錬金術師と吸血鬼
シンが所有する屋敷は町の高台の端にあるという。
地図を開くとルヴィリアは羽を広げた鷲のように見えるのだが、その嘴のあたり――富裕層の中でもとくに格が高い、昔ながらの貴族しか住めない区画である。
夜の路地を歩く中、アルフレッドは内心でほくそ笑む。このままうまくシンに取りいることができれば、錬金術師としての成功は約束されたようなものだ。もはや居候どころか、新たな工房を借りるための資金をかすめ取ろうという腹である。
しかし通りを外れあぜ道に差しかかるころになると、アルフレッドはひとつ問題が発生していることに気づいた。
……シンとの距離がやけに近い。並んで歩いているというより、べったりと張りつかれていると表現したほうが適切である。相手が貴婦人ならともかく若い男となると、なんとも言えない微妙な気分になってしまう。
男が好きという男に、偏見があるわけではない。寄宿学校時代にも何人かいたし、中にはアルフレッドに言い寄ってくるものもいた。しかし彼自身にそちらの趣味はなく、どころか女好きがたたって学友に殴られるほどである。
気に入られる程度なら支障はないが、それ以上になってしまうと誘いをかわすのに難儀する。現にシンは馴れ馴れしく肩に手を置き、薔薇のような芳しい匂いが漂ってくるほどの距離で、こんなふうに話しかけてくるのだ。
「この先は舗装されていないし、ガス灯がないから夜は危ない。君がうっかり転んでしまわないように、手をつなごうじゃないか」
「言うほど暗くないから大丈夫だ。そういや今日は満月だったな」
夜魔の群れを目撃したときの記憶がぶり返し、夜空をあおぎながら眉根を寄せる。頭上にばかり注意を払っていたからか、言われたそばから雑草に足を取られて派手にすっ転んでしまった。静かな夜道に響き渡る、シンの笑い声。
「だから意地を張らないで。ほらお嬢さん、お手をどうぞ」
「気色の悪いことを言うな。……ってお前、なんでこんなに手が冷たいんだ」
「そのぶん心がぽかぽかと暖かいからさ。胸を触って確認してみるかい?」
アルフレッドは無言で起きあがると、握っていた手を払って再び歩きだす。うっとおしくておべっかを使うのを忘れていたが、シンはこちらのぞんざいな反応すら楽しんでいるようだ。なおも挑戦的な目つきでクスクスと笑っている。
この様子では金目当てで近寄ったことも見透かされているかもしれない。アルフレッドは今になってようやく、目の前の青年が厄介な存在であることを察しはじめていた。知らず知らずのうちに狩りをする側から、狩られる側に変わっていたような気分である。
自然と歩幅が広くなり、捕食者の目をした同行者から距離を取ろうとする。最初のうちはにこにことしていたシンも次第に顔つきが険しくなり、
「からかって悪かったよ。その先の道は本当に危ないから、足を止めてくれ」
「そんなふうには見えないけどな。蛇か猪でも出るっていうのか?」
「いや。待ち伏せしているものたちがいる」
意味がわからず、シンにきょとんとした顔を向ける。しかし直後、あぜ道の先から物音が響き、脇に広がる雑木林の中からいくつもの人影が飛びだしてきた。
その数、ざっと四人。一糸乱れぬ動きだが、ダンスのお誘いでないことは確かだった。全員が真っ黒な外套と頭巾をまとい、幅広のナイフを構えている。
こういうとき、アルフレッドの判断は早い。
すぐさまシンのそばまで駆けより、怪しげな連中に向かって声を張りあげる。
「こいつが狙いなら好きにしろ。俺はここで起きたことは誰にも言わない」
「清々しいほど薄情なやつだな君は。しかし自分のほうがご指名されている可能性だってあるんじゃないかな?」
馬鹿げた話だ。他人に命を狙われるようなことをした覚えはないし――いや、ゴルドック商会の連中が電話を盗用した件について、あとから訴えられないように口を封じようとするってことはあるか。
嫌な予感がして向き直ると、主格らしき男は感情のない声でこう言った。
「そっちの貴族に用はない。だが金髪眼鏡、お前は死んでもらう」
「ああ、もうっ! 今日はなにやってもうまくいかねえなっ!」
刺客たちはシンにわき目も振らず、まっすぐ迫ってくる。アルフレッドは舌打ちしながら踵を返すと、腰に下げていた懐中時計のリューズを引っ張り、思いきり地面に投げつけた。
次の瞬間、まばゆい閃光がほとばしる。
周囲は真っ白に染まり、刺客たちはたまらずよろめいた。その隙に、アルフレッドは脱兎のごとく走りだす。隣を見れば、シンが飄々とした笑みを浮かべながらついてきていた。
「さすがは錬金術師。あんな魔法が使えるなんて驚いたよ」
「マグネシウムを使った炸薬だ。派手に光るだけで殺傷力はない」
今にして思えば、全身を吹っ飛ばせるような爆弾を仕込んでおけばよかった。護身用だし逃げる時間さえ確保できれば十分と踏んでいたのだが、刺客たちはすぐさま立ち直ると一気に距離を詰めてくる。背中に蒸気タービンでも積んでいるのかと思うほど、足が速い。
「せめてほかに武器があればな。お前、ナイフかなんか持ってないか」
「銃ならありますけど。汚れると嫌なので使いたくありません」
問答無用で引ったくる。
これでもかというくらい宝石が散りばめられた代物で、呆れるほど重い。実用性皆無のちゃちなやつかと思いきや、中身はしっかりシングルアクションの回転式拳銃だった。アルフレッドは振り向きざまに狙いを定め、間近に迫っていた刺客に向けて発泡する。バタバタバタバタと、地に伏せる音。
脅威が去ったと見るや足を止め、アルフレッドは片手で眼鏡の位置を直す。
「軍人の家系だったもんでな。ガキの頃から死ぬほど鍛えられてきたのさ」
「なるほど、知れば知るほど興味深いひとだね。とはいえ気を抜くのはすこし早そうだよ。彼らはまだまだ、遊び足りないようだから」
アルフレッドがぎくりとして向き直ると、刺客たちがのそのそと起きあがろうとしていた。狙いは正確、頭に命中したやつだっていたはずなのに。
恐怖を後押しするように冷たい夜風が吹き、真っ黒な頭巾がめくれていく。そこにあったのは人相の悪い男たちの顔ではなく――灰色の毛に包まれた獣の頭。
「冗談じゃないぞ……。なんでこんな連中に狙われなくちゃならないんだ!」
「忘れたわけじゃないだろ? ここはルヴィリア、神様以外ならなんでもいる」
狼男たちはくぐもった笑い声をあげた。本で得た知識が正しければ、彼らを倒すには普通の鉛玉ではなく、純銀製の銃弾が必要だ。とはいえそんな代物が、都合よくあるとは思えない。向こうもそれがわかっているからか、一転して余裕たっぷりに構えている。
アルフレッドはだめもとで、シンに問いかける。
「この場を切り抜ける手はないか。狼男に腹を裂かれて死ぬなんてまっぴらだ」
「君が泣き叫びながら食われる姿を、見たくないかと言われたら嘘になるね」
「冗談はやめてくれ。いや、本気で言っているのかお前は」
見ればシンは心底、今の状況を楽しんでいるようだった。倒錯趣味のクズ貴族め……と罵りたいところではあるが、最初にこの男を見捨てようとしただけに文句も言えない。所詮は知り合ったばかりの間柄。断頭台に向かう罪人を救いだそうとするほど、絆を育んでいるようには思えなかった。
「しかしどうしても、というなら助けてあげよう。もちろん対価はいただくけど」
「この期に及んで贅沢は言わない。命以外ならなんでもくれてやるさ」
「いい子だ。君にとっても幸福な選択になるよう心がける」
シンはそう言いながら、優しく頭を撫でてくる。
あとでどうなろうと命が助かるなら安いもの、と思いたいが、とんでもない間違いをおかしたのではという不安のほうが強かった。目の前にあるのは子犬をプレゼントしてもらった少年のような、嬉しくてたまらないといった表情だ。
アルフレッドの戸惑いをよそに、シンは羽織っていたカフタンを脱いだ。タイトな黒いスーツだけの姿になると、背丈は自分と変わらないのにずっと手足が長く、肩幅も広いことがわかった。同じ人間とは思えない――そう感じさせるほどの引き締まった体躯だ。
ほかに武器を隠しているようには見えないが、この窮地をどう切り抜けるつもりなのだろうか。丸腰のまま、狼男の群れを退治できるわけもあるまいに。
「君たちはよそから流れてきた若い群れのようだね。金のためにはるばるルヴィリアまで越してきたとなると、気高き人狼たちもよほど困窮しているように見える」
「なぜそこまでわかる?」
「私の顔を見ても呑気に構えているからさ。礼儀を知らぬものは、長生きできない」
シンがすっと腕を伸ばす。次の瞬間、狼男たちがぐっとうめき声をあげた。見えない手に頭を押さえつけられているかのように、片膝をついてぷるぷると震えている。
この世ならざる存在である狼男たちが、得体の知れないものに出会ったような顔で相手を見つめている。アルフレッドにいたっては恐怖を通り越して、よくできた演劇を見せられているような気分だった。
シンの瞳が爛々と光っている。血のような赤、燃えるような赤。スーツに施された煌びやかな刺繍も呼応するように輝きはじめ、全身が蛍火のような淡い光に包まれている。
よくもまあ、本質を見抜くなんて言えたものだ。コーヒーハウスで意気投合し、チョコレートドリンクを奢ってくれた青年は、気前のいい貴族などではなかったのだから。
――吸血鬼。
ある意味では錬金術師の理想を体現する、不老不死の化け物。
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