第3話 邂逅

 ◇


(ちょ、待てよ心の準備がっ)


 心の叫びも虚しく、感慨も何もなく開け放たれた零番隊本部の扉――。


 まるで転校デビューを目論む学生が、なんの心の準備もなく新しいクラスに突入するような気分で呆然と立ち尽くしていると、俺の目の前にはよくある警察署の刑事課内のような殺伐とした景色が広がり、その傍らには慌ただしく動く隊員の姿があった。


「ねえちょっと雪村ゆきむら八神やがみがどこ行ったか知らない?」


「……さあ。昼休憩中のはずだから、いつもの『お気に入りの場所』じゃ」


「あの男のお気に入りの場所なんて気にしたことがないんだけど……。どこなの?」


「死体安置室」


「ふぅん。よくそんなところでご飯食べられるわね」


 ロング丈の黒い隊服を着た、色白の髪の長い女が呆れたように肩をすくめる。


(し、死体安置室で昼食って……)


 いや、そこもアレだけどなによりも。まず、箸より重いものは持てなそうに見える十代後半の華奢な女――しかも小顔で目鼻立ちが整った芸能人顔負けの美女――が、隊服を着て零番隊の腕章をつけていることに戸惑いを隠せないし、そいつと会話をしている同世代の男――同じく隊服を身にまとった、まつ毛の長い、彫刻のような美しい顔立ちをした細身の銀髪男――も、まるで国が誇る特殊部隊トップの一員だとは思えないような、アイドル然としたビジュアルに驚きというか動揺が隠せなかった。


 どちらの隊員も屈強な戦士、あるいは我が国トップの怜悧冷徹な陰陽師集団には到底見えず、なんならどこぞかの芸能事務所の日常風景かと見紛うような空気すら漂っている。


「しょうがないな……。じゃ、悪いけど隊長が戻ってきたら伝言いい? 例の〝幻惑薬〟流出の件、犯人確保して東京タワーのてっぺんに吊るしたはいいけど全く譲渡先を割る気配がなくて、そのまま放置して引き上げてきちゃったって。……私、急遽別件の出陣要請入っちゃって行かなきゃなの。吊るしたままの犯人は、多分、八神がいれば回収できるはずだから」


「了」


 視覚的な違和感ももちろんだが、二人の会話内容もだいぶ浮世離れしていて、俺はくる場所を間違えたのではないかと、零番隊本部入り口のプレートを二度見したことは言うまでもない。


 そもそもなんなんだよ、『東京タワーのてっぺんに吊るした』って。あの女、かわいい顔して淡々とやべえこと言ってやがるし、男の方もあっさり了解してんじゃねえよ!


 脳内ツッコミだらけでぽかんとする俺の脇では、影山サンが「ふぁあ僕の最推しきたァ顔よしツンよし匂いよし今日も推しが尊すぎてしんどいww」とかなんとか。すんげえ小声でぶつぶつ垂れながら興奮気味に悶えていて、なんかもうそのテンションが異次元すぎて心折れそうなんだが。


 そんな俺らの存在に気づくこともなく、女は、手入れの行き届いたアッシュグレーの髪を軽やかに靡かせてその場を立ち去っていく。どうやら奥にも部屋の出入り口があるらしい。入れ違いで他部署らしき白衣の職員が室内にやってきて、こなれた手つきで何やら書類のようなものを置いて出ていった。


 残された王子風の銀髪男が、書類を回収してなにやら記入し始めている。


「……っと、げふん。悪い。僕としたことがついうっかり」


「い、いえ」


「さっきの美女は元三番隊の隊長で現零番隊の紅一点・天崎あまさきメイサたん……じゃなかった、さん・・ね。で、あそこにいるいかにもリア充そうな王子風のオスが元一番隊の名狙撃手・雪村ナツメ。どっちも二十歳手前のティーンエイジャーでまだ若いけどキミの数千倍は有能だから」


「は、はあ」


 紹介の仕方にかなりの男女差があったことは否めないが、簡潔すぎる説明に彼らのプロフィールはよく理解できた。あれで元三番隊隊長と元一番隊隊員だとは……。


 やはり、ほやほやの訓練生上がりで落ちこぼれ陰陽師の俺とは格が違いすぎる。


「まぁ、忙しいみたいだし、キミの紹介は今日の終礼で改めてしてもらうことになってるから。今のは予備知識程度に聞き流しといて」


「り、了っす」


 頷き、額に滲んだ汗を手の甲で拭ったところで背後の扉が開き、誰かが室内に入ってきた。


「……っと」


「あ」


「ん? おー、珍しい。影山サンじゃん、っていうかなにそいつ新人?」


 両手に段ボールを抱え、口に電子タバコのようなものを咥えている男がしげしげとこちらを見てくる。


 背はそこそこ高め。白いYシャツに黒いスラックス。無造作に伸びた黒髪にタオルを巻き、たくしあげた袖口からは逞しい腕がのぞいている。


 上着は羽織ってないし腕章も付けてないけど、この人も零番隊の隊員だろうか?


「あー、うん。そう。新人の紫ノ宮くん。通達確認しといてって連絡送ったんだけど見てないんだ」


「壊れてんだよ、俺のパソコン」


「いやそういう大事なことはもっと早く言ってくれませんかね⁉︎ っていうかむしろそれ、キラさんのことだし自分で壊したんじゃない⁉︎」


「押しただけで吹っ飛ぶEnterキーが悪い」


「フツウ押しただけじゃ吹っ飛ばないから! そもそも精密機器はもっと繊細に扱って欲しいんだけど⁉︎ これで何台目だっけ⁉︎」


「七……?」


「十五台目!」


「はは。倍以上じゃん」


 いやいや。目ぇ笑ってないし、十五台もパソコン壊しといて「はは」じゃねえよ。


 隣で影山サンが「もう勘弁してよ、相手がキラさんじゃなかったら上に直談判して給料天引きにしてもらうところだからね⁉︎ わかってるの⁉︎」と、顔を真っ赤にしてプンスカしているが、本気で怒っているというよりは、ちょっとドキドキしながらむくれているような感じだった。


 なんなんだよ、その乙女みたいな怒り方。


「悪い悪い。――んで、紫ノ宮だっけ」


 なんてどうでもいいことを考えていると、影山サンそっちのけで名前を呼ばれた。


「ど、どうも」


「おう。暇そうだなお前」


 第一声がそれか。(しかもいきなり呼び捨て&お前呼びかよ)


「はあ、まあ。今きたばっかりなんで暇っちゃ暇っすけど」


「ちょw 紫ノ宮くん、彼は……ぶおっ」


「ちょっと影山サンどいて。じゃ、お前。今から三番隊の本部行くぞ」


「えっ。三番隊本部? 何かあったんですか? 事件っすか⁉︎」


「いや。電球替えんの」


「電球⁉︎」


「そう。おまえ三脚抑える役な」


「いやいやいやいや。それ俺必要⁉︎ っていうかなんで三番隊が零番隊に電球交換なんか頼んでんですか⁉︎」


 なんだかものすごく自然な流れで雑用を押し付けられそうになったため、思わず秒でツッコんでしまったんだが、そもそもこの雑用っぽい人、本当にただの雑用で隊員ではなかったのだろうか?


「? 俺、高所恐怖症だからぐらぐら揺れたら怖いし、なんで零番隊が電球替えちゃいけねんだよ」


「いやそれ高所入らないしそれはそうかもしれないっすけど……でも、便利屋じゃないんだし、あなたも零番隊の隊員なんだったらトップチームの一員としてもっとプライドを持つべきだしそんな依頼は断れば……」


「紫ノ宮くん。彼、隊員じゃなくて隊長」


「ああそう隊ちょ……隊長⁉︎」


 見かねたようにボソッと口を挟んだ影山サンの発言に、派手に声をひっくり返す俺。


 待て待て待て。『隊長』って言ったか今――⁉︎


 思わず二度見すると、頭にタオルを巻いたその人はさも面倒くさそうな顔で「よろしくー」と、ひらひら手を振った。

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