4月8日 16時13分
浮雲高校には普通教室が多くを占めている1号館と、音楽室などの特別教室がメインである2号館、そしていずれにも属さない文化部や同好会のための文化棟があります。
文化棟の前では毎年この時期になると、大学のサークル勧誘合戦に負けないほどの盛り上がりを見せる新入部員争奪戦が行われるとのことです。
どんなふざけた屋号だろうが活動内容だろうがだいたい認可が下りるほどの寛容な学校ではありますが、同好会として認められるのは5名以上の一般会員が条件。一般会員とはその生徒がメインで活動する同好会の会員のことで、掛け持ち会員である兼任会員と区別されています。
兼任部員がいくらいても同好会として認められないため、こうした争奪戦が繰り広げられるというわけです。
のぼりを立てたり、手作りの看板を掲げたり、コスプレをしてビラを配ったりと、各会は思い思いの工夫を凝らして会員集めに躍起になっており、そんな彼らを見ようと見物客も集まったりして、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていました。
どこのマップに移動したらイベントが発生するのかと、その辺りをフラフラしていたら、とある人気アニメのコスプレをした女子生徒がビラを差し出してきました。
「漫画研究会ですー。漫画制作に興味ありませんか? ネーム、ペン入れ、ベタ塗り、トーン、仕上げ。初心者でも一から学ぶことができます。ご案内しますので一度部室に遊びにきませんか?」
「失格!!」
「えっ!?」
「全ッ然ラブコメらしくない! 普通過ぎる! そんな普通の勧誘の仕方で普通にノコノコ付いてったってラブコメなんか始まらない!!」
「げ、”げん〇けん”とか…」
「ちくしょおおお!! あったあああああ!!」
そうなのです。
部活勧誘イベントって意外といろんなパターンがあるんです。
好きな女の子がいるってだけで入っちゃうパターンもありますし、先生から命令されて入らされるパターンもあります。
別にどんな形で入ってもラブコメって成り立つんですよね。
部活勧誘イベントに対して一気にやる気がなくなってしまいました。
そもそも僕が想定していた謎サークルからの強引な勧誘って”巻き込まれ系主人公”ですよっていう紹介でもあるんですよね。一歩間違えるとみんなの嫌われ者”やれやれ系主人公”として写ってしまうこともあります。
僕は読者に嫌われたくないので、ここは一発、自発的に行動し、能動的に物語に加わってみたいと思います。
僕は文化棟の中を歩いてみることにしました。
まるでメイド喫茶かキャバクラのキャッチのように、まんまと新入部員を部室に連れ込んでいる様子がチラホラ見えます。
当てもなく歩くのも嫌なので、最上階から順に部室の前を通ることにしました。
確か3階建てだったはずですが、さすがに入学してまだ2日目なので、結局行き止まりまで階段を登り過ぎてしまいました。
この先は屋上ですが、ラブコメの定番として何故か屋上の扉の鍵は開いており、物憂げな美少女がそこで佇んでいるというのがあります。
あと10段ほど登れば、屋上の扉が待っています。
僕はこの世界がラブコメであることを疑っていません。
そして昨晩塩原氏と話したように、今後はいたずらにヒロインを増やさないことにしています。
つまり、ここは退散するが吉。
そもそもを言えば、わざわざ勧誘されに文化棟まで来る必要などなかったのです。
まずは初期メンがどのクラブに所属しているかを確認するのが先でしょう。
文化棟にきて勧誘イベントをこなすのはそれが分かってからでも遅くないはずです。
そうと決まれば一旦は退却です。
踵を返して戻ろうとしたその時、その扉は外から開かれました。
扉から現れたのは、分厚い眼鏡をかけた、小さな少女でした。
その少女は、本を持っていました。分厚い本です。ハードカバーというやつでしょうか。
華奢な体躯には少し負担がかかるようで、その腕の中で抱きかかえられていました。
少女は眼下に、自分を見上げる男子生徒の姿があることを確認しました。
その刹那、開かれた扉の奥から、この時期特有の当たりの強い風が吹き込んできました。
ばさあっと少女のスカートははためきました。
両手は重い本に掛かり切りなので、咄嗟に押さえることもできません。
イチゴパンツでした…。
文学少女のイチゴパンツって、まんま”い〇ご100%”じゃん…。
そう思ったのも束の間、少女の華奢な体躯は強風に煽られ、ふわっとした擬音だけを残し、階下に対して前のめりに倒れかけようとしていました。
両腕は相変わらず重そうなハードカバーの本を抱きかかえたまま。
このままでは受け身を取ることもできずに階段から転げ落ちてしまいます。
「危ない!!」
咄嗟に僕は階段を駆け上り、既の所で少女の身体を受け止めることができました。
僕の貧弱な身体がこんなヒーローチックな動きができるなんて信じられません。
これも主人公補正というやつでしょうか。
「だ、大丈夫…でしょうか?」
まだちょっと危ない体勢だったので、彼女を抱いたまま、声をかけてみました。
腕の中にすっぽり埋もれた彼女の顔を覗き見ると、先ほど少女の目元にあった分厚い眼鏡がなくなっています。
おそらく受け止めた衝撃で階下に転げ落ちてしまったのでしょう。
「…え……、…と……」
突然の状況に戸惑いを隠すことなく、少女はそのまま声のした方を見上げました。
僕の腕の中に現れたのは、眩暈がするほどの美少女でした。
そこでようやく彼女が自立的に体勢を整えたので、この事件の要因となったハードカバーの本を彼女から預かり、そのまま安全なところに誘導しました。
この間、彼女はずっと黙っていました。
普通の人なら「ありがとうございました」とか、「すみませんでした」とか、変化球で「セクハラです」とか、何か一言くらいあっても良さそうなのですが、おそらくこの娘はテンプレ通りの無口系文学少女。
東〇綾というより長〇有希タイプ。
攻略方法は予習済み…ってこの世界観で可能なんでしょうか?
「…、っ…、…」
俯いたまま何か言葉を発しようとしているのは分かります。
上記3つのいずれかのセリフでしょう。
だから僕の方から動くことにしました。
「危ないところでしたね。怪我がなくてなによりです。今後は気を付けてくださいね」
少女はこくりと頷きました。
分厚い眼鏡もかけ直して表情はわかりにくいのですが、不快に感じたわけではなさそうです。
出会いイベントとしてはとりあえずここまででしょうか。
あまり深く関わり過ぎるとルートが確定しそうな気がしてなりません。
フラグは立ってしまったようですが、まだまだ挽回の余地はあります。
「それじゃ、僕はこの辺で…」
そう言って立ち去ろうとした瞬間、僕の右腕の袖に軽い抵抗感を覚えました。
振り返ると、彼女の細く小さな指先が、しっかりと僕の袖を掴んでいました。
「……待って…」
初めて彼女の声をまともに聞いた瞬間でした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます