いつかは海にでる

エイカカイエ

第1話

「ほらココ。ココがややゆがんでんだよ。これとこれの関係なおしてやれば、断然良くなる」

『へたくそ』な要素が取り払われると、僕のデッサンはだいぶよくなった。

「なるほどー。それがわかんないんだよなー」

「あー訓練もあんね。それより君の目はいろんなコトにだまされすぎてる」

これが司の口癖だった。


選択授業で2年後期から一緒だった筈なのに、僕はまったく認識してなかった男は司と名乗った。

たまたま美術で一緒になっただけの司と僕はいきなり仲良くなった。

僕は人見知りをするタチなので、司の所為だとわかる。司がなぜ近寄ってきたのかはもう記憶にない。聞いた覚えもない。

司のデッサンの腕は(僕なんかにはもう)精密描写の域で、先生は司の絵を『上手すぎる』といって嫌っていた。上手で何が悪い、とおもうのだが、現代美術指向の高い彼のセンスには合わないデッサンなんだろうな、とはおもった。

当時美大を目指していた僕にはそれがとてつもなくうらやましかったけど。

司が先生に文句をいわれると、僕は僕のことのようにムカついた

司はでもいつも『しかたないよ』といって笑っていたけど。


夏休みになる寸前に友達になった僕奴は、休みの間も学校で待ち合わせして、よくダラダラと一緒にあそんでた。

すでに高校3年。そんなヒマじゃないのに。

勿論親にはいえないわけだけど……

司はカメラがすきで、デッサンがすきで、8ミリビデオがすきだった。

18に手がかかった男がふたりよりあつまって、学校そばのデカい公園へデッサンへいく。

かなりシンキくさい。

僕にはいい勉強になったけど、司にはどうだったんだか。

そのころ、美術系の専門学校にも通ってたけど、司の目にはかなわなかった。

司はいつも、僕のデッサンのユガミを指摘してくれる。

その目は鋭くて、本当に、そこを修正するとダンチでいいデッサンになるんだ。


「ああそうか、って気付くか気付かないかの差なんだよなー」

「それが問題なんだよな。モノのカタチがとれないんだよね。司の目はやっぱスゴイや」

僕は暑さでベタベタしてきちゃったTシャツをパタパタさせながらそういった。

司は涼しい顔をして、日差しを浴びていた。

で、ニッコリともニヤリとも判別つかない顔をした。

「中原は自分の目にだまされてんだよ。君の目はいろんな情報を拾いすぎだ。デッサンに必要ない情報までもね」

「そりゃだって、司だって…」

「俺の目は特別仕様だぜ?なにせ色がよくわかんねぇんだ」

あまりにもサラっといってのけるから、一瞬意味がわかりかねる。

「……ってそれって…」

「そう色盲。初めてだろ?」

そんな必要ないのに、恐ろしかった。で、興味深かった

「いるんだ…」

「いるさ。日本人の男の5%は色盲だっていうぜ?正確には先天性赤緑色盲っていいます」

なるほどー

そのいいかたに妙に納得。

「世界はモノクロームなんだ…」

「みんなそういうけど、そうでもないんだよ。赤と緑の区別がつきにくいんだ。同じ光の波長だからね。科学的根拠にたよると、青や黄色は普通にみえてるらしいよ」

僕はそのいいっぷりにやや苦笑した

「科学的根拠って……」

「いやだってそうだろ?俺がみてる色と中原のみてる色が同じだって確証はもうゼロなんだ。俺には赤も緑もみえてはいるけど、それは少なくとも君のみてる色とは違うんだよ?だとしたら、青と黄色だって正しい色かどうかはわからない」

「んー。そういっちゃえばそうかー」

「そうなんだ。ちいさい頃俺には赤も緑も感覚としてわからなかったけど、それは学習してまなんだので、身についてるよ。ただ、間違いなく中原のみてる緑とはちがう色を俺はみてる。俺には色の情報は学習でしかないんだ。わかる?」

そのわかる?はどれにかかってるのか、僕は悩んだ。

勿論いってることはわかる。

でも理解はできなかったから。

だから、ハイともイイエともいえなかった。

「なおんないの?」

「色盲?無理だねえ…治療方法はないらしいよ。でも世の中には遺伝子治療ってやつがでてきたから、期待ができないワケじゃない。しぬまでにみてみたいねえ。この緑の景色ってやつを、みんなと同じ絵としてさ」

司の目は目の前の景色なんてみちゃなかった。そんな目をしてた。

でも僕は…究めて近い所しかみちゃない僕は聞いたんだよ。

「ねえ司。こんなこといって気ィわるくしたらゴメン……でもしりたいんだ。この緑の景色はじゃあ、どう見えてるワケ?」

司は視線を僕までもどして、こういった

「中原がデッサンのユガミを見つけられないのと一緒で、俺にそれを説明する言葉はみつけられないな」

別に嫌なカオするわけでもなく、そういった。

そりゃあそうなんだろうけど……

その時から僕は目を疑う事をしはじめたんだよ。


司はいった

「いいか?君は色の情報にダマされてカタチがとれてないんだよ。カタチだけみるんだ。それも一番単純なカタチを。それさえ見つけられれば、パースは狂わないさ。肉付けはそれからだ」

僕はこの言葉だけを信じてデッサンのテストに望んだ。

そして地方の美大に合格した。

司は国立理系に合格したものの、第一志望ではなかったので、浪人するらしい。

僕奴が遊んだ最後の日は、卒業式の翌日。

司は前日から、学校やクラスメートや卒業式自体すら、ガンガン、ビデオに収録してってた。

目の前の公園に行き、僕を木の下にたたせると、なにかいえ、と強要する

僕はしばらく考えて、こういった

「僕の最高の先生、司へ。君がいつかおなじ色をみれることを祈ってます。夏には戻るから又遊ぼう」

司はカメラをかまえたまま、いった

「いざ同じ色がみれるようになっても、俺はきっと多分疑うだろうね。『本当にこれが緑なのか?』って」

撮られたまま僕は反論する

「だって、直るんだったら、同じ緑がみれるだろ?」

「いや、その実俺は、この特別仕様が気にいってるのかもしれないな」


初めての一人暮し、美大には変わったヤツがおおく、地方のゆっくりとした時間も割となじんだ1年の夏、戻ってみたら、自宅には、僕の部分が収録されたビデオが届いてて、司は行方不明になっていた。

電話がかわってるから、住所をたよりにいってみたら、もう引っ越してた

一度いったことのある司のうちは、川崎まであと1歩のマンションだった。

司とは連絡がとれなくなって、そのまま音信不通になった。

でも部屋にもってかえったビデオを僕は幾度となくみかえした。

特別仕様の目はどんな絵をみてるんだろう。そればっかりが気になった。


大学を出て、大手代理店のデザイナーとして就職し、それから東京に転勤になるまで、僕は美大のそばの古い鉄筋コンクリートの部屋から移動しなかった。面倒だったから。

東京に転勤になってしばらくして、僕は転職するべく会社を辞めた。

実家のそばの広めのマンションの部屋で、ゴソゴソと10年ちょっとため込んだいろいろなモノがつまった段ボールをやっとひとつづつ、片付けはじめた。

箱のそこからでてきたビデオのラヴェルの懐かしさに見とれる。

再生なんてしてみなくても、絵もオトも思い出す。

司は僕に教えてくれたんだよ。目を疑う事を。

ああそうだ。僕は司にあわなくっちゃ。

突然だけど、強烈にそう思った。

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