第15話 敬意を取り払う
「行ってきます」
母さんも父さんももう仕事に行っている為、家の中には誰もいないが取り敢えずと声をかけてから家を出て、鍵を閉める。
「……眩し」
久しぶりに朝のこの時間に家の外に出る。太陽を見上げたのも久しぶりな気がする。中学生や高校生の姿がチラホラと見える。倉世も今し方、家から出てきた。
「あ」
今までなら。
声をかけていた。挨拶をしていたのだ。それができない。
「…………」
別に毎日一緒に学校に行っていたわけでは無い。バラバラの日もあった。それでもこうして会えば自然と二人で歩いていたのだ。だと言うのに、倉世は逃げ出すように歩き始めた。俺のことを無視するように。
「あ、倉世……」
そうだ、謝らなければ。
追いかけて、彼女の手首を掴む。勢いよく振り解かれる。睨みつけるような目が向けられた。俺は手先に感じる痺れに呆気に取られてしまう。
「倉世」
何とか平静を取り繕い、俺が名前を呼べば後退り。
どこまでも嫌われている。分かっていたはずだ。あの日に嫌われたことを。それでも拒絶をされると言うのが辛い。心臓を鷲掴みにされたように苦しい。
「……倉世」
「近寄らないで」
違うのだと言いたい。
だが、記憶のない彼女にこんなものは意味がない。俺の名前も忘れた彼女に、説得は出来ない。
「ごめん」
幼馴染であることを語っても納得しない。どんな物も意味を失ってしまった。
「…………」
「殴った事……悪かった」
頭を下げたまま、倉世の言葉を待つ。許しが得られるのか。
「悪いと思うなら、もう関わらないで」
返ってきた彼女の言葉に頭を殴りつけられた様な感覚になる。
「……っ」
初対面ならおかしくない。
関わりたくないと思うのはそうだ。俺だって倉世にはいきなり殴ってくるような人間とは関わってほしくない。
だから、俺も倉世と関わるべきではないのだろう。
「ごめん」
それでも俺は縋りたい。
彼女との関係が欲しくて仕方ない。俺が彼女を好きだから。僅かなものにでもしがみついていたい。そんな浅ましい考えだ。
必死に言葉を吐き出して、許しを乞うのだ。
「二度と……こんなことを」
「……ねえ、甲斐谷くんだっけ」
その言い方。その呼び方。いつもそんな風に呼ばなかったのに。今までの様に馴れ馴れしく優希って呼べば良いのに。
「私と甲斐谷くんってどう言う関係なの?」
それを倉世から言われただけで突き放されたような感覚になる。
「家が近いのは分かったけど、それだけでしょ?」
「…………」
分からない。
正直、今自分がどうしているのかわからないのだ。身体が震えている。視界がぼんやりとしている。動けていない気がする。足に力が入らない。立っていられているのかも分からない。
「なあ……何で三谷先輩だけ覚えてる」
「え?」
「倉世智世。何で親のことも忘れてるのに、三谷先輩の事だけ」
これは多分、オバさんの事を使って自分の問いを正当化しているだけだ。責め立てるようなこんな言葉を吐き出しているのは俺の感情からだというのに、オバさんが語っていたという事を盾に使っている。ただのズルだ。
俺の問いに倉世は答えなかった。
邪魔が入った。
「──その辺りにしないか、甲斐谷くん」
何で、ここにいる。
ここじゃないだろ、お前の家は。この辺りに住んでいないのに。
「三谷、先輩……」
久しぶりに見た顔に感情を抑え込む為に下唇を噛み締める。全ての元凶と思えるような男が当たり前のような顔をして立っている。
昨日に篠森にはあんな事を言っておいて、やはり耐え難い。
「あ、三谷先輩!」
嬉しそうに頰を緩めた倉世の顔が俺の心を突き刺していく。
「うん。おはよう智世」
爽やかに、奴は笑う。
ああなんだ。俺の神経を逆撫でする。この光景の全てが異常なまでに刺激してくる。
その親しさが理由か。
倉世を迎えに来たのか。こんな朝から。
「おい、記憶の事……オバさんからも聞いてんだぞ!」
お前は間違いなく、倉世の記憶に関与している。その筈だ。誤魔化すな。
「智世、行こうか」
俺を無視して三谷先輩は背中を向けて、倉世を守るように肩を抱き締めて歩き出す。
「待て! ふざけんな!」
話をする気がないのは分かった。それでも俺は三谷先輩に口を開かせたい。
俺は三谷先輩に追いついて肩を掴もうとして、倉世と目が合った。
「…………」
俺はあの日のことがフラッシュバックして三谷先輩の肩を掴んでいた手を離す。
「……甲斐谷くん。君も気をつけて学校に来るように」
柔和に笑みを浮かべて三谷先輩が行ってしまう。俺は彼等の姿を眺めて、呆然と立ち尽くしていた。
「遅刻しないようにね」
そんな声が通り抜けていく。
「待てよ……待てっての」
誰もいない。
そんなのはわかってる。届かない手を伸ばしてる。倉世が立ち止まるわけではない。
「待てっての……!」
こんなところで立ち止まっているわけには行かない。怒りを原動力に俺は突き進む事にした。
「クソ!」
憂鬱な気分になりながらも通学路を早足で歩く。信号に捕まるたびに爪先で地面を叩き、俺は自らの怒りを忘れぬように。
「絶対に、お前の全部を……」
暴き出してやる。
倉世にした全てを、俺が引き摺り出して、吐き出させる。
「三谷
先輩という敬意はなかった。明確に彼に敵対心を抱いていた。俺が自らの中で湧き上がる感情を敵意であると認めた瞬間だった。
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