第10話

 それから一年が過ぎた。

 私は毎日ピアノ漬けの日々を過ごしていた。

 あれから父がどうなったのか、私は知らない。あれ以来一度も会っていなかった。お母さんは何も言ってこないし、おばあちゃんからも連絡はこない。

 毎日病気と闘っているのか、すでに天国行きのバスに乗って、もうこの世にはいないのか、私にはわからない。

 どこかで幸せに暮らしていることを、私は願っている。


 この日私は、専門学校の友達の紹介でアルバイトの面接に来ていた。ピアノ教室の講師のアルバイトだ。違うバイトを選択してもよかったけれど、私は『無限のバス』の中からそのバイトを選んだ。


「小田真里さんね。おだまり! って言われない?」


 ここのピアノ教室の経営者である坂口さんが、履歴書に目を落としながら笑った。


「はい、よく言われます」


「やっぱりねぇ。珍しいわよねぇ」


 あはは、と私は愛想笑いを返した。


「えっと……お母さんと二人暮らしなのね。お父さんはどうしてるの?」


 その質問をされたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。いつもならその手の質問にはすぐに返答していたけれど、私は少し考えてから、にっこりと微笑んでこう答えた。



「私のお父さんは、どこか遠い場所で、バスの運転手をしています」

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無限のバス 森田碧 @moritadesu

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