第8話 贋物と本物

 ◇

 

(す、少しくらいなら動いても大丈夫だよな……)


 そうは言っても、やっぱり――。


 惨憺たる現場を前にジッとなんかしていられなくて、極力その場からは離れないよう、軽い探索を始めた俺。周辺に倒れている人や瓦礫に埋もれている人がいないか、はたまた形をひそめている妖魔はいないか等、自分なりに気を配って捜索活動を続けていると、ふいに背後でガラガラと瓦礫か何かが崩れるような音がして、俺は歩みを止めて音のした方を振り返った。


(なんだ? 今の音。それに……)


 急に背筋がスッと冷えたというか。妙な違和感が全身にまとわりついてくる感じがするのは気のせいだろうか。


(音がしたのはこっちの方だよな)


 怪訝に思い、音がした方へつま先を向ける。自分の直感を信じて足を差し出そうとした……――その時。


「……っ!」


「グギアアアアア!」


 突如、瓦礫の中から飛び出してきた巨大な獣が、喉を割らんばかりの咆哮を上げ、ものすごい速さでこちらに突進してくる。 


(や、やばっ)


 あまりにも突然すぎる襲撃に、命かながら横に飛び退いてなんとか九死に一生を得たけれど、安堵している暇などない。さらなる爪攻撃から身を守るため右に飛び、左に転がり、必死の思いで間合いをとったところでようやく俺は目の前に現れた獣の全貌を両目で認め、瞠目する。


「て、天狐……!」


 剥き出された牙、獲物を狙う獰猛な瞳、地に食い込んだ鋭い爪。全身はやや燻んだ灰色の毛並みに覆われ、人の三倍はあろうかと思われる巨躯に長い尻尾をうねらせて、目の前に立つ俺を威嚇している。


(これが天狐――!)


 俺はあやかしが憎い。目の前に現れようものなら我を忘れて殴りかかるに違いないほど憎くて忌々しくてたまらない。だから、ここで会ったが百年目とばかりに、渾身の一撃を食らわせてやろうと懐から『禁書』を取り出そうとしたけれど、現実はそう甘くはなかった。


「グオアアアアッッ」


「うげっ。ちょ、まっ」


 尋常ならぬ速さで再び俺に向かって突っ込んでくる天狐。逃げ惑うのに精一杯で、懐から書物を取り出す暇はおろか、呪術の構えすらまともに組めずにその場で踊るように転がり回る。


(ま、まずい、このままじゃ殺られる!)


 そう思った時にはすでに遅く、目前に迫った天狐が俺を仕留めようと鋭い爪を振りあげた。慌てて両腕をクロスして身を守る姿勢をとった――が。


「うおっ!」


 刹那、何者かに身体を突き飛ばされた。


 地面を半回転しつつ片膝をついてなんとか犯人を見上げると、


「ずいぶん粗末なステップだね。腕章持ちがこんなところで優雅にお遊戯会の練習か?」


「こっ、コハラ隊長!」


 敵の攻撃を刀で受け止め、さりげない皮肉をおり混ぜながらも俺の盾となってくれたのはコハラ隊長だ。


「こいつは君のように経験の浅い、生身の人間・・・・が敵うような相手じゃない。さっさと退け!」


 ピシャリと言い放ち、敵の体重を押し返すように刀を振り抜くコハラ隊長。


 一瞬、敵は唸り声を上げて怯んだようにも見えたが、先ほどの一番隊隊士が言っていた通り、見えない壁が鋭い剣撃を丸ごと弾き返していて、一切ダメージを与えられていないばかりか、興奮だけは煽ったような形になり、敵が先ほどにも増して険しい表情でぐるぐると哮り立っている。


 コハラ隊長は顔を顰め、忌々しげに舌打ちを落とした。


「す、すみません! でもっ……俺だって討伐隊の端くれです! 敵に挑みもしないで背を向けるだなんてできないし、この『天狐』、呪術も剣撃も一切効かないんだったら質より量の精神でぶっ叩くか、一か八か俺の封印術をぶち込んでみるかでもしないと、正面突破は難しい気が……」


「気勢は認めるが、自分の身も自分で守れないようなヤツが思い上がりも甚だしいな」


「うぐ」


 よ、容赦ねえ……!


