第17話 見たくもないキスシーン


「…………!」

「……」


 帰り道、俺の前には二人がいる。

 談笑している。

 その二人は俺に気づいていないと思う。二人は男と女で、三谷光正と倉世だ。俺は放課後までもこんな事に費やしいている。

 他人からすれば馬鹿馬鹿しい事と思うだろう。

 楽しそうに語らって、仲睦まじく二人は並んでいる。それを後ろから見ている俺は言い訳を並べている。

 

「帰り道が同じだけだ……」

 

 だから何もおかしくない。

 偶然、倉世達と帰る時間が重なっただけ。別に後を尾けているわけではない。

 

「隠れる必要なんかない」

 

 などと言いながらも俺は彼女たちから顔の判別のつかないような距離を保っている。

 

「…………チッ」

 

 楽しそうに笑っている三谷光正を見ると、余計に腹が立ってくるのを感じる。お前が何でそこにいるんだと叫びたてたくなる。そこは俺がいた場所だ。奪い取ったお前が、ヘラヘラと幸せそうに立っていて良い場所じゃない。

 

「落ち着け……探し出すんだろ」

 

 三谷光正の汚点を。

 アイツの粗を。

 こんな所で終わらせて良いものではない。この怒りをこんな事で終わらせる訳には行かない。理性をなくして殴り飛ばすだけはダメなんだ。

 

「…………」

 

 二人が立ち止まった。

 気がつけば随分と家の近くまで来ていた。俺も立ち止まり、物陰に隠れる。二人の話し声は微かに聞き取れる。音として認識できる程度のもので、意味を理解できない。

 

「……たは、先生……の……」

「……ましょ……か」

 

 何を話している。

 

「…………」

 

 三谷光正は首を横に振る。

 何もわからない。

 

「こ……は…………」

 

 話が終わったのか、倉世は名残惜しそうな顔をしている。三谷光正が背を向けて去ろうとして倉世が背を追いかけて。

 俺には全て見えてる。

 ここから倉世たちのやり取りは完全に見えている。話している内容は分からずとも、何をしているのかはわかる。

 だから、これは俺が見てはならない物だと直感的に理解して……ただ、目を逸らすことができなかった。

 

「────」

 

 倉世から三谷光正にキスをした。

 

「なん……っ」

 

 下世話な事だと罵られても仕方がない。人の恋愛を覗き見るなど最低だ。そしてそこに割って入るなど下衆と取られてもおかしい話ではない。

 動けない。

 三谷光正への敵意の全てが最大にまで高められ、そして同時に空虚な物となった。倉世から、三谷光正にキスをした。

 恋人の様だ。

 いや、恋人なのだろう。

 分かっていたはずだ。あの時の倉世の顔からこうなっていた事を想像できたはずだ。

 俺と倉世は幼馴染で、俺は倉世の事を良く分かっていて、顔を見れば通じ合うものがあったから。

 

「やめろ……」

 

 足が動かない。

 怒りも嫉妬も確かにある。だというのに、悔しさが、悲しみが何よりも強く心を支配して俺の膝を折る。

 

「やめろ」

 

 この距離、この声量。

 届くわけがない。俺はどうすることも出来ないくせに小さく願うばかり。

 

「倉世……何で」

 

 何で忘れたんだ。

 何で思い出せないんだ。どうしてソイツの隣でなによりも幸せに笑うんだ。

 

「そうだ……忘れてるから」

 

 だから、騙されている。

 倉世は三谷光正に騙されている。彼女は被害者でしかない。そう言い聞かせる。そうでなければおかしい。でなければ、俺は壊れてしまいそうになる。

 

「そうだろ。お前のせいなんだろ……俺を忘れたのも、全部」

 

 そうだ。

 忘れていなければ、倉世が三谷光正とあの様な事を……あんな、事を。

 先程見た光景が脳裏に焼き付いている。何度も再生できる程に。幸せな顔をしている二人がキスをするシーンが見える。

 

「クソ……! クソがッ……!」

 

 自分の家が近いと言うのに、俺は逃げる様に走った。どこへ向かうかも分からない。ただこの場を離れたくなった。

 

 呼吸が乱れるのを感じながら走って、走り疲れて立ち止まって近くの公園に入った。

 

 日が暮れて、空がすっかり暗くなってから俺のスマホに着信が入る。母さんからだった。どこで何をしているのかと心配そうな声が聞こえて、俺はベンチから立ち上がった。

 

 帰らないと。

 

 ゆっくりと歩き始める。

 ここがどこだか分からない。街灯が照らす中をフラフラと歩いて帰る。

 

「…………」

 

 落ちている空き缶を蹴り飛ばす。


「ハッ」


 少しだけスッキリする。

 追いかけてまた蹴る。サッカーボールを転がす様に蹴って、また僅かにスッキリする。

 

「死ね」

 

 乾いた笑いと共にそんな呪詛が漏れた。

 

「死ねよ……!」

 

 紛う事なき俺の心だ。

 俺の中に溜め込んでいた殺意が吐き出される。


「死ねッ!」


 暴力的な衝動で蹴り飛ばした空き缶が暗闇に消えた。遣る瀬無い。心にモヤモヤが募る。

 余計に腹が立った。

 

「クソ! クソ!」

 

 一人でいる事で鬱屈としていく。俺は気分の悪いままに家に向かって歩く。これで良いのだと……そう思う事にする。

 だって、望んでいたんじゃないのか。

 一人で抱え込んで、三谷光正を憎むことを。そのために篠森の手を振り払ったんだ。だから今の状況は、受け入れるべき物だ。

 

「ハハハ……」

 

 馬鹿馬鹿しくなって笑った。アホらしい自分だ。月を見上げて、星の輝くのを見て俺は息を吸い込む。

 

「クソッタレがぁ……!」

 

 どうしようもなくムカムカする。

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