第2話
僕は司にあいたかったが、どうしていいかもわからなかった。
手元には昔の住所しかなかったし、高校時代の友人は数人しかいなかったし、そのうちの1人とやや連絡がとれる程度だった。
思い立って実家にもどって昔の写真をあさったが、あまりいい写真はでてこなかった。
数人でとった写真の司は、僕がおもってたよりもずっと大人びた表情で、快活そうに笑ってる。
私服の学校だったから、格好はバラバラだけど、司はやっぱりキチンとした格好で写ってるんだよな。
高校生の無軌道さがないスキのないファッションだ。
そんなこと今だから観察できるけど、当時はなんも、思ってなかったなあ。
隣の10数年前の僕は、ただのTシャツにジーンズだったりするのにね。
シャープな印象の顔つき。メタルフレームの四角いメガネに、やや茶色の髪、茶色の瞳。
この目は特別仕様で、違う色の世界をもってた筈。
今ならその世界を語る言葉を司が探しあててるかもしれない、とフトおもった。
大学生の僕は、美大ですら、なんだかやや浮いていた。
へんなヤツはおおかったが、美術科などにくらべれば、マトモなヤツがおおいデザイン科だった所為もあるけれど。
いわゆる大学生生活ってやつになじめなかった僕は、大抵地下にあるシルクスクリーンの実習室で、美術科の坂口と、版画家でシルクの講師をやってる松浦さんとダラダラしてた。
溶液のガソリン臭と、シンナーくさいインクの匂がだから、当時の服にはシッカリこびりついてた。
他人には、授業以外ではかなり近寄りたくないといわしめた(とくにデザイン科のひとたちなんかにはね)その教室で、
僕はなにかにつけて、違う世界の事を話してた。
目を疑う事を
「いやわかるけどさ」
というのは坂口の口癖だ。わかるけどさ、とはいってるけど、その実全然納得はしてない。
坂口は僕より2ツ程上で、しかもアニキぶるのが好きなタイプときてて、その説教は果てしなく長い。
「自分の目ェ疑ってたらどうしようもないドロ沼にはまんない?じゃあ、なにを信用するわけよ?」
「疑ってはいるけど、信用はしてるよ。だって僕の目がみてるのは僕の目がみてる範囲しかないわけで……えーじゃなくて」
松浦さんは殆どボウズの頭をニカニカしなからなでて、僕を助けてくれる。
「坂口さあ、判断基準の問題なんだよ。おまえがつくってるモノを全ての講師がいいとおもってるワケじゃねえけど、おまえは作りつづけるだろ?でもおまえにだって迷いはあるわけだ。でもそれでも作るんだよね。疑いながら信じてる」
さすが大人だ。とはいっても5つ程度しか違わないけど。
でも微妙に違うんだ
僕は今日こそ、この二人に『わかってもらおう』って思ってた。
「いや。僕がいいたいのは、僕がみてるのは、本当に他のひとと一緒かどうかって確認がしたいわけ。それが特別なものであればなおいいけど」
控えめすぎた表現だったかな?二人とも首かしげちゃってる。
司だったら『特別仕様』のひとことですむけれど
「他人と一緒だったら、そりゃそれでまずいでしょ?だって俺達は芸術を志してるんだしさ」
「中原にはそれ重要かもしれないな。デザインの善し悪しって所詮世の中に出回ってる量で決定されてる部分って多いにあるし、他人と同じ眼……この場合は価値基準ってのかな?…をもっていつつの個性ってやつが多分必要なんだ。デザイナーにはさ。そういう意味では、必要かもしれないなあ」
僕は、坂口と松浦さんの解答、ひいては自分の説明力不足にやや落胆し、慎重に言葉を選ぶ。
「いや、そういう抽象的な話でなくて…僕がみてるコレがちゃんと他人にも同じものとして認識されてるかがしりたくって…」
この話っていえばいうほど、抽象的に、面倒になってくのかもしれないなあ…とふとおもって、もっとガックリした。
で、最初からはなすことにした。
司のことを。
「なるほど。でその特別仕様にあこがれて、中原はここまできちゃったんだ」
「いやここにきたのは、司の所為じゃないんだ。それは前からの僕の希望。ただ、司にあって価値観がかわったってだけ。モノをみるってことに疑いをもったのは彼の所為なのは間違いないんだ」
坂口はチェリーに火をつけた。
こんなガソリン臭のするところで、絶対イカれてるっておもうんだけど……
「いいとかわるいとか、そんな問題以前じゃない? 僕にとってそれまで色盲の世界なんて想像もしてなかったんだ。赤は赤に緑は緑に、誰にもそうみえてるんだとおもってた。でも司は訓練でそこを補完してたんだよ …じゃあ僕のおもってるコレが同じ色だっていいきれるか?ってこと」
これをきいて、二人ともがだまってしまったのにはかなりマイった。
僕、そんなにヘンなこときいた?この考えってやっぱりどっかヘン?
