第16話 No thank you

 

 俺の事は学校中で噂になっていた。

 教師が緘口令を敷こうと人の口に戸は立てられない。思春期の学生は特に秘密というものを守るという能力が欠落していると思う。

 

「…………ああ」

 

 だが、今の俺にとってそんな事はどうでも良かった。居心地の悪いと感じるよりも、三谷光正への怒りに燃えていた。

 必死だった。

 周りを意識するよりも必死になることがあるから。

 

「…………」

 

 感情的になり視野狭窄状態に陥っている俺には他者の評価を気にする余裕がない。どうやって三谷光正の全てを引き摺り出すか。そんなことばかり考え、校門を通って生徒玄関に入る。

 

「よ」


 いつもの様に声が聞こえた。

 謹慎中にも玄関で聞いていた声だった。


「…………」

 

 上履きを取り出してから振り返る。

 

「どうしたの? 怖い顔してるけど」

 

 立っていたのはやはりここ最近で見慣れた篠森だ。彼女も今、学校に着いたのか。自らの下駄箱を開けて上履きを取り出した。


「何かあった?」


 心の中に一瞬、光が差した様に思えた。

 

「……別に」

 

 話せば楽になるのかもしれないと思いながらも、俺はこの感情を吐き出す気になれなかった。

 言葉にして怒りも恨みも洗いざらい吐き出した瞬間、誰かが共感してくれた瞬間に「これで良かったんだ」と満足してしまうと思ったのだ。

 

「何でもない」

 

 だから誤魔化した。

 

「何でもないって……何かあった顔してる」

 

 俺はポーカーフェイスが上手くない。自信があるとも考えてない。だから誰にだって分かるだろう。恐らく、今の俺はただならぬ顔をしている。


「別に」


 表情を取り繕う術を持たないままに、言葉だけはそう伝える。

 

「ほら……話せば楽になるかもしれないし」

「大丈夫だよ」

 

 俺は楽になる事を求めてない。

 今はこの苛立ちを溜め込む事を求めている。これが必要なのだと思う。彼女の優しさを頼るつもりがない。

 

「あのさ。私じゃ、頼りないかな……?」

 

 篠森は不満そうな顔をして俺を見ていた。どうしてそうなる。

 

「そういう事じゃない」

 

 関係ない。

 頼れるか頼れないかじゃない。

 これは結局、俺が三谷光正を恨みたいだけなんだ。この恨みを外に逃さない為に閉め切っているだけの話だ。篠森がどうであるかは理由にはならない。

 

「私は……」

 

 何かを言おうとした篠森を遮って、俺は声を発する。

 

「違うんだ。別に、篠森がどうとかじゃなくて」


 そう、純粋に。


「これは俺が、そうしたいだけだから……構わないでくれ」

 

 突き放す様な言葉を選んでいた。

 俺は篠森の顔から逃げる様に背を向けて教室に向けて歩き出す。ネガティヴになれば良くないとわかっていても、それでも仕方がないのだと。

 

「ねえ、甲斐谷……!」

 

 呼ぶ声は無視する。

 篠森が居ては三谷光正への怒りが鈍ってしまうと、俺は思ったのだ。

 

「……三谷、光正」

 

 それを恨め。そいつを憎め。俺は忘れてはならないのだ。

 忘れるな。名前を唱えて、呪詛を唱えて。俺はこの恨みを覚え続ける。フツフツと湧く怒りに浸っていく。絶やさぬように。この感情が偽物ではないのなら、覚えていなければならないと自らの心を脅迫する。

 

「ちょっと」

 

 篠森が俺の後を追いかけていたのか、俺の手首を掴んだ。

 

「構うなって!」

 

 思わず大声を出して、彼女の右手を振り解く。力強く彼女の手を払ってしまった。明確な拒絶を形にしてしまった。それがどう言う事なのか俺は分かっているはずなのに。

 

「……っ」

 

 心苦しさを覚えながらも、俺は彼女の寂しげな顔から逃げる。一瞬の映像が脳裏に焼き付いた。

 

「……悪い」

 

 倉世の記憶がなくなってから篠森には色々と世話になってる。特に精神的に。

 だと言うのに、こんな態度。救いようがない男なんだ、俺は。倉世という大切な少女の顔を殴り、心配をしてくれる少女にも最低な態度を取る。

 

「もう構わないでくれ」

 

 もう失望しただろう。

 こんな俺に、ネガティヴになりすぎても良くないとお前は言うだろうけど、俺は自分からこの道を選んだのだ。

 

「待ってよ」

 

 引き留める篠森の声が助けの手だとして、俺はそれを振り払う事にした。

 

「…………」

 

 篠森の声はもう聞こえなかった。

 このまま、俺に呆れ果ててくれればいい。そして放っておいてくれれば良い。そうしたら俺は一人になって、今の俺の怒りも恨みも、より純粋で深い物になる。余計な事に囚われない。

 三谷光正を潰す事が俺にとっての行動の理由になる。

 

「ふぅ……」

 

 短く息を吐き扉に手をかける。

 久しぶりに教室に入る。俺が入った瞬間に目が集まるのが理解できた。気にはならない。そんな物を気にする必要がなかった。

 遅れて入ってきた篠森が自分の席に鞄を置いた。俺の方を見ていた。直ぐに目が逸れた。

 

「良いんだよ、これで」

 

 そう。

 仕方がない。今の俺には篠森がいては困る。話を聞いてくれる友人がいては困る。自分の殻に篭り切って、膨らませていくのがいい。

 

「これで」

 

 一人で考え込む方が堕ちていける。

 グルグルと脳内を暗い思考で満たしていく。三谷光正という人間の汚点を無理矢理に探し出し、恨みにこじつけていく。

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