「司は、やりたいことをやってると思います?」
「多分ね。彼は、人の意見や他人の基準なんかで動く男ではないよ。ある意味かなり利己的だったからね。ただ彼が他のコと違ってたのは、それを自分で自覚してたってことだ」
「僕に、目を疑えっていつもいってました。それを僕は形を見る目のことだと、当時おもってましたけど…」
先生の視線はノートから動くことはなかったようだけど、その瞬間、目が泳いだ。
僕はその泳ぎ方にとても懐かしさを覚えた。ああこのひとは、僕の知ってるヒトだって、それだけで思えたから。
「司君はある意味、とても大人だったのさ。だってそうだろう?ヒトはだれしも、いろいろな常識や、流行や規範なんかに無意識的に流されてて、ある一定方向に向かってるんだ。それでいて自分だけは特別である、とどっかで思ってる」
先生は淡々としていた。
でもその淡々はどっか、違ってた。僕にむかって言ってるとは思えなかった
「彼は…そうきっと、ひとりでボートにのって、その流れをわたってたんだね、きっと」
「随分とロマンチックですね」
僕はからかうともなしにそう言う。
学校っていうのは特殊な空気が潜んでて、プレゼンするときも企画書かくときも、こんな言葉は絶対選ばないような言葉を僕に口走らせる。
「そりゃそうさ。科学者はロマンチストなんだ」
「じゃあ司もきっとそうですね」
先生は軽くうなずくと、やっとこさ僕に視線をもどした。
先生はどこをみてたんだろう。
その世界は、僕にはみえる筈のない場所にあるんだろうか?
「司君は…いつも本流を流れていながら、組織って単位に属してなかった気がするな。クラスから浮いてはいたけど、別に嫌われてもなかった。私たちに無愛想だったわけでもないけど、ベタベタでもなかった。彼はやっぱりひとりだったんだろうね。君はその、彼の孤高さにアテられちゃったんだよ」
そうなのかなあ?
「組織って単位にくみこまれないでいるのは、本当に大変なんだ。そして組織って奴は思った程わるくもなくてね…最小単位は家族だね。 私はもう、捨ててしまったけれど」
あんまりにもアッサリ言うものだから、妙に気構えたリアクションをとらなくていいのに心が休まる思いがした。
どれくらい前に離婚しちゃったかはしらないけど、心は整理できてるんだな、ってなんとなく思えるから。
「僕も会社を辞めましたから。組織のウザったさもありがたさもかみしめてるところです。でも一人もわるくないですよね?」
先生は軽く、苦笑したようにみえた。
顔が下をむいてるので、正確にはわからないけれど。
西日はキツクさしこんで、僕の影にスッポリと先生はかくれていて、その影は部屋の中にタテ縞をつくってた。
そんな目の前の絵に、あきらかに僕は心を奪われてしまう。
そうだ僕は目でみたものに、すごく弱いんだ。それは今も昔も全然かわってないことのひとつ。
「そうだね。でも人の心は変わるものだよ。それも覚えておくべきだ。今はそうおもっていても、後で後悔するかもしれない。今後悔してることでも、後でいいとおもうかもしれない」
先生はまた、僕をみてなかった。
僕奴はそれをきっかけに、だまってノートを繰っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます