第10話
3-3
翌朝。
朝食を取る。
「なんスか、これ?」
焼き海苔を見て、ダブリンが眉をひそめている。
「海藻だ、ダルスみたいなもんだ」
ブリジットは説明した。
エリンでも海藻を食べる習慣があり、ダルスという紅藻の一種を水煮にしてゼリー状に固める。
そのまま食べたり、スープやシチューに混ぜたりする。
「いや、オレは遠慮しときます」
ダブリンは言って、ご飯に納豆をかけた。
「チ、コイツ納豆に慣れちまいやがって……」
「言ってみたら豆でしょ、これ、発酵させてるけど」
ダブリンは旨そうに納豆ご飯を食べ始める。
「うめえ!」
「つまんねーの」
ブリジットはそっぽを向く。
『ねえ、エリンじゃ朝は何食べてんの?』
藍子が興味津々で聞いてきた。
『何って、卵、ソーセージ、ベーコンなんかをフライして、パンと一緒に食べるのが普通だよ』
『アイリッシュ・ブレックファストじゃな。フル・ブレックファストともいう』
黄太郎が説明した。
『パンはソーダブレッドといって、イーストではなくて重曹を使った無発酵パンじゃな』
『ブラックプディングも忘れんなよ?』
ブリジットが付け加えた。
『それって血を固めたヤツでしょ』
藍子が、うえっと言う顔をした。
『おいおい、あたしらの文化をバカにすんなよ』
ブリジットは笑いながら言った。
『話だけじゃぁねー』
藍子は、ふふーんという顔。
『作れってのか?』
『材料は揃えるからさ』
『ちょっと待って』
ブリジットはダブリンを見た。
「おまい、料理できる?」
「オレに作れる訳ないでしょ」
ダブリンは頭を振った。
『ま、簡単なヤツなら…』
ブリジットは曖昧に答えた。
『次に来た時にでも振る舞ってくれたらいい』
黄太郎が助け船を出した。
『ちぇー』
藍子は口を尖らせる。
「料理とか作ったことねーし、面倒臭い」
「女の子がそれじゃダメですぜ」
ブリジットが言うと、ダブリンが咎めるように言った。
「知ってるか、こっちじゃそういうのを女に押しつけるのはタブーなんだぞ」
「こっちに移住すんですかい?」
「……フン」
ブリジットは鼻を鳴らした。
そして、ふすまを開ける。
「いくぞ」
一歩踏み出し、敷居をまたぐ。
「へーい」
ダブリンがその後を着いてくる。
部屋の外へ出ると、そこは見知った場所だった。
「おまい、あっちに行ったことしゃべんなよ?」
「え、なんでです?」
「確実に頭オカシイと思われるからな」
ブリジットは人差し指で自分の頭を指さした。
「あ、そっか。あんなの誰も信じませんよねぇ」
「そういうこと」
2人は蒸気車でアルスターへ戻った。
*
船団本部へ戻り、すぐにコルム、ディアミドと相談した。
大氏族長と話す前に意見統一をしたかったのだ。
「交易斡旋ですか」
ディアミドが難色を示した。
「労力が掛かりすぎますね」
コルムも同意見のようだ。
「ま、どうしてもって言われたらやりますがね」
「悪化してるウィルヘルムとの関係を改善しつつ、アルバと協力し、フロストランドとも協調してゆくためだ」
「一挙両得ってヤツですな」
ディアミドが椅子に背を預ける。
「まあ、上手くいけばってことですがね」
「段階を踏んで行く、まずは今やってる交易の拡充からだ」
ブリジットはふわっとした表現を使った。
「その時点で少し心配ですな」
ディアミドは煙草を取り出した。
「吸ってもいいですか?」
「ああ」
ブリジットはぶっきらぼうに言った。
煙草の香りが部屋に立ちこめる。
「お嬢、アルバとの会談が上手くいってない」
コルムは麦茶をすすりながら指摘した。
「お嬢はよせ」
「それに、フロストランドと協調するなら、ウィルヘルムとは仲良くできないと思いますぜ」
「む…」
コルムの指摘にブリジットは黙り込んだ。
「幹部連中がどっちも得たいからって、選べないってのはワガママが過ぎるんじゃないですかね」
「私も同意見ですな」
ディアミドは煙草を消した。
「それに我々が納得したとしても、民草が納得するとは思えませぬな」
「……くっそ、だからあたしも言ったんだよ」
ブリジットは憤懣やるかたなしって様子で、テーブルに拳底を叩き付ける。
ドガッ
大きな音がして部屋の外にいたダブリンがビクッとしたが、コルム、ディアミドは目を閉じただけだった。
いくつもの戦をくぐり抜けてきた強者だけあって、肝が座っている。
数秒、静寂が場を包む。
「でも、それでも、やる価値はある」
ブリジットは意見を押し通した。
「協調・非協調は後で考えればいい。真っ先にやることはエリンが富むことだ」
「交易で儲けるということですかね?」
コルムは口を尖らせている。
「そうだ、アルバも、ウィルヘルムも、フロストランドも、そのために利用する」
「ふん、利己的ですな」
ディアミドは鼻を鳴らした。
「だが、嫌いじゃない」
再びアルバとの会談が行われた。
今度は、誰も冗談を言わない。
場を暖めるつもりが、逆に冷却しかねないからだ。
双方とも不必要な事は言わずに済ました。
事務的過ぎて幹部連中には不評だったが、仕方のないことだった。
エリンが現在進行形で執り行っている交易に、アルバをかませてゆく。
具体的にはアルバ船に一部の商売を分け与えてゆく。
一種の斡旋、もっと小難しく言えば提携だ。
エリンが持っている構想は伏せたが、ウィルヘルムとの関係に影響を及ぼすというのは臭わせた。
エリン、アルバの協力体制を強固にしてから、ウィルヘルムとの関係にも踏み込んでいくという事だ。
あまり踏み込んだ話をしないのは、ここで先走ってしまうと修正が効かなくなるからだった。
ブリジットの進言を吟味した結果、リアムたち幹部連中は状況に合わせて柔軟に対応する事にした。
エリンもアルバも金が欲しい。
そのために提携する。
関係が持続すれば、今後ウィルヘルムやフロストランドとの関係にも踏み込む。
関係が持続できなかったら、そこで提携を解消し、それぞれでやる。
「備忘録まで作るとはな…」
リアムはため息をついた。
記録を残すと、後で都合が悪くなった時に惚けられない。
それを気にしているのだった。
「フロストランドの連中も記録にはうるさいよ」
ブリジットは肩をすくめた。
「アイツらと商売するのなら、今のうちから慣れておくべきだ」
「ふん、留学で大分影響されてきたな」
リアムは冗談ともつかない事を言った。
「まあね」
ブリジットは取り合わない。
「とにかく、記録があれば言った言わないの問答は発生しにくくなる」
「頭の良いヤツに