第4話 犬耳とバリトンボイス
“もしかしたらこれは夢かもしれない。” この言葉は、人が理解できない事が起こった際の現実逃避の為のフレーズである。そしてモバを再び操作して消えてしまったメイドを見送る八坂の内心でもあった。
どうして部屋が一瞬にして変わったのか、そんな疑問の答えをなんとなく察したが信じられる訳がない。瞬間移動だなんてどこのバトル漫画だ。喉の奥まで出かかった言葉を飲み込んで、ちらりと先ほどの青年に目を向けてみる。青年は頬杖をついてない方の手でひらひらと手を振り、隣においでよと誘うその姿のあざとい事。
「えっと、失礼しますね」
「どうぞどうぞっす」
青年の顔面偏差値も相まって、ジャ◯ーズを彷彿とさせる爽やかさも備えている。悪くいえばチャラそうというのが最初の数十秒で抱いた感想だが、その割に笑顔がふにゃりとしていて柔和な雰囲気も感じさせる。八坂が今まで接したことのないタイプだった。
そんな青年はじいっと隣に座る八坂を見つめて、犬のような耳をぴるぴると細かく動かしたかと思えば尻尾をゆらゆら動かす。その表情と仕草は相手に対して興味津々です、という心情をありありと表しているようだ。
「……コスプレですか?」
思わず口から出た疑問に青年はキョトンと首を傾げる。八坂は慌てて「あ、すいません!すごく似合ってるんですけど気になってて……!」と謎のフォローするが、青年は特に気にした様子もなく、ああこれっすか?と自身の耳を指差した。
「やーそれがわかんなくて。死んで目覚めたらついてた的な?」
「へえ……。え、うん、うん!?……し、死ん、で?」
「そうっすよ!……あれ?もしかして気づいてなかった感じっすか?」
「……」
その沈黙は肯定とも否定ともとれるもの。引き攣った愛想笑いのまま八坂は固まり、視線が泳いだかと思えばゆっくりと顔を俯かせる。
「まあ、その……やっぱりそんな感じなんだなって思いました」
実はなんとなく思い当たる節はあった。
起きてメイドと出会った直後こそ何も覚えていなかったが、思考が鮮明に覚醒していく中でチラついていた映像がある。それは八坂が倒れた瞬間から始まり、泣きじゃくる後輩の涙が顔に落ちるまでの僅かな時間のこと。職場の人たちの甲高い悲鳴。冷たい床と駆け寄る誰かの足音と振動。そしてカッターシャツに皺が寄るほど心臓を抑える己の手。全て断片的な感覚と映像だったので、自分の身に起こった記憶だと断言するまでに至らなかったのだが。
「……そっかあ……私、死んだんだ」
青年の一言、たったそれだけでなぜか確信してしまった。それは確かに存在した出来事で、夢という都合の良い理由で片付けられないものであることを。
八坂は手を力強く握りしめて、皮膚に爪が食い込む。この空間が都合の良い夢の世界ではないと、痛覚がそれを示していた。
「……まあそんなもんだよね」
しかしどうしてだろうか。八坂の心は静かに凪いでいて、パニックになることもなく淡々とその事実を受け入れる。顔を上げてふっと口元を緩ませる八坂に、青年は目を見開いた。
「随分とあっさりしてるっすねぇ。今死んだこと自覚したんでしょ?」
「自分でも驚いてます」
何故だか自分が死んだことが遠い昔に思えて。八坂はそう言ってふうとため息をついた。
実際に八坂は死んでからここで目覚めるまでの期間、別の空間にいたのだがそんなこと知る由もない。それに八坂はもとより切り替えが早い人間でもある。やっと自分の置かれている状況が一つ判明し、静かにそれを受け入れただけのことであった。
「オレも最初はびっくりしたっすよ。魔女に石にされたかと思えば、使い魔の魔犬に粉々に砕かれて」
「…………あ、はい」
「石になってたから痛みはなかったんすけど即死しちゃって!あれ生身だったらグロいことになってたっす」
「はい」
「パーティーのみんなは逃げられたんすけどね〜。いやー残念残念」
「はい」
