第15話
4-4
「ちょっと待ってください」
アイザックが言った。
「バイオディーゼルを作るためには、まず化学者の育成から始めなければなりません」
「え?」
「ん?」
ブリジットとスネグーラチカは、横から挫かれた感じで聞き返した。
「私も最近覚えたばかりでそれほど詳しくはないでのですが、化学知識を持つ者、化学知識に基づいて製造に従事する者、化学設備などなど段階を踏んで投資してゆかないと」
アイザックは説明をしている。
「うげ、そんなに時間かかるの?」
ブリジットは青ざめている。
金さえ出せばすぐに作り始められると思っていたのだ。
「どうする? やめとくか?」
スネグーラチカは聞いてきたが、
「いえ、今更やめるとかありません。いったんやり始めた事は最後までやり抜きます」
ブリジットは断言した。
「うむ、まあ頑張れ」
スネグーラチカは投げやりだ。
「良い心がけですね」
アイザックは付き合いが良い。
「ですが、貴邦には化学……つまり錬金術のようなものに詳しい専門家はいますか?」
「う……」
ブリジットは口ごもった。
「てことはまた研修か…」
「そうなりますね」
アイザックは、まるで「ご愁傷様」とでも言いたげである。
「人選をして、こちらへ派遣してください」
「分った」
「各段階別にかかる費用を概算しておきます」
「助かります」
という流れになった。
その日は宴会が催され、ブリジットとダブリンは料理をたらふく食べさせられた。
やはり客をもてなすのには満腹にさせるという習慣だ。
スネグーラチカ、アイザックだけではなく、ドヴェルグの武官たちも同席している。
フロストランドは本来それほど料理が豊富ではないが、静たちが伝えた料理が多くあり、珍しい料理が目白押しである。
ライ麦パン、サーモン、ニシン、ミートボールなどのフロストランド本来の料理から始まり、
エッグケーキ、ローストポーク、オープンサンドイッチ、ベーコンとリンゴのソテー、レバーペーストなどメルクの料理、
うどん、そばがき、豚肉の生姜焼き、里芋の煮っ転がし、まんじゅうなどの日本由来のもの、
水餃子、鍋貼(焼き餃子)、饅頭、包子、素餅、葱油餅、炒麺、拉麺、蒸かし山芋などの中国由来のもの、
ハンバーグ、シュペッツレ、ソーセージなどのドイツ由来のもの、
蕎麦ガレット、ヌイユなどフランス由来のもの、
カーシャ、ボルシチ、ピロシキ、モルスなどのロシア由来のもの、
その他、スパゲッティー、マカロニ・グラタン、フルーツポンチ、魚醤や蝦醤、豆の味噌などがある。
宴会で沢山の料理を出すのには、客をもてなす他にも意味があった。
下働きの使用人へ残った料理を下げるのだ。
なので、宴会などのマナーとしてはどこかしらに手を付けない料理を残しておく。
そうやって使用人へもある程度還元するのだった。
ともかく、料理の中にブリジットが見慣れたものが混ざっていた。
「ブラック・プディングもあるんだね」
「ああ、黒ソーセージのことかえ」
フロストランドにも血を固めたソーセージがある。
結構、色んな地域で食べられているようだ。
家畜を食べる習慣がある土地なら、だいたい食べるようである。
「てか、すごい種類ですねぇ」
「シズカたちの国の料理も混ざっとるからの」
スネグーラチカはうなずく。
「じゃが、あのシュールストレミングだけはイカン」
「あー、ウォッカで洗ってパンに挟むと何とか食べれますよ」
「何とかする時点でダメじゃろ」
「ま、そうですね」
ブリジットは肩をすくめた。
「アレクサンドラめ、あんなものを作って行きおって……」
スネグーラチカは口を尖らせる。
なんとなくだが、寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
翌日、ブリジットとダブリンは鉄道でメロウの町へ戻った。
スネグーラチカは名残惜しそうにしていたが、モーリアンを待たせる訳にはいかない。
1日遅れる毎に滞在費が掛かる。
「また来ます」
「うむ、待っとるぞ」
スネグーラチカとの別れの言葉は簡潔だった。
メロウの町からモーリアンでエリンへ戻った。
*
ウィルヘルムの使者であるエドワード、リアムたちエリンの幹部に報告をした。
「人材の育成から始めるのか……」
皆、思っていたより時間がかかるのが分って、微妙な感じになった。
動揺しているようだった。
「これはエリンだけではなく王国百年の計になるはずです」
ブリジットは既に決心している。
「躊躇してしまえば、百年後も燃料を買わされているでしょう」
「ふむ、ブリジット殿の言う通りだ」
沈黙を破ったのはエドワードだった。
「王国は世の変化についてゆくべきだ。それができなければ北域に首をつながれる未来が待っておるだろうな」
「既に鼻面を引き回されてる気がしますが…」
ブレナンが言ったが、
