4月7日 20時25分
『もしもし?』
「お久しぶりです。大橋です」
『お久しぶりでござるー、大橋氏。元気にしていたでござるか?』
電話の相手は受験が終わって”ぱったり切れた”としていた友人の一人、塩原孝臣。
彼とは塾の勉強会で何度か顔を合わせた程度だったのですが、僕がスマホからKin〇leでラブコメ漫画を読んでいたところを偶然目をした彼の方からアプローチがあり、それ以降、勉強仲間であるのと同時に、同好の士として親睦を深めました。
サブカル知識は全般的に明るく、今僕のこの悩みを打ち明けられるのは彼しかいないと思い、こうして連絡を取った次第です。
塩原氏が通うことになった学校はここからかなり離れており、僕のこの身の回りの異変について、同感しようがないとは思いましたが、それでも第三者の客観的な意見としては申し分はないと考えました。
僕は今日起こったことについて、一つ一つ丁寧に伝えました。
彼は黙って時折相槌を打ちながら聞いてくださり、最後まで口を挟むことはしませんでした。
「これで以上です。どう思われますか、塩原氏?」
『確かにラブコメ主人公でござるね。しかも使い古されたド定番の』
「ええ、最初はさすがに偶然だろうと思っていたのですが、妹イベントがきて確信を得たというか」
『かといってラブコメ世界への転生…死んでないようなので転送というか』
「”もし〇ボックス”的だとするとパラレルワールドに飛ばされたような感じでしょうか」
『うむ。だとしてもさすがに飛躍しすぎというのが今の拙者の意見でござる。…あ、そうでござる。今から浴室に行って頂けぬか?』
「浴室ですか?」
『うむ。何、行ってすぐ戻って頂ければ良いので、2~3分で済むでござる』
「わかりました。電話は切らないのでそのままでお待ちください」
言われるがまま、僕は通話中のスマホを持ったまま浴室へと向かいました。
何の気なしに浴室前の更衣室のドアを開くと、茉白がお風呂に入るつもりなのか下着を脱ごうとする真っ最中の光景が目に飛び込んできました。
さすがに茉白も中学3年生なので、ブラもパンツも随分と大人びた物に…。
「きゃあああああああ!!! 出てけええええええええ!!!」
先ほどの恋人のように甘い雰囲気はどこへやら。
妹から思いっきり腹部を蹴られて更衣室から締め出されてしまいました。
「ええっと、聞こえましたか? 塩原氏?」
『勿論ですとも。ラブコメの世界へようこそ、大橋氏』
着替え遭遇イベントも鉄板ですからねぇ。
「相談の内容というのは、どうやったらこの異世界から元の世界に戻れるのかということです」
『こんな宝くじに100万回当たったような幸運をどうして捨てることができるのでござるか!? 日本中のラブコメラバーズの夢が詰まったようなこの世界を!! 頭おかしいんじゃないでござるか!?』
「当事者は本当にいい迷惑なんですよ? もちろんこの世界にきて学ばされたこともありますし、確かにちょっとはいい思いもさせてもらってます。しかし何の理由もなしに飛ばされたということは、同じように何の理由もなく元の世界に戻されるということですよ? そのとき完全に我が世の春を謳歌したとき、どうやって立ち直ればいいんですか!?」
『泡沫の夢ということで満足すればいいじゃないでござるか!? いい思いしまくれるのですぞ? ラブコメ主人公ですぞ!? 女風呂に入ったって捕まらないのですぞ?』
「それが全部幻だったと思い知らされた喪失感の方が怖いんですって!!」
お互いが受話器越しに怒鳴り合い、肩で息をしていました。
まさか温和な性格で人格者として評判な塩原氏と、こんな喧嘩をすることになろうとは。
『なあああああんとも勿体ない! 今すぐその主人公枠を代わって頂きたいくらいでござる』
「今日何回も言われたセリフです。代われるものなら代わりたい。そのためにはこの異世界空間からの脱出が必要です。そのためにどうすればいいのかをお聞きしたいのです!」
『簡単でござろう? 別に拙者に聞かずとも、すぐに答えは出るはずでござる。妹君に聞いたって同じ答えだと思うでござるよ?』
「…」
『メインヒロインとのゴールインでござる。いくら番外編やったところで結婚式ぐらいで物語は完全終幕。そうしたとき、大橋氏のラブコメは終わりを迎えるでござる』
「…」
『気づいていたけど、違う可能性を期待していたのでござったか? 甘いでござる。何となく進展がありそうで終わるエンディングは現代の読者は望んでおりませぬ。本編がそうなったとしても、ファンサービスでその後のストーリーを描くことになるに決まってるでござる。まさか打ち切り上等で荒らしまくるのでござるか? もしそれで元の世界に帰れなかったらどうするのでござる? 主人公の大橋氏はそれで良くても、きっとヒロインの方々は傷つくことでござろう。そうなったら、どう責任を取るのでござるか?』
「やはり…この中から…メインヒロインを選べと…?」
『いきなり結婚相手を見つけろと言われているようなものでござるからね。戸惑ってしまうのも無理はないでござる。ま、短期連載であれば付き合うというところで終わる作品もあるわけでござるし』