「んで目を覚ましたら変な部屋にいて、さっきのメイドさんとは別の人にここに連れてこられたっていうか。貴方が新しくここで働く方ですねーなんて言われて頭おかしくなったかと思ったっすよ!」
「はい」
「……聞いてます?」
「はい」
「あんたの名前は?」
「はい」
「あ、だめだこりゃ」
八坂はスンッと表情を無くし言葉もどこかへ行ってしまった。言ってる意味はわかるのにわからない。数秒経って、ああそういう設定かな?と投げやりな結論を導き出して無理やり納得した。八坂の友人が中学生の時に書いていた一冊のノートを思い出す。今となっては友人の黒歴史と化した『前世の設定集』と呼ばれる呪物。まるでその中に示された設定のようだなあと。
「まあ嘘なんすけどね〜」
「……は、い?」
「どういう反応が返ってくるかなーって思って。つい冗談言っちゃいました!」
「あ、やっぱりそうですよね!びっくりしましたよ、一瞬本気で信じちゃって」
「信じてた奴の顔じゃなかったっすけど。完全に“あ、こいつ厨二病だわ”って顔してたんすけど」
「厨二病?」
「えっ」
八坂はオタク文化に疎い傾向があった。友人の影響で勧められたアニメや漫画は見るものの、どっぷりと浸かっていたわけではない。そのため青年の発した単語に首を傾げ目を瞬かせる。その逆で青年は二次元の世界に浸っていた“そっち側の住人”なので、自分の常識が通用しない事に軽いショックを受けた。
「ま、まあそれはさておき!オレ、土木系の会社で働いてた一般人っすよ」
「そうなんですか」
「休日に山で山菜取ってたら、デカめの犬に噛まれちゃって。そんでその犬がヤバい菌持ちだったみたいでそのまま病気になって死んじゃったんすよ〜」
「いやそんな軽いテンションで話す内容じゃないですね!?」
「内容が重ためなんで、テンションを軽くして釣り合いを取ってます」
「すごい理論ですね……?」
「そんであんたは、」
「お疲れ様です。皆さんもうお集まりのようですね」
どう死んだんすかと言いかけた青年の声が途切れ、静かな空間を裂いたのはバリトンボイス。空気を振動させるその発生源に青年と八坂は顔を向けて、
「こっ……!?」
ぽかんと口を開けた。
「それでは今から新入社員研修を始めましょう」
突然この部屋に割って入ったのは、子ども。それもランドセルを背負っていてもおかしくないくらいの背丈だ。しかしその見た目にそぐわないのがなんと言っても声。低く重厚感と深みのある声は、子どもらしからぬ色気を放っていた。
「えっと……」
「なんですか?」
柔らかい曲線の頬はゆるりと上に上がる。線の細く儚げな少年だ。透き通ったブルーの上に、スパンコールを散りばめたような斑柄の白い模様が髪を彩る。それはまさに快晴のウユニ塩湖。絶景を姿に映したとも言える少年の神々しさは二人を押し黙らせた。
「時間になったので始めましょう。失礼、こちらに座らせていただきます」
少年は机を挟んで二人の正面の席に座る。座る前に椅子の高さを調整していたが、その姿に初々しさや微笑ましさは存在しない。ピンと張った背筋と身に纏う黒のスーツは子どもを通り越して会社の重役にすら見える。少年の仕草の一つ一つにも一切の無駄がなく、余計に緊張感でこの場を支配するその存在。
綺麗だとか可愛いとかそんな言葉は似合わない。どちらかといえば神聖と荘厳。そんな二つを織り交ぜた少年は二人を見据え、口の端を吊り上げた。
「まずはお二人とも、この度は説明もなしにこの場へお連れしたこと大変失礼しました。……色々聞きたいこともあるでしょうし、資料を見ていただきながら説明させていただきます」
少年はスッとどこからかモバを出して机の上に乗せて操作する。3、4回ほどタップした後、机をトンと人差し指で突いた。すると資料をまとめた紙束が呆然とする二人の前に現れる。それは先程メイドが消えていなくなった時の様な、瞬間的な事象だった。
「ああその前に、私の名前はバルナと申します。以後よろしくお願いいたしますね」
