第5話
何日も休むわけにも行かず、週明けの月曜日に私は重い足取りで学校へ向かった。
翔くんとは同じクラスなので、毎日顔を合わせるのが辛い。私が振られたことを、きっともうクラスの皆は知ってるんだろうな、などと考えているうちにバス停に着いた。
数分後、時間通りにバスはやってきた。私は俯いてバスに乗る。
「発車致します。ご注意下さい」
一番後ろの座席に腰掛けると、父の声だ、とすぐに気がついた。
私はため息をついて、窓の外をぼんやりと眺めた。
「ありがとうございました……ありがとうございました……ありがとうございました……」
父は、降りる人全てにお礼を言う。
うざいなぁ、と思っていると「他にお降りのお客様はいらっしゃいませんか?」と今まで聞いたこともないアナウンスを父はした。
数秒遅れて私は気づいた。ここは私が降りるはずの停留所だ。私としたことがうっかりしていた。
「降ります!」と私は叫んで、急いでバスを降りた。
「……ありがとうございました」
背後から声が聞こえ、バスは走り去っていった。
危なかった。あのジジイ、たまにはいい仕事しやがるなぁ、と少しだけ見直してやった。
バスが残していった排気ガスに咳き込みながら、私は学校までの道を歩いた。
翔くんと別れた学校生活は、しばらく気まずくてゲンナリしていたけれど、それも一ヶ月も経てば平気になった。
私はその後も、テストで赤点を取って落ち込んだり、ピアノの先生に褒められて舞い上がったり、友達と喧嘩して落ち込んだりと、浮き沈みの激しい高校生活を送っていた。
偶然なのだろうけど、私が落ち込んだ日の次の朝は、必ずと言っていいほど父が運転するバスに当たっていた。
私の住む北国では、冬になるとバスがたびたび遅延する。雪のせいで三車線道路は二車線に変わり、二車線道路は一車線に変わってしまう。
その日もバスは十五分ほど遅れてやってきた。車内は暖房が効いていて暖かい。出入り口付近は寒いので、私は後方の席に腰掛ける。
いつだったか、赤ちゃんに文句を垂れていたおっさんは、バスが遅れたことに対してもぶつぶつと文句を垂れていた。
「ごめんなさい。財布を忘れてしまいました」
私がバスを降りる時、支払いの列に並んでいると前方で女子高生が運転手に頭を下げていた。私と同じ制服を着ているので、同じ高校の、たぶん後輩の子だろう。その子は泣いているようだった。お金を貸してあげてもいいけど、私は今月は金欠で、確か百円すら財布にはなかったはずだ。彼女に救いの手を差し伸べる者は、一人もいなかった。
「今度、まとめて払ってくれればいいから」
運転手はその子に優しく声をかけた。運転手は言うまでもなく、私の父だ。
「え……え……いいんですか?」
少女は狼狽しながら言った。ありがとうございます、と頭を下げて彼女はステップを駆け下りていった。
ふん、どうせマニュアル通りなんでしょ、などと思いながら私はICカードで支払いを済ませ、どしどし音を立ててステップを降りた。
翌朝、その日もバスは少し遅れてやってきた。今日も運転手は父だ。
「昨日はありがとうございました。これ、よかったら召し上がってください」
バスを降りる時、昨日財布を忘れてしまった少女が、父に小さなチョコレートを渡していた。そういえば今日は、バレンタインデーだったのを思い出した。渡す相手がいないので、私には関係のないイベントだけど。
「あ、ありがとうございます」
父は一瞬驚いたあと、顔を綻ばせて両手でチョコを受け取っていた。
ふん、デレデレしちゃってだらしない。でもまあ、若い子にチョコ貰ってよかったね、と内心思いながら、私はICカードで支払いを済ませ、軽やかにステップを降りた。
その翌週にピアノコンクールが行われた。翔くんが来てくれると言ってくれた、あのコンクールだ。当然彼の姿は客席にはなかった。私の演奏の出来もイマイチで、入賞はできなかった。
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