「ス、スポーツ系ラブコメにするという手もあるんじゃないですか? そうなったら甲子園か全国大会に行くところで終わります!」
『ふーむ、考えられない手ではないでござるが、勉強と漫画が何より大好きの大橋氏が、それを全て捨て去ってスポーツに打ち込むことができるのでござろうか?』
「いいえ、不可能でしょうね」
『…あ、それよりもっと早く終われそうな展開がありますぞ?』
「なんですか?」
『エロゲーでござる』
「却下です」
『孕ませることができればエンディングはあっという間でござるよ。あ、エロゲーでなくても孕んだらだいたい終わりでござる』
「却下だって言ってるでしょ!?」
『実妹ルートがあるということは、かなり背徳的な作品になりそうでござるな?』
「ぜええええええったい、無理いいいいいいい!!!」
『メインヒロインでござるが、おそらく今日出会った女の子の誰かという説が有力だと思うでござる』
「確かに。巷のラブコメだと、メインヒロインはだいたい初期メンが鉄板ですからね」
『作品によっては途中参戦のヒロインが掻っ攫うこともあるでござるが、あくまで定番としてはという話で』
「単行本が出たら表紙の女の子に向かうのが無難なんでしょうけどね」
『まあそれでも負けることがあるでござるから。どれとは言わないでおくでござるが』
「でもこのラブコメの主人公が僕だとしたら、どのヒロイン選んでもそれが正史になるのではないでしょうか?」
『もしこのラブコメがギャルゲー形式だとしたらどうでござる? メインヒロインのトゥルーエンド以外だった場合、もう一度最初からやり直しの可能性もあるでござる』
「そんな怖いこと言わないでくださいよ…」
『慎重にということを伝えたかっただけでござるよ…。大橋氏と拙者はラブコメ脳に染まってしまってるからこんなことを真剣に語り合ってるわけでござるが、一般常識的に考えると異世界転生など妄言も甚だしく、ただ今日に限って恋愛運が飛びぬけて良かっただけでござる』
「確かに」
『もちろん大橋氏が結婚相手に相応しいと感じた方を選ぶことには変わりないのでござるが、つまらない話にしてはならないということでござる。さっさとこのラブコメを終わらせるために適当なヒロインにして、それが上手くいかなかったからと、次から次に付き合う相手を変える主人公など、現代の読者が許すと思うでござるか?』
「で、でも優柔不断で連載を伸ばすためにいつまでもウジウジ悩む主人公なんてめちゃくちゃ嫌われるじゃないですか! かく言う僕もその一人です!」
『そこでおすすめのジャンルがあるでござる』
「またエロゲーとか言うんじゃないでしょうね?」
『高〇さん系でござる』
「あっ…」
『隣の席の女の子とひたすらイチャイチャするでござるよ。正妻は決まっているので読者はいらぬヤキモキをする必要はござらんので不満は出にくいでござる。そういえば? もうその兆候が出てきているということでしたかな?』
「ええ、その通りです。まさにテンプレ通りのクラスメイトがいます」
『重畳でござる。まずはその女子をメインヒロインとして扱われるが良かろう。気になるのが幼なじみでござるね。一時期幼なじみ=負けヒロインと扱われたことがあったでござるから、幼なじみヒロイン復権を狙う読者も多くござろう。ところで、今日登場した女の子の中で一番メインヒロインらしかったのは誰でござるか?』
「い、妹か…と…」
『……義妹という可能性は?』
「そんなまさか!? 有り得ないと思います!!」
『"有り得ない"のに"思う"というのは文法的におかしいでござるよ。一度調べてみてほしいでござる。義妹ヒロインはラブコメではかなり重要な意味を持つのは知っているでござろう?』
「…」
『調べたくないならそれはそれで正しいかもしれないでござるな。これ以上攻略可能ヒロインを増やすのはエンディングの際に辛い思いをすることになるでござる。もしこのラブコメがハーレム系だった場合、否が応でもこれからどんどんヒロインは増えていくでござる。まだ出てきてないのは、ギャル系、読書系、ツンデレ系、お嬢様系、大人のお姉さん系といったところでござるな。もしかするとこれらが複合されたヒロインかもしれないでござるが…』
「もし本当にマルチエンディング有りでトゥルーエンドしか認めないというルールだった場合、その攻略対象は少ないに越したことないので、なるべく新たな女の子との接触は避けようかと思います」
『賢明でござる。ただメインヒロインというのは基本的に共通ルートで出てくるものでござるから、いくら新たな女の子との出会いを避けても、必ず目の前に現れるでござる。もしそうなっても、決して目を逸らさずに向き合うでござるよ?』
「わかりました」
『ところで、直近の強制イベントでヒロインが増えそうなものとかござらんのか?』
「いえ、あります。このラブコメの方向性すら決めかねない大きなイベントが…」
『ほう、それは?』
「…部活動の入部勧誘期間です」
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