「はあ、よろしくお願いします……?」
「……ふーん」
「ではまず、ここがどういうところか説明しましょう」
それは今二人が最も知りたい情報であった。ぱっと資料から顔を上げれば、バルナの瞳に八坂の顔が映る。バルナは二人に柔らかく微笑みながら言葉を続けた。
「ここは死後の世界です」
部屋の隅、名も知らぬ観葉植物は静かに佇む。それはバルナの心地よい低音を吸収したかのように葉先を少し揺らした。
「……それで?」
先程八坂と話していた時よりもワントーン低い声だった。青年は目を細めてふうんと喉の奥から声を出す。
その真意はわからないが、先ほどまでゆらゆら揺れていた尻尾はぴたりと静止して耳もピンと立たせていた。
「そしてあなた達には今日から我が社で働いていただきます」
鈍い輝きを放つ銀の瞳を細め、その視線は二人を射抜く。途端に伸ばした背筋が凍りつき、真っ直ぐに見つめられた視線が恐ろしい生物に感じて冷や汗が伝う。
「いや、いやその、いきなりそんなこと言われても」
「そうっすよ。何の説明もなしにいきなり働けって?そんなの引き受けるわけないじゃないっすか」
「そうですよ……!」
「生憎オレお人好しじゃないんで。まじ意味わかんねーし、あと状況説明もしてほしいっす」
困惑と冷淡。温度差は違えども同じ主張をする二人にバルナはにっこりと、柔らかい笑顔を返した。
「そうですよね。だから今この場をお借りして説明させていただこうかと」
「説明したところで働かないっすよ」
「いいえ働きますよ。絶対に」
即座に切り返された言葉。言葉の鋭さと表情は、あたかも確信しきった様子である。断らせないというよりは最初からそれ以外の選択肢など存在しないという様な声色だった。
八坂はこの様な場で積極的に発言するタイプではない。そのため青年が思っていたことをズバズバ言ってくれて内心助かったとすら思っていた。
「……んーじゃ、とりあえず聞きますけど。っていうか今更だけどあんた子どもっすよね?」
「子どもじゃありせんよこう見えて。ここへ勤めてもう38年目になるので」
「さっ!?」
特に不快ではなさそうな様子でバルナは微笑む。
なるほどそれだけ勤めていればこの風格は納得だよね。いや待って中身何歳だよ。ていうか青年君ほぼタメ口じゃん、いや私の時もそんな感じだったけど。あと上司って、上司って……ここって会社か何か?ていうかほんと声どうなってんの!?と八坂は心の中で忙しなくツッコミを入れ、顔を引き攣らせた。それは犬耳の青年も同じで二の句が告げない様子である。
「資料の一枚目を捲ってください」
急に真面目になった空気に押されて二人は言う通りにする。紙を捲れば資料が四分割で表示されており、それぞれに数字が振られている。この通りに読めということだろうか。
「命あるものは、亡くなれば魂だけの存在になります。そしてその魂はどこに行くのか。……知っていますか?」
「どこに……?」
「死後の魂は大きく三つの行き先があります」
一つ、消滅。
それは名前の通り世界から完全に消えゆく道。
二つ、残存。
それは肉体が滅び、魂だけの存在となってその世界を彷徨う道。
三つ、転生。
それは新たな肉体を持って新たな生命として生きる道。
「皆さんはこの二番目に当てはまります」
二番目の資料に書かれている説明をなぞりながら、バルナは淡々と続けた。
「え、でも身体ありますよ」
「ああそれは仮のものです」
「……んん?」
「生前の姿を模した殻……といえばわかりやすいでしょうか」
バルナ曰く怪我をしても血は流れずすぐに修復される。眠気や疲労感を感じても、病気にはならないし死ぬこともないとのことだ。
「綺麗なゾンビ的な……?」
「あんたの感性すごいっすね」
つい口に出してしまった八坂に青年が呆れ顔でツッコミを入れる。普通この場でゾンビという単語は出さないだろうという意味を込めて。二人のやり取りを軽くスルーして、話を戻しますねとバルナは進行を続けていくことにした。