 逆境に負けず自分なりの意見を述べてみたつもりが、コハラ隊長に呆れたような目で見下ろされ瞬殺される。


「今後のために忠告しておくが、優秀な討伐隊隊士ならなおさら相手の力量を見極めて退くときは退くし、結界術の張られた獲物相手に『一か八』で特攻をかけたりもしない。慢心は最大の敵、死体を最小限に止めるのが俺たち討伐隊の仕事だと寮で習わなかったのか?」


「うっ。そ、それは……そうですけど……」


 コハラ隊長のいうことがもっともすぎてぐうの音も出ない。目の前に憎きあやかしがいるっていうのに何もできないなんて歯痒くて仕方ないが……ここは大人しく引き下がるべきだろうか。


 唇をかみしめ、『禁書』の入った懐をぎゅっと握りしめていると、


「まぁ、せっかく尻尾を掴んだ討伐対象だ。ヤツを仕留めたい気持ちもわからなくはないが、そもそもアイツは〝天狐〟でもない」


「……えっ⁉︎」


 ふいにコハラ隊長が、確信めいたようにそんな言葉を吐いた。


「どっ、どういうことです? 耳も、尻尾も、毛並みの色も、どう見ても天狐っぽく見えますけど……」


「全然違う。確かに外見はあたかもそれらしく模造されてるが、アイツはおそらく単なる〝野狐〟だ」


「〝野狐〟⁉︎」


「ああ。厄介な結界術さえ剥がせれば、ただの雑魚も同然なんだが……」


「ど、どういうことなんすか⁉︎ 野狐を天狐に見せかけたところで誰になんの得が……」


「さて、な。それは今考えるべきことではないし、目下の課題は呪術も武力も効かない、生身の人間では歯が立たないようなアイツをどう処理するかだ」


「そ、それもそうっすけど……っていうかコハラ隊長、相手が天狐じゃないだなんてよくそんなのわかりましたね? 〝天狐〟なんてレアなあやかし、見たことないのはコハラ隊長だって一緒っすよね……?」


「……」


 今対峙している敵が思いもよらぬ厄介なハリボテだったとわかったところで、ふと浮かんだ疑問。なんとなくぽろりとこぼしただけだったし、てっきり今までのように冷淡な答えが返ってくるかと思っていたのだが、


「それは……」


 コハラ隊長は思いのほか意味深に、妙な間を作った。


 どうしたんだろう。なにか答えにくい質問をしただろうかと首を捻った……――その時。


「ギアアアアアアアア」


「!」


 甲高い鳴き声が聞こえ、俺とコハラ隊長が同時に顔を上げる。


「うっ、うわああああんっ」


 ――小さな子どもだ。


 どこから紛れ込んできたのか、幼稚園児ぐらいの小さな子どもが目の前に立つ獰猛な獣を見て腰を抜かしたようにその場にへたり込み、大声を上げて泣き叫んでいる。


 天狐……いや、コハラ隊長いわくハリボテを纏った野狐は、自身の縄張りに突如現れたこどもを見て激しく咆哮し、まるで捕食を渇望するかのようにぼたぼた涎を垂らした。


「し、しまった、子どもがっ!」


「うわああんっっ、ママアアアア!」


「ちっ」


 迷っている暇などなかった。コハラ隊長は疾風のように飛び出し、二本の刀を素早く野狐に向かって突き立てる……が。ギイン、ガキンッと、またしても鈍い音がしてコハラ隊長の攻撃が弾かれてしまった。しばらくそのまま、コハラ隊長の剣撃と野狐の攻撃の応酬が続く。


 またその一方で、俺は猛ダッシュして泣き喚く子どもに飛びつき、命かながらその場から引き剥がしていた。幸い、驚いて泣いているだけで怪我などはしていない様子。ほどなくして瓦礫の片隅から保護者であろう女性が現れ、泣きじゃくる子どもに向かって一目散にかけてきた。


「ママァッ」


「たっくん! ああ、よかったっ」


「危険ですので今すぐこの場から離れてください! 早く!」


「は、はいっっ」


 母親と子どもはとにかく必死にその場を離れ、俺も今自分にできることをもう一度考える。


 振り返れば、コハラ隊長が全く攻撃の効かない野狐相手に相当の苦難を強いられているようだった。


 なんとか助太刀できないかと考えを巡らせたのも束の間、ついに野狐の鋭い爪が、紙一重の抵抗を続けていたコハラ隊長の腕を派手に切り裂く。


「コハラ隊長!」


「くそっ」


 負傷した腕を抑え、唇を強く噛み締めるコハラ隊長。


 まずい。このままではコハラ隊長がやられてしまう――!


 そう思って慌てて飛び出そうとしたのだが、急に目の前に夜霧を孕んだような淡い煙が立ち込め、コハラ隊長を包み込んだ。


「――⁉︎」


 訳もわからず身構えて敵の急襲に備えた俺だったが、立ち込めた霧はすぐに晴れ、煙の中から現れたのは――。


「て、天狐……⁉︎」


 いや違う。美しい銀色の毛並みをした狐耳と尻尾を生やし、贋物の野狐とは比べ物にならないほど洗練された妖気を放ってそこに佇んでいた『本物の天狐』は――他でもない、コハラ隊長だったのだ。



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