第9話 使命

 ◇


「な、な、なな……」


「くそ。よりにもよって、新人の君の前でこの姿を晒すことになるとはな……」


〝天狐〟は――いや、半妖の姿を露呈したコハラ隊長は、心底嘆くような声色で呟きつつも「今は何より、奴の処理が優先だ」と、そう断じてその場から飛び出し、野狐に向かって刀を突き立てた。


「ギアアアアアアッッ」


 まるでダメージを与えられていなかった先ほどまでとは打って変わり、敵の右腕を貫く刃。


 野狐の阿鼻叫喚する雄叫びが辺り一帯に轟くも、敵はすぐさま体勢を整え、激しく憤ったように再びコハラ隊長めがけて突進してくる。


「う、嘘だろおい……」


 俺はなおも、その場から動けずにいた。


 目の前に忌々しいあやかしがもう一匹増えた。しかもその正体は、あのコハラ隊長だ。


 憎しみと驚きと動揺がいっぺんに押し寄せてきて、感情が追いつかない。


 どうやら半妖の姿だと比べ物にならないほど力が強くなるようで、先ほどまで苦戦一辺倒だった野狐とのやり合いが明らかに有利に傾いている。だが、だからといって余裕でカタがつきそうだというわけでもなかった。もちろんその原因は結界術にある。ある程度刀が貫通するようになったとはいえ、ガラスの壁で覆われた敵を地道にコツコツ攻撃しているようなものだからだ。


「……」


 手助けするべきか、迷いが生じる。俺の最優先事項は国民の安全を守ること。今はコハラ隊長に加勢し、野狐を討伐すべき状況だということは充分に理解しているが、かくいうコハラ隊長だって半妖とはいえ憎むべきあやかしの一部には変わりがないわけで。妖魔やあやかしに対して並々ならぬ憎悪を抱く俺からすれば、そう簡単に容認できるような心境ではなかった。


「くっ」


「!」


 そうこう考えているうちに、再びコハラ隊長にピンチが訪れた。


 彼が腕に怪我を負っていることに野狐が気付いたのだろう。執拗に腕を攻められ、ふとした瞬間にコハラ隊長は手に持っていた妖刀を取り落とした。


 それを待っていたかのように、野狐が鋭い爪を目にも止まらぬ速さで振り下ろす――。


「こっ、コハラ隊長!」


 俺が飛び出したのと、そんな俺を瞬く間に追い抜き、コハラ隊長の壁となるよう〝黒い影〟が立ちはだかったのは、ほぼ同時だった。


「えっ」


「!」


「変だとは思っていたが、やっぱり狐原オマエ『も』同類か」


 長い隊服の裾を靡かせ、野狐の攻撃を一本の長い妖刀でやすやすと凌いでいるのは、黒髪の隙間から二本の鬼角を生やした雄々しい半妖――キラ隊長である。


「なっ、き、キラ隊長⁉︎ っていうか、お、お、お……鬼⁉︎」


「あーあ。隠し通す自信あったんだけどなあ。バレちゃいましたか」


「お前のことだし普通の人間相手ならまずバレねえだろうけどな。鼻が効く俺ら・・からすれば匂いでダダ漏れだっての」


「そうなんですか? だったら早く言ってくれればいいのに、人が悪いなあ」


 そうぼやき、肩をすくめる狐原隊長。鬼良隊長は「生憎、そこまで優しくねえんだよ鬼ってのは」と、意地が悪そうな顔で口の端をつり上げた。


「な……」


 もはや開いた口が塞がらない俺。しかし鬼良隊長はそんな俺に構わず、目の前の野狐に一太刀を浴びせて退けると、ゾッとするほど美しく滑らかな所作で再び妖刀を構えながら、指示を出すように言った。


「まあ、細かい話は後だ。観客が群がる前にさっさと野狐アイツシバいてズラかんぞ」


「仮にも国の英雄ともいうべき公安の討伐隊トップが、『ズラかる』だなんて人聞きの悪い言い方しないでくださいよ」


 くすくす笑いながらも刀を納めて呪術の構えに切り替える狐原隊長に、「事実なもんはしょうがねえだろ」と、猛る野狐との間合いをとりながら頭上を見上げる鬼良隊長。


「――半径五十メートル人の気配なし、煙幕術および空間結界術完了。今なら全妖力攻撃フルアタック可能」


 頭上には、美しい黒い翼を羽ばたかせて空を舞う天女……ではなく女性の姿――ああ、あれは確か影山さんが推していた天崎サンだ――があり、半妖であろう彼女もまた、呪術の構えをとりながら、地上にいる俺たちに向かって凛とした声を放っていた。


「おう、別件中って聞いてたんだが戻ってたんだな。……了。じゃあさっさといくぜ。頼む雪村!」


 その一言を口火に、鬼良隊長は軽やかに地を蹴り飛ばし、風のような速さで野狐に突っ込んでいく。


 それと同時かその直後、物陰からズガン、と鉄が弾けるような音が響いた。野狐が右目を庇うようにのたうち回っている。あれだけ外部からの攻撃を弾いていた結界術なのに、今放たれた弾丸は確実に命中したらしい。野狐の右目を中心とした顔半分が、まるで氷系の呪術を掛けられたかのように、あっという間に凍りついていく。


「狙撃完了」


「――!」


 雪村サンだ。いつの間に近距離まで接近していたのか、瓦礫の隙間から不思議な妖気を纏った妖銃を構えている彼が僅かに顔を出していた。よく見れば瞳が人のものとは思えない淡青色の輝きを宿していて、彼もまた、やはり半妖なのだろうかという漠然とした予感が脳裏を過った。