「それはその通り。だが、ここで何もしなければずっと引き回されたままなのではないか?」
「……そうですな」
渋々ではあるが、ブレナンは認めた。
ブレナンはエリン幹部ブレインのような立ち位置にある。
その彼が反論できないと言うことは、エドワードの主張が説得力を持っているということだ。
「つまり、やらない選択肢はあり得ぬということですか」
ギャラガーが言った。
「はい、そうです」
ブリジットはうなずいた。
「そして、人材育成や設備投資は早めにやればやるだけ有利になるということでもあります」
「分った、金は掛かるが仕方ないな」
やっとリアムが口を開いた。
組織とは面倒なもので、ボスが何か言えばそこで決まってしまう。
なので、先に目端の利く下っ端が進行してゆき、中堅が追随、ボスが決めるみたいな形式になりやすい。
エリン幹部連中は古典的な組織ということだった。
人選がなされ、フロストランドへ派遣されることになった。
エリン人は船団員を見れば分るように脳筋かおバカさんが多い。
エリン幹部たちは、まず錬金術に明るい者を探した。
各氏族の人脈を活用していた。
しかし、見つかったのはお世辞にも科学的考えの持ち主とは言えなかった。
エリンでの錬金術の地位がオカルト的妄想というものであり、そんなものにのめり込むヤツがまともな訳がない。
「フロストランドで化学を学んでもらいます」
「化学! 鉄を金に変える学問ですな!」
「いえ、“ばいおでぃぜる”という燃料を作るのが一番の目的です」
「そのような物は知りませんな」
「……」
「それより、金! 金ですぞ!」
「はい、次の方」
始終このようなやり取りになるのだった。
「我々エリンには科学の下地がない」
ブリジットはため息をついた。
「この際、ゼロからでもいいから素養のある者を送る方がいいんじゃないですかね」
コルムが意見を出した。
「かもな」
「錬金術師など世迷い言に入れ込むヤツばかりですしなぁ」
ディアミドもうなずいている。
「だよなー」
ブリジットはうんうんと同意。
「面接なんて同席しなけりゃ良かった」
「いや、お嬢は同席せなならんでしょ」
「お嬢っていうな」
ブリジットはツッコミを入れてから、
「てか素養のある者をどうやって確認する?」
その場にいる皆に聞いてみた。
船団本部にいるので、身内だけである。
「……」
「……」
「ダーヒー、なんかない?」
ブリジットは若い金髪の男を見た。
バズヴの船長となった、元ディアミドの副長だ。
ダーヒーは仕事はできるが無口だった。
「あの、試験をしたらいいと思います」
ダーヒーはボソボソと言った。
「試験か」
ブリジットは、はたと手を打った。
「でも、オレらの中で試験できるほど化学とか分るヤツはいませんぜ」
コルムが頭を振る。
「失礼します」
そこへダブリンが入ってきた。
ケトルを手にしている。
各人の麦茶を補充しに来たのだった。
「お嬢はフロストランドで授業受けてきたんでしょ?」
麦茶をカップに注ぎながら、ダブリンがポツリと言った。
「お嬢っていうな、あたしも理系は苦手なんだよ」
「でも、オレらの中じゃ学んだことがあるのお嬢だけだ」
「お嬢っていうな、そんなこと言ってもなぁ」
「船団長、よろしくお願いします」
ディアミドが言って、ほぼ決定した雰囲気になった。
「くっそ、こんなことならちゃんとメモ取っておけばよかったぜ」
ブリジットは留学で習った事を紙に書き出していた。
自室で、あーでもない、こーでもないと悶々としている様子は船団員には見せられない。
理科の授業の内容を記憶の中から思い起こそうとしている。
「……」
が、ブリジットはペンを投げ捨てた。
(ダメだ、ほとんど思い出せない)
書き出せたのは、生物の分類、原子・分子、電流、気象……この程度だ。
「ダメだ、ちょっと休憩すっか」
そう言って、部屋を出る。
次の瞬間、ブリジットは畳の部屋にいた。
*
『あれ? また来たの?』
藍子がブリジットを見た。
またラーメンを食べている。
『またラーメンか、好きだなそれ』
ブリジットは平静を装って、藍子の対面に座った。
『てか、来たのはダブリンだろ、あたしは今回は初めてだ』
とは言っても、移行が起きたのは二回目だ。
短い時間内に移行が複数回起きるのは初めてだ。
『ダブリンさん、テレビにがっつりハマってたよ』
藍子は暢気に言った。
そのお陰か、ブリジットは少しずつ冷静になってきた。
『アイツ、アホだからな』
ブリジットは肩をすくめて、
『ところで、藍子は理科の授業って受けてるか?』
『高校の授業にあるけど……』
藍子は言って、気付いたようだった。
『ちょっと待って、なんで理科とか知ってるの?』
『少しややこしいんだが、こっちの世界から、あたしらの世界に行ったヤツらがいる。
そいつらがこっちの世界の学問を伝えたんだ』
『異世界転移ってヤツだね』
藍子はよく分らない単語を使った。
『なんだそれ?』
『神話みたいなものだよ』
『ま、いいや』
ブリジットは深くは追求しなかった。
それより、差し迫った事項があるからだ。
『テキストがあれば見せて欲しいんだ』
『ん、分った。ちょっと待って』
藍子はカバンを探った。
教科書が入っているようである。
(そういや、フローラは教科書を持ってないようだった)
(記憶だけを頼りに教えてたってことか…)
ブリジットは内心、舌を巻いていた。
『はい、高校だと理科じゃなくて、物理、化学、生物って感じで分割されてる』
藍子は三冊の教科書を出した。
『お、化学が知りたかったんだ』
『なんでそんなピンポイントなんだよ?』
『えっとな、ばいおでぃぜるを作りたいんだ』
ブリジットは言った。
『それには化学に強い人材を育成しなきゃいけない。
その人材を選ぶのに試験をするんだ』
『じゃあ、試験のために化学の教科書を見たいってこと?』
藍子は察しが良かった。
『ちょっと泥縄すぎない?』
『泥縄でも何でもやらなきゃならないんだよ。エリンの未来がかかってるからな』
ブリジットは冗談っぽく言った。
冗談っぽくはあるが、いつになく真面目な物言いだ。
『……』
藍子は何か感じ取ったのだろうか、化学の教科書をテーブルに置いて、パラパラと開いた。
『化学の基礎は理論化学からね、周期表を覚えるところから始めるといいよ』
『周期表ってなんだ?』
『元素の名前と原子番号を配置した表だよ』
『元素って、水素とか酸素とかか?』
『そう』
藍子はうなずく。
勉強はそれなりに出来る方らしい。
『周期表を使って出題すればいいよ』
『どうやって? こんなのエリンの皆は分らない』
『素養を見たいんでしょ? 分らなくても、これに興味を示すか?とか、覚えたかどうか?なんてのを見ればいいんじゃない?』
『そうか、なるほど』
ブリジットは納得した。
『周期表を写してもいいか?』
『覚えなさいよ』
『う……これ覚えんの?』
ブリジットは怯んだ。
元々暗記は得意な方じゃない。
正直、こんな訳の分らないものに興味が持てないのだ。
(しかし、やらなければ…)
エリンのため、と考えてみたら、集中力が発揮された。
『やっぱ暗記は一夜漬けに限るね』
藍子はニッコリ笑ったが、
『おま、いつもこんな覚え方してんの?』
『そうだけど?』
藍子は不思議そうな顔をしている。
『周期表には意味があるんだよ。元素の重さとか、ね』
『配列には意味があるってことか』
ブリジットは言った。
(どうやら無意味に並んでいる訳じゃないらしいな…)
『そういうこと』
『他にも色々覚えたいんだけど』
『うーん、次来た時にすれば?』
藍子はもう眠くなってきているようだった。
『……そうするよ』
ブリジットはまだ眠くない。
バリバリ徹夜モードになっている。
『ちょっとお茶をもらうよ』
『お構いなくー』
『へいへい、あんたの分も淹れてくるよ』
台所へ行こうとして、敷居をまたぐ。
次の瞬間、ブリジットは自室にいた。
*
「試験のやり方を考えた」
ブリジットは言った。
「どんなやり方です?」
コルムが聞く。
「元素を覚えてもらう。暗記だな」
「元素?」
「物質の単位の事だ」
「はあ?」
「分らなくてもいい、問題は相手が興味を持てるか、だ」
「そういう事ですか」
コルムはよく分ってない。
そして、試験が催された。
今度の試験会場はアルスターだ。
ショーン・アルスターの邸宅の一室を借りている。
やはり各氏族の人脈を使って化学の素養がありそうな者を選んでいた。
5名が応募に応じた。
もっとも氏族長に言われて来ただけの者だったが。
集まった者は1人ずつ面接を受けた。
面接官はブリジット、ディアミド、コルムの3名だ。
試験を課すのはブリジットにしかできない。
「物質は元素というものからできてる」
ブリジットは挨拶もそこそこに切り出した。
「ヒドラジェン(水素)、ヘリウム、リチウム、ベリリウム、ボーラン(ホウ素)、カーボン(炭素)、ニトラジェン(チッ素)、オキシジェン(酸素)、フローリン(フッ素)、ネオン。
まずはこれを覚えてもらいたい」
「……多いですね」
応募者は少し青くなっている。
「だが、これを覚えられなければ化学を習得するなどムリだ」
「……時間を下さい」
「これくらい覚えられなければな」
ブリジットは鼻を鳴らす。
他の面接官は知識がないので見てるだけだ。
これを5人全員にやった。
次の日、もう一度面接をして、応募者に元素名を言わせる。
合格したのは1人だけだった。
これを後2回行って3人が選出された。
15人を試験して3人が合格。
この3人をフロストランドへ派遣することになった。
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