吸血鬼と人狼団
「君たち人狼種の窮状については、私としても憂うところではある。本来であれば恐れられ崇められる立場でありながら、今や路地の暗がりの端っこに追いやられ、餌を求めて飼い犬のごとく尻尾を振っているのだからね」
「貴様! 我らの一族を愚弄するつもりか!」
「発言の許可は出していないよ。まったく、これだから田舎者は」
シンがため息を吐いた直後、べちゃりといやな音が響いた。口を挟んだ狼男の姿はもはやなく、路地にはチョコレートドリンクをこぼしたような黒い染みが広がっている。
アルフレッドはうめき声をあげそうになるのをぐっとこらえた。自分が今までどれほど危うい綱渡りをしていたかを、今さらになって思い知ったからだ。
「しかし当然の帰結とも言える。君たちは数百年と生きてきた中で一度でも、なにか価値のあるものを生みだしたことがあっただろうか? かよわい人間たちが荒れ地を田園に変え、山岳にトンネルを掘り鉄道を敷き、巨大な風船に乗って空を飛ぶようになるまでの間、昔ながらの野蛮な暮らしを続けていたのではないかな」
「そ、それは……」
「理解せよ、神話の時代は終わったのだと。今や私ですら彼らの知恵に屈服する始末。そう、なによりも敬うべきはチョコレート。よもや生き血より甘美なものがあろうとは!」
ことの成り行きを見守りながら顔をこわばらせていると、シンは茶目っ気たっぷりにウインクを返してくる。おかげでどちらがこの男の本質なのかわからなくなってきた。アルフレッドを騙すためにずっと気さくな青年を演じていたのか、それとも狼男たちを脅しつけるために今、情け容赦のない化け物を演じているのか。
一方の狼男たちは、本来の標的であるはずのアルフレッドのことはすでに眼中にないようだ。骨が軋むような音を立てながらよろよろと立ちあがると、優雅に腰に手をあてているシンをにらみつける。
「貴公が名高きルヴィリアの王と知らず、非礼を重ねてしまったことはお詫びする。しかし我らが滅びゆく種であったとしても、一端の矜持はある。こうも侮辱されて引きさがるようなら、それこそ犬と変わらぬではないか」
「ならば爪牙をもって示せ。価値なきものは、火に焚べるのみ」
狼男たちは四つんばいになり完全な獣の姿に変じると、身がすくむような遠吠えをあげて吸血鬼に向かっていく。三対一、しかも同じ化け物同士の戦いとなればあちらが有利なはずである。しかしよほどの勝負師でも狼男側に賭けることはなかったはずだ。誰が見てもあきらかに、存在の格が違う。
彼らはシンに触れることさえできなかった。飛びかかろうと足を踏みしめた直後、地面からバッと火柱があがり、瞬く間に夜空の月まで届きそうなほどの勢いで燃えあがった。三頭の獣は踊るようにもがき、断末魔の悲鳴をあげながら灰となって散ってしまった。
アルフレッドはその惨状を眺め、呆然とした。
恐怖からではない。助かったという安堵からでもない。常人であればそういった感情を抱いたかもしれないが、この男は根っからの錬金術師なのだ。
発火材はない。燃料もない。なのに猛烈な火柱があがり、一瞬にして獣たちを焼き尽くした。途方もない熱量。いったいどこから? わからない。自分の常識が、錬金術師として培った知識のすべてが根底から否定された。長い時間をかけて積みあげてきたものを、横から笑いながら蹴倒されたような――敗北感。
「すまない。気が昂るといつもこうなんだ」
ふと我にかえると、シンは青年の姿に戻っていた。しかもどういうわけか、気恥ずかしそうな顔をしている。アルフレッドは相手の心情がよくわからないまま、条件反射的に「ああ」とうなずく。そのあとで頭の冷静な部分が状況を分析し、
「いや、頼んだのは俺だからな。おかげで助かったよ」
敬語を使うべきか迷ったものの、結局くだけた口調を貫くことにした。この手のタイプは他人行儀に接すると、むしろ機嫌が悪くなるのを知っているからだ。
「私が怖くないかい? 泣いて漏らして逃げたりしないかい?」
「ちょっと待て、そんなこと気にしているのかお前」
「だって、嫌われたら悲しいじゃないか」
そう言われて、アルフレッドはようやくこの男のことを理解した。気さくな青年も容赦のない化け物も、両方ともシンの本質なのだ。陽気で好奇心旺盛で、ついでにチョコレートが大好きという、悪い冗談のような吸血鬼。
「真面目に考えるのが馬鹿らしくなってきたな……。いいか? この世の神秘を探究し、我がものとするのが俺たちの本分なんだ。お前みたいなふざけた存在をいちいち怖がっていたら錬金術師なんてやってられねえんだよ」
「素晴らしい! 君はまさしく私が求めていたひとだ!」
なぜか感激されて抱きつかれたので、アルフレッドとしてはうっとおしくてたまらなかった。しかし抵抗する気力が残っておらず、お気に入りのぬいぐるみのようになすがままにされてしまう。
シンが微塵も怖くないかと言えば嘘になるし、実際のところ内心では今もヒヤヒヤしているところはある。ただ今は、好奇心のほうが勝っていた。なにせ相手は不老不死の化け物、錬金術師にとっては垂涎の研究対象である。危険な綱渡りであったとしても、気に入られておくぶんには損はない。
とはいえその気にさせすぎると面倒だから、やはり誘いはのらりくらりとかわしつつ、適切な距離で接するのが無難だろう。ひとまず今晩は屋敷に泊まらせてもらうが、朝になったらさっさと退散して――と考えていたのだが、
「では対価をいただくとしよう。君は今日から私のものだ」
「ちょっ……待て! 話が急すぎやしないか!?」
「命以外ならくれると言ったじゃないか。ならばそれ以外のすべてをもらう」
アルフレッドは言葉に詰まった。困ったことに相手の言いぶんが正しい。
それでも逃げだそうともがくのだが、当然のようにびくともしない。
「常々考えていたことがある。チョコレートをたらふく飲ませたあとに生き血をすすったら、はたしてどんな味がするのだろうかと。甘いのかな? 苦いのかな? 錬金術師としての見解を聞かせてくれ」
「血の味がするだけに決まってるだろ! ていうかチョコレートが欲しけりゃチョコレートを飲め! わざわざ生き血をカカオ風味にする意味ねえだろうが!」
「一理あるね。ならば純粋に、君という男の味を楽しむとしよう」
言うなり、シンは首筋にかぷりと噛みついた。そのままじゅるじゅるちゅぱちゅぱと、お行儀の悪い音を立てて生き血をすすりはじめる。
痛みはない。あるのは頭の芯が痺れるような感覚と、身体の内側をわしづかみにされたような快感だった。思わず生娘のように甲高い声であえいでしまい、それを聞いたシンが耳もとでふくみ笑いを漏らす。アルフレッドの顔は屈辱で真っ赤に染まり、罵倒の言葉を浴びせようとするのだが、力なくよだれが垂れるだけでうまくいかない。
そうこうしているうちに視界がかすみ、意識が朦朧としてくる。コーヒーハウスのチョコレートドリンクも、自分に飲まれているときはこんな気持ちでいたのだろうか。
アルフレッドはどろりと溶けだすように膝から崩れおち、そして失神した。
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