「グアアアアアオッ」


 一方でのたうち回る野狐は、弾丸のように飛び込んできた鬼良隊長の追撃の刃を受け、さらなる激しい雄叫びをあげている。


 右に斬り抜き左に突き上げ、抉るような爪攻撃が飛んで来れば足で蹴り飛ばして距離をとりつつ、ぐるんと回した刃で一閃の一太刀。


 影山さんが讃えていた通り、目を見張るほど卓越した剣捌き。思わずポカンと見惚れてしまったけれど、相手は鬼であり鬼良隊長なんだと思うとなんだかもう複雑すぎて思考回路が吹っ飛びそうだった。


「人間の姿じゃ苦戦しましたけど、やっぱり〝半妖〟の姿ならあっという間の雑魚ですね」


 援護射撃をしていた狐原隊長が指先に狐火を灯しながらそう呟くと、鬼良隊長は剣撃を止めてから「まあな」と相槌を打ち、何か思案するような顔でちらりとこちらを見た。


「だが、このままやり過ぎて殺しちまっても、犯人の特定や証拠保全に支障が出る」


「ですねえ。とはいえ、どう始末する気ですか? これだけ巨大化した野狐だと大人しく本部まで運ぶのは至難の業だと思いますが」


「俺に考えがある。……おい、新入り!」


「!」


 名前を呼ばれ、心臓を跳ね上げつつも鬼良隊長に視線を向けた。


 まるで血に染まったような緋色の瞳が、じっとこちらを見つめていて息が止まりそうになる。


「憎いんだろ、あやかしが」


「……」


「一匹残らず駆逐してやりてえんだろ?」


「…………」


半妖オレらですら疎ましくてやってられねえってツラしてっけど、お前はもう、陰陽省あやかし公安局妖魔討伐隊、零番隊の隊員なんだよ。憎しみに翻弄されて自分の志見失ってねえで、自分の使命をきちんと弁えろ!」


「!」


 鬼良隊長のその一喝が、俺の心を貫いた。


 ああ、そうだ。


 確かに憎い。目の前の野狐も、世に蔓延る妖魔も、天狐も、それ以外のあやかしも、姉貴を殺した鬼も、半妖だろうがなんだろうがあやかしという名のつく生物は全て憎くてたまらない。


 けれど、鬼良隊長のいう通り、俺はもう国民の安寧を守るべく腕章をつけた討伐隊隊員だから。迷っている暇などない。


「わかったんならいけ、新入り! てめえの封印術見せてみろ!」


「了!」


 死ぬほど憎い鬼に『了解』なんて肯定的な言葉吐きたくもなかったけれど。この際四の五の言ってらんねえ。俺は懐から『封印札』を取り出すと左手の指に挟み、右手は印の構えをとる。


 ――邪なる物の怪よ、我が札に幽隠せよ。


「紫ノ宮流第二封印術……『陰』!」


 強く心に念じて。全霊力を呪文にのせて吐き出し、右手で印を切ると、左手に挟んだ札から激しい閃光が迸り〝紫ノ宮流・第二封印術『陰』〟が放たれた。


「ギアああアアアッ」


 野狐のけたたましい叫び声は刹那に途切れ、その巨躯が俺の持つ封印札に瞬く間に吸い込まれていく。


「へえ、これが紫ノ宮式封印術……」


「やりゃあできんじゃねえか」


「まあ、及第点ってとこっすかね」


 傍らから聞こえる狐原隊長、鬼良隊長、雪村サンの声。


 ズオオオと、禍々しい音を立てて続いていた邪鬼の吸引がスポンッと小気味よく終わると、真っ白だった札の表面に『野狐』の文字がジュウと刻印された。


「よっし!」


 思わずガッツポーズを作る俺。どうだと言わんばかりにできたてほやほやの封印札を掲げて鬼良隊長や他の面々を振り返ると。


「……遅れて到着した八神サンから入電、本件の犯人確保、だそうっす」


「おー。やるなアイツ。じゃ、さっさとズラかんぞ。歩けるか狐原」


「えっ、えっ、エッ」


 チャカチャカと携帯用端末を弄る雪村サンに、チキンと妖刀を納めてさっさと撤収の構えに入っている鬼良隊長。


「大丈夫です。それより鬼良サン。紫ノ宮のせっかくの晴れ舞台、特に評価コメントしてやらなくていいんですか?」


「あん? あー、天崎、パス」


「成果はともかく呪文がイマイチ」


「……だ、そうだ。呪文生成アプリでも使って出直してこい」


「……」


 怪我した腕を押さえながら撤退に従う狐原隊長に、鬼良隊長に投げられ、長い髪の毛をかき上げながらそっけない一言で俺の晴れ舞台に終止符を打つ天崎サン。


「ハイ撤収ー」


「……」


「その札、落とさず持って帰れよー」


 その後、鬼良隊長の味気ない一言で、皆、さっさと撤収していきやがった。


 なんの躊躇いもなく。なんの労いもなく。なんの配慮もなく……!


 しかもあいつら半妖だからかめちゃめちゃ退くのも早くて、気づけばその場に俺一人がポツンと取り残されているっていう……。


「ちょ……ちょっと待てこの妖怪もどきどもーッッッ‼︎」


 ――かくして、俺の初陣はむなしく終わりを告げる。


 俺は、いまだに払拭できていない零番隊への不信感や拒絶感を大いに胸に抱いたまま、電車を乗り継ぎバスを乗り継ぎ、時折マッハでダッシュをかましながら、公安局本部へ地道に帰還する羽目になったのだった。


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