「そして生命を終えた魂がどうなるかは、個人が選べるものではありません。魂の形によって決まってしまうのです。努力や才能なんてものでは決して変えられません」
「つまり、転生したいけど魂が消滅か残存タイプだったら無理。消滅したくても残存が転生タイプじゃそれはできないって感じ?」
「はいそうです」
「……なるほどねぇ」
そりゃ残念と青年はため息をついた。実は青年的には死んだら転生したいと思っていたのだが、どうやらそれは叶わないと知ってしまったが故のため息である。
「……ん?」
「どうしましたか」
「あの、私たちが二番目なのはわかったんですけど……ここ私の世界じゃないですよね?」
瞬間移動したメイドや、モバと呼ばれる近未来の技術、そして見た目と中身が釣り合わない少年。八坂のいた世界ではあり得ない光景であった。八坂の声は段々と尻すぼみになっていったが、バルナはそれすらも微笑ましいと言わんばかりの慈愛の篭った視線を向ける。
「はい。仰る通りここはあなた達がいた座標……ああいえ、世界とは異なります。普通は自分の世界に留まるんですがね、あなた達の魂の形は特別なのでこちらの世界へお連れしました」
「……特別?」
「私たちは常に人手不足で人材を探しています。しかしこの世界へ来られるのは、たった一握り。いやそれ以下かもしれません。だからこの世界へ来られる素質のある魂は、見つかり次第ここへ連れてきてるんです」
「えっ!?」
昨今のブラック企業も真っ青な案件である。つまり条件に該当する人材を片っ端から連れてきているということで、それはある意味奴隷ではないのかと八坂は戦慄した。グレー企業からブラック企業に転職なんて御免被りたい。
「んで?働かされるっていうのはどういう理屈なんすか」
バルナのどっしりと落ち着いた雰囲気とは対照的に、青年は先程から刺々しい態度を隠そうとしない。顔だって段々と不機嫌さを増して眉間に皺を寄せている。八坂の前で見せた柔和な雰囲気はどこかへと消えてしまったようだ。そんな彼の二面性に軽く恐怖を感じ、少し距離を置いた方が良いのではないかと八坂が心の片隅で思うくらいには。
「先程説明した通り、魂には三つの道があります。その中で注目してほしいのは三つ目の“転生”です」
「生まれ変わるってことっすよね」
「はい。その通りなんですが……時折問題が発生するんですよ」
「はあ」
「通常であれば自分の世界で生まれ変わるのです。己の世界で再び魂と生を受けて、また人生を歩む。……しかしたまに自分の世界ではなく別の世界に、記憶を持ったまま転生することがあるんですよ」
「え」
「しかもただの転生ならマシです。問題なのは新たに生を受けることなく、肉体もそのまま一緒に移ってしまうことがあるんです」
「えマジ!?ヤバくね!?……ごほん、それ転生というか、転移の方が正しいと思うっすけど」
「実際そんな感じですね。おおよそ皆さんのイメージ通りかと。……とにかくそう言った存在を我々は転生者と呼んでいます」
あなた達の世界の小説でもよく見られる現象ですよね、と言われて青年はは心当たりしかなかった。『あ、進○ゼミで見たやつだ!』ならぬ『あ、ラノベで見たやつだ!』と。
逆に八坂は盛大すぎる設定にもはや付いていけず、ただただ閉口するばかり。
「おーい生きてるっすか?」
「……ハッ。はい大丈夫です問題ありませんよ、ええ、はい」
「ダメそうっすね……まあいいか。それで、その転生者が何か関係してるんですか?」
バルナはスッと人差し指を一本立て、それを口に当てて瞳を細めた。
「簡単に言うと我々の仕事は、異世界へ移った転生者の支援をすることなんです」
2.5次元の弊社より 〆々 @simesime04
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