4月8日 15時49分

大楠さんに連れてこられたのは学校の第1運動場でした。

県立浮雲高校は陸上競技兼サッカー用のグラウンドが一面、野球用のグラウンドが一面、テニスコートが二面存在し、陸上競技兼サッカー用のグラウンドがある運動場を第1、野球用のグラウンドとテニスコートが一緒になった運動場を第2としていました。

ここでは陸上部とサッカー部が所狭しと動き回って汗を流し、青春の一ページを彩っていました。

「大橋、見えるか。あそこのちっちゃい奴」

いつの間にか大楠さんから呼び捨てにされるようになっていたのですが、それよりも彼女が指さした先にある、少し赤みがかった髪をした、小さな陸上選手が気になりました。

教室ではツインテールだけど、ここではポニーテールなんだ、というのが最初の印象です。

表情こそこの遠目からは分かりませんが、短距離走で使うスターティングブロックを丹念に調整していたことから、普段の印象からは想像もできないほど険しいものになっていたと思います。

クラスメイトの長丘恵里さんは、陸上部の短距離選手としてそこに立っていました。

「天然だし抜けてるしよく転ぶし、年中ドタバタコメディアンなんだけど、トラックにいるあいつは本当にかっこいいんだ。それをちょっと見せてあげたいと思って」

「な、なんで僕にですか?」

「ちょっと気になることを聞いちゃってさ。あ、ほら、走るぞ」

普段僕はテレビを観ないものですから、練習とはいえこうやって本格的な形で競技を見るのは初めてでした。

長丘さんは調整を重ねたスターティングブロックに足を乗せ、両手をスタートラインギリギリのところに置き、クラウンチングスタートの姿勢を取りました。

緊張感がここまで伝わります。

近くにいた審判と思われる方が片手を上げ、その後思い切り下げるのと同時に、彼女はまるで野生の肉食獣が獲物を見つけた瞬間のように、コースに向かって勢い良く飛び出していきました。

―――速い。

遠目からでも十分伝わるスピードでした。

長丘さんばかり気に留めていたので気づかなかったのですが、奥のコースにはもう一人並走する形で別の女子選手が走っていました。

みるみるその並走者との距離が開きます。彼女より身体が一回り大きいので先輩かと思いますが、実力差は圧倒的と言わざるを得ません。

足の回転数が違う。身体的なハンデをモノともしない爆発的なパワーを感じました。

最終的には5m以上の大差をつけ、ゴール。

監督と思われる男性が足を止めた彼女に近づいていって声をかけた後、そのままハイタッチ。喜んでいる様子でした。

「いいタイムだったんじゃないかな」

大楠さんが大人っぽい雰囲気を醸し出しながら、そう呟きました。

「どう? エグいっしょ?」

そしてまるで自分の事のように僕に笑いかけたのです。

「いや、驚きました。遠くから見ても迫力が伝わりました。こんな一面があるのですね」

「そうそう、特に大橋の前ではポンコツだったり超あざとキャラしか見せてなかったりしてたから、てか、これからもそんな調子が続くだろうから、一度ここでのあいつを見てもらいたかったんだよねー」

「まあ、出会ってまだ2日ですし。彼女の魅力はこれからいずれ知るところとなるでしょう」

「…あー、まー、そうなんだろうけどな。それじゃちょっと遅いというか何というか…」

歯切れ悪く、何か含みのある物言いが続きました。たぶん、ここに連れてきたこと、彼女の走りを見せたこと、全てに何か裏があるのでしょう。

「問題ありません。はっきり仰ってください」

「…わーかった。はっきり言わせてもらうと、大橋、お前、陸上に興味ねーか?」

「へ?」

「キャラ的にそんなスポーティーなスポーツとかやらねー感じなのは分かる。運動部系はもとより、陸上部とか論外だろ。でもさ、ここでちょっとイメチェンというか高校デビューの続きというか…なんかこう、これまでと違う自分にチャレンジしたいという気持ちはねえか?」

「陸上部の勧誘をしているのですか? 大楠さん、陸上部でしたっけ?」

「ちげーけど…。ほら陸上部に入ればあの可愛い小動物を間近で見れるわけだし、いろいろとお得だろ? 同じクラスなんだ、お近づきになれるチャンスってもんよ! あいつもその方が安心するんじゃねえかというか…」

「そんな邪な考えで部活動を決めたくはありません」

「真面目か! …ああもう、察し悪りぃなー…。陸上部であいつの面倒見てくれねえかって言ってんだよ!」


ガッシャーン!!


僕らの会話を遮るように、どこかで何かが倒れたような音が聞こえました。

どうやら、陸上部員の誰かが給水用のジャグタンクを落としてしまったようです。

その”誰か”は見るからに動揺し、水浸しになった現場の前で右往左往しています。

よく目を凝らしてみると、その”誰か”とは先ほど燦然と輝く走りを見せていたクラスメイト、長丘恵里でした。

「ああもう、しょうがないな。ちょっと行ってくる。悪りぃな、時間とっちまって。一応検討はしておいてくれ!」

そう言いながら彼女は、事故現場に急行しました。めちゃくちゃ速いです。あっという間に到着して片付けを手伝い始めました。

どうやら大楠さんは長丘さんを心配している様子でした。

自分が傍にいないとき、他の誰かが代行して気にかけてもらいたいという意思も感じました。

ただ、このイベントだけでは何故僕に白羽の矢が立ったのかがわかりませんでした。

またどこかで連動イベントが起こるのだろうなと、そんなことを考えながらその場を後にしました。

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