クラスの奴には勿論、親にすらいったことのない問いかけだし。
「…そうだなあ。そういわれると俺も自身ないや。多分そうとしかいえないなあ」
「疑った事はないけど、所詮脳が解析してるただのデータでしかないから、いろいろあるんだろうなーとはおもう。色盲ったって、眼はみてる筈なんだよね。脳が処理しきってないだけで。そこも不思議だよな。で、その司君ってひとに緑がどうみえてるか中原はきかなかったの?」
「きいてみたよ。説明できないってはぐらかされた。その通りだとおもうよ ……でも実際はどうなんだろう。僕は今だにそれが気になる」
「聞いてみりゃいいじゃないか。もう一度」
「きこうにも…もう行方がわかんないんだよ。最後のコメントで僕がわかってるのは、司がその特別仕様を実は気にいってるらしいってことだけだ」
ふーん、と松浦さんは言った
坂口は、なるほど と言った
僕はプレッシャーに勝てなかった
「僕はきっと…その特別仕様がうらやましいんだと思う。多分そういうことだと思うよ」
多分としかいえない。でも常にそう、だったらどう思うかなあ?
僕はフっとそんな会話を思い出す。
一緒だった坂口は、院に進んでからすぐに学校から飛び降りた。理由はまったくの不明だが、途中から写真に転校したヤツは印画紙の特殊焼き付けに凝ってたので、多分その薬品の所為でラリってたんだろうって、皆はいっていた。
「あれだけのガソリン臭の中で平気だったんだぜ?そんなわけないと俺はおもってる」
今は同じ大学でとうとう助教授になった松浦さんはお通夜の帰りにそういっていた。
じゃあなんで?
その時の僕は動転してたので考えもしなかったけど。
就職を選択した僕に坂口がいったことを思い出す。
「特別仕様はもうあきらめちゃったわけ?」
きっと坂口は特別仕様を目指してたんだね
その代償が死だったのかもしれないなああ……ちょっと美化しすぎか
実家に戻った僕は、実家にいたころの時間にひきもどされてる。
勿論体も考えも戻りはしないんだけど、感覚がもどってきてる。
遥か下の階層に位置してたアーカイヴが一番上の階層へやってきちゃってる。
ああそうか。
司と一緒だった頃の僕、大学生の頃の僕は、多分僕の人生で一番多感でグラついてたんだよな。
そのグラつきは、自由につながってて、特別仕様まであと一歩だったんだ。
その扉の先に司はまってたはずなのに、僕は気付きもしないで逆もどりしちゃったわけだ
僕は胸の底がじわーんとあったまる感触を確かめて味わってた。
絡まった糸をほどいた感覚、忘れていた問題の解答がここにある。
ああやっぱり
司に会いたいなあ、って思った。
この感情を報告したい。いわれたって司だってこまるだろうけど…
誰かにいいたい。できれば司のことを説明しないですむひとに。
僕はじわじわ考えた。
考えて、思いついたのは高校の頃の教師だ。
これなら連絡つかなくったって調べられる。
僕は密かにウキウキした。
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