第16話

5-1


フロストランドへ人材を派遣する。

二番船のヴァハが輸送を担当した。

もちろん、通常の交易・輸送も行う。


費用についても定期で輸送することになる。

派遣された3名の生活費、研修費。

武装を有する軍船が最も適任である。


準備の間もブリジットが周期表について叩き込んだ。

全員、周期表は暗記できたようだった。

3名の家族には使いをやって、フロストランドでの研修を知らせた。

ヴァハが出航し、3名とも船上の人となった。



「少し頼みがあるのだが」

エドワードが船団本部にやってくるなり、言った。

「なんでしょう?」

「ウィルヘルムではお茶が流行ってきておるのだが、茶葉の輸送を船でできぬものかと思ってな」

「貴族連中の差し金ですか?」

ブリジットは冗談めかしている。

「そう、意地悪を言うな」

エドワードは苦笑した。

「確かにウィルヘルムの貴族連中の要望だが、こちらにもメリットはある」

「聞きましょう」

「茶葉は産地のニブルランドから南周りで帝国へ輸送される。

 帝国を経由してさらに各地へ輸送される」

エドワードは言った。

グリフィス家は帝国とつながりがある。

石炭、瀝青などをグリフィス家の御用商人が取り扱っている。

エドワードがこれらの交易に詳しいのは当然と言える。

「これまでの帆船では時間が掛かった」

「金属船で運んだら時間短縮できるってことですか」

ブリジットは言ったが、その目は懐疑的だ。

「帝国まで行くのではなく、プロトガリアの航路に乗せる」

エドワードは答えた。

定期航路なら頻繁に船が行き来する。

帝国からプロトガリアまでの輸送費で済むと考えた訳だ。

「ふむ、それなら行けそうかな」

ブリジットはうなずいた。

プロトガリアの港が、その周辺地域の物資の集積・輸送基地になるということだ。

物流の動きに改変が起きるという事でもある。

「旧来の輸送従事者はさぞ不満だろうね」

「そうだな」

ブリジットが言うと、エドワードは口ごもった。

その反応で、エドワードの意思じゃないと分る。

「貴族連中の考えですか」

「そう嫌うな」

エドワードは困ったような顔をした。

「出資者たちの意向なのだ」

「ふん、出資者様ね」

ブリジットは鼻を鳴らした。

そう言われては返す言葉はない。

金をもらっておいて、言うことは聞きませんというのは通らない。

「まだ我々のメリットについて、お聞きしてませんが?」

「うむ、我らが帝国から買い付けている瀝青を渡したい、輸送費が下がれば低価格化が実現する」

「瀝青を?」

ブリジットは思わず聞き返した。

エリンは瀝青をウィルヘルムより購入している。

以前はメルクから買っていたが、ウィルヘルムがメルクより安く提供して以来、ウィルヘルムから購入している。

(価格が今より下がるなら、エリンが噛むメリットはある)

ブリジットは思った。

「なるほど、これは一考に値しますね」

「うむ」

エドワードはうなずいた。


だが、これはメルクやフロストランドなどより、ウィルヘルムと今以上に関係を強めろという意味でもある。

正直、ブリジットは迷った。

確かにエリンはシルリング王国の一部であり、大氏族長のリアムも王国の海兵としての立場を認めている。

例え利益目的だとしても、公にはやはり王国側だ。


(だが、なぜかしっくりこない…)

(フロストランドとウィルヘルムを天秤にかけている)

(エリンはどうすべきなんだ……?)

(あたしは何がしたいんだ?)

ブリジットは自答した。



とりあえず、リアムに報告しにウシュネッハへ行った。


「それはいい提案じゃないか」

リアムは目先の利益に喜んだ。

「だけど、ますますウィルヘルムに接近してゆくよ?」

ブリジットは忌憚のない意見を言った。

「いいじゃないか、我々が富めば」

「前から思ってたけど、ウィルヘルムとフロストランドを天秤に乗せて利益だけを得るのはムリだ」

「どっちつかず、か」

リアムは肩をすくめた。

「そう、どっちつかずでは恐らくこの先、両方とも失う事になりかねない」

ブリジットは心の内を吐露した。

「しかしな、氏族長会議は…」

「父上はいつもそればかりだな、自分の意見は?」

「……それは」

「たまには意見調整じゃなくて、意見を押し通してみたらどうなんだ?」

「……」

リアムは黙ってしまった。

「そりゃ、意見を言ってみたいさ。だが、皆が着いてこない」

「目先の利益だけ見てればそうなるさ」

ブリジットは頭を振った。

「しかしなぁ、私にも立場というものが…」

リアムは煮え切らない。

「じゃあ、次」

ブリジットは次の話題へ。

色々とあったせいか、ドライになってきている。

「フロストランドより、総代理店契約を結ばないかとの提案がありました。

 総代理店契約は、要するに独占販売契約のことです」

「おお、そういうのだよ!」

リアムはすぐに食いついてきた。

「エリンが儲けを独占するってのがいいな」

「でも、抜け道あるんだよね、これ」

ブリジットは椅子に背を預けて、言った。

「フロストランドで購入して輸送してきたら問題ないんだよ」

「ん? それ独占でも何でもないんじゃないか?」

「フロストランドの代わりにこの近辺で売って良いのはエリンだけってことだよ」

「うーん、ちょっと幹部会議で話したいから保留な」

リアムは予想通りの反応だった。

(こりゃ、決まらないな…)

ブリジットは内心、思った。

諦めるのが吉かもしれない。

「とにかく報告は完了ですよ」

「うむ」

ブリジットが言うと、リアムはうなずいた。


リアムの承認を得て、茶葉の輸送を手がける事になった。

同時に瀝青をも輸送する。

瀝青を安く買えるので、メルクとの交渉をする必要がなくなってきた。

エリンとしても問題は価格だけだ。

ウィルヘルムの使者であるエドワードの目的は、うまく達成できた訳だ。


もう一つの総代理店契約についてはまだ結果がでない。

(どうせ揉めてんだろーな)

ブリジットはもう興味がなくなっていた。



「なんか、モヤモヤすんなぁ」

ブリジットはまた麻袋に当たり散らしている。

「お嬢、荒れてんなー」

ダブリンがつぶやく。

「お嬢っていうな」

ブリジットは暴れ終わって、自室へ戻った。


フロストランドに行ってみて、自分が本当は彼の地での体験を大事にしているのが分った。

もちろん、エドワードとの交流も楽しい。

だが、どちらかを選べと言われたら、ブリジットはフロストランドとのパイプを選ぶだろう。

ウィルヘルムは、いわばオワコンだ。

今の良好な関係は、グリフィス殿ことエドワードがいるからこそ成り立っている。

不吉な話になってしまうが、エドワードがいなければ終わる。

綱渡りのようなものだ。


「つーか、どっちつかずで行ける訳ねーっつの」

ブリジットはバンバンとテーブルを叩いた。

「どうかしましたか? 机に恨みでも?」

ディアミドが冗談を言いながら入ってきた。

「ノックぐらいしろし」

「これは失礼」

ディアミドは謝ってから、

「ちょっと気になることがありましてな」

小声で言った。

「ダーヒーのことなんですが」

「どうかしたのか?」

「いえ、気にしすぎてるだけだと良いんですが。

 ダーヒーは母親がザクソン人なんです」

ザクソンとはウィルヘルムの古い地名だ。

過去に帝国の支配から解放された時に、勝利を記念してウィルヘルムと改名されたのである。

エリンでも年配の者は未だに旧い地名を使う時がある。

「母親がザクソン人だからって、それは考えすぎだろ」

(ダーヒーがスパイな訳がない)

そう言おうとして、ブリジットは気付いた。

ディアミドもその程度の事は分っているはず。

「知ってて報告しない」というのを避けたのだ。

もちろん、そうしてもらえばエリンとしては助かる。

直ちにダーヒーを探ったりという事はあり得ないが、知っているのと知らないのとではかなり違いが出るだろう。

「ふむ、それは知らなかったな。ありがとう」

ブリジットは一呼吸置いて、言った。

「いえ、ご参考までにと…」

ディアミドもその辺の呼吸を読んだらしく、会釈する。

「ま、親類がウィルヘルムに居るなんてのはザラにあることだし、直ちに何かするなんてのはないがな」

「ええ、もちろんです」

ブリジットが言うと、ディアミドはうなずく。

「このところ、ウィルヘルムがグリフィス殿を使者にして、攻勢をかけてきてますな」

「うん、上層部は好ましく思ってるようだけど、あたしは正直困惑してるね」

ブリジットはフンと鼻を鳴らした。

「グリフィス殿がこちらの交易を理解してくれたまでは良かった」

「問題は、更に一歩踏み込んできた事ですなぁ」

ディアミドは心得てるとばかりに言った。

「上は嫌がるでしょうが、グリフィス殿が文句を言っているだけならそれ以上の害はなかったんでしょうね」

「うん、こうなってみて初めて分ったけど、ウィルヘルムがここまでのめり込んでくるのは恐ろしい」

ブリジットは椅子に背を預ける。

「交易に口を出してきた」

「出資者ですからね」

「父上たちは下手こいたかもな」

「……それは言い過ぎでしょう」

ディアミドは苦笑している。

今ではブリジットの性格を理解してるので、聞き流しているのだ。

「これからも出資者が交易に指図してくる」

「そうなると、北方とは付き合うなと言い出しそうですな」

「それな」

ブリジットは口を尖らせた。

「ウィルヘルムの連中は意識が帝国に向かうのが常だ」

「帝国は長らく文化の中心でしたから」

ディアミドは皮肉っぽく言う。

「今はもう北方に移ったんだ」

ブリジットが壁に掲げた地図をチラと見る。

地図上では相変わらず帝国が世界の中心となっている。

フロストランドなどは形も大きさも適当に描かれているのが常だ。

「……連中には理解できぬでしょうな」

ディアミドは肩をすくめる。

「小手先の技術など適当に使っていればいよいのだ、大切なのは文化だとか言ってますね、間違いなく」

「まるで見てきたようだな」

ブリジットも思わず苦笑した。

「船団長、私も船団に来てから様々な事を学びました。

 以前とは恐らく考え方が違ってきてます。

 これは多くの船団員も同じように感じてるはずです」

「うん、続けてくれ」

「フロストランドが良いとは言いません。

 が、帝国やウィルヘルムは旧態依然としております。

 彼らも抵抗はするでしょうが、淘汰されてゆくのが自然の流れでしょう」

「……考えておこう」

ブリジットは答えた。

(今は上の意向に従うが、今後は機会を見て行動を起こしてゆく)

そんなニュアンスを臭わせている。

ディアミドは少しうなずいただけに留めた。

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