第9話 包丁を握る

 

「ただいま〜」

「おかえり」

 

 オバさんが帰ってから一〇分くらいで母さんが帰ってきた。

 

「さっきオバさん来たよ」


 話す必要があったかは分からないけど、一先ず報告しておく。


「……そうなの?」

 

 帰ってくるや否や、俺がいるリビングに入ってきて冷蔵庫を開けてペットボトルのお茶とコップを持ってきて座った。

 

「料理の支度あるとかで直ぐ帰ったけど」

「……何だ。別にゆっくりして行っても良いのにね」

 

 母さんがコップにお茶を注ぎながら言う。

 

「唐揚げ、作れてる?」


 母さんも料理の準備ということで思い出したのか確かめてくる。


「今、漬け込んでるとこ」

「オッケー。何分くらい?」

 

 結局母さんも手伝うらしい。

 

「まだ全然。五分くらいだと思う」

「へ〜。じゃ、六時くらいまで待つかな。あ、着替えてくるから」

「はいはい」

「唐揚げ以外になんか作りたいものある?」

 

 作りたいものって何だ。

 レパートリーとか皆無なんだけど。作れたとしても味噌汁か卵焼きくらいだ。

 

「……いや、別に作りたいとか」

「まさか、一品だけで終わる気?」

 

 唐揚げってしか俺は聞いてない。

 

「野菜いっぱいあるから、ほら、色々作って良いから。漬け込んでる間、暇でしょ?」

 

 母さんは俺の答えも聞かずに階段を登って部屋に行ってしまう。大体、何を作れと言うのか。俺は冷蔵庫を開けて野菜を確認する。唐揚げを皿の上に直接乗せるわけにも行かないだろうから、ひとまずキャベツを使うとしてだ。

 他の野菜は茄子、ピーマン、人参、玉葱、じゃがいも。レタスにきゅうり。

 きゅうりだけでも良い気がする。

 

「何作るか決まった?」

 

 母さんが戻ってきてキッチンに立つ俺の横に来る。

 

「味噌汁?」

「……と?」

「あと何作れんの?」

「ま、茄子あるし唐揚げ揚げるなら、茄子の揚げ浸しとか?」

 

 そういうのもあるのか。

 俺の選択肢になかった。

 

「唐揚げあげる前に茄子揚げちゃって。唐揚げ先だと味移っちゃうだろうし」

 

 冷蔵庫の方に行って茄子を持って、戻ってきて台所にポンと置く。

 

「どう切れば……」

「適当にザクッと」

 

 母さんが包丁を持って慣れた手つきで茄子を切って行く。半分に切って背に切れ込みをいくつか入れて「こんな感じよ」と包丁を置いた。

 

「上手に切れたら褒めてあげるから」

「小学生じゃないんだからさぁ」

「あれ、そういえば……アンタ、包丁握るの小学生以来じゃない?」

「中学でも調理実習あったよ」


 確かにあったのだ、調理実習は。何をしたのかそこまで覚えてないし、殆どを女子が仕切っていた気もするが。


「ほとんど智世ちゃんにやって貰ったんでしょ?」


 そんな事を母さんにも言ったんだったか。


「……何で覚えてんの、それ」

 

 もう良い加減脳みそ衰えててくれ。俺の小っ恥ずかしいエピソードばかりこの人は記憶に焼き付ける。

 

「あ、あと、玉葱切ってビイビイ泣いたって?」

「泣いてない」

「あ、小学校の頃か」

「……泣いてないから!」

 

 本当にいらない事ばっか覚えててくれる。少し頬が熱い。

 

「……ほら、指危ない」

「うっ」

「猫の手よ、猫の手。調理実習で習ったでしょ」

「……こう?」

「そうそう。やれば出来るのね」

「流石に教えられれば分かるから」

 

 何でこんなに子供扱いをされなければならないのか。

 

「…………」

 

 凄い俺の手先を見てくる。

 

「何?」

「え、別に?」

「いや、そんなに見られても困るんだけど」

「目離すのが怖くて」

「…………」

 

 どれ程、俺の包丁さばきに信頼がないのやら。いや、まあ俺が母さんの前で料理したことあるの保育園の時以来かもしれない。保育園児を見守る様な気分というのはそうかもしれない。

 

「ほら、茄子切れたしもう良いでしょ」

「ま、及第点ね。時間掛かるわよね、慣れるまで」

 

 そりゃ、あんまり料理しないし。

 

「で、次は?」

「味噌汁作るなら煮干し入れてお湯沸かして出汁取って」

 

 鍋を取り出して水を入れてコンロの火をつける。

 

「茄子はアタシが揚げるから。味噌汁は任せた」

「具材は?」

「玉葱でいいんじゃない?」

 

 あり合わせで作るのが当たり前。

 

「どう、アタシの大変さ分かった?」

「……はい」

 

 母さんに頭が上がらない。

 当たり前のように食事が出たり、弁当を作ってくれたりと思うが、やっぱり大変だったのだと痛感する。俺は手際が悪すぎる。

 流石に二週間もやらされれば少しは上達すると思うけど。

 

「じゃ、あと二週間よろしくね」

「うっ」

「ゴールデンウィークもあるけど、別に晩御飯だけでいいから。ほら、アタシ優しい!」

 

 母さんが俺の方を見て自慢げに言ってくる。

 

「一日一食分……」

「そ。本来なら一日三食のところを一日一食。優しいでしょ」

 

 家事を全然してこなかった俺には、途轍もなくキツい。世の主婦、主夫に尊敬の念を抱くと共に、昨日の俺の浅はかさを呪う。

 

「頑張れ、優希」

 

 母さんが笑顔で俺を励ます。

 

「あ、あと肩揉みもしゃーす」


 忘れていた。

 二週間、料理をすることが決定した事に対して色々と考えすぎて、母さんの肩揉みをしなきゃならない事を完全に忘れてた。


「風呂掃除もしたきゃ、してくれていいからね?」


 何と言われても俺に拒否権はないと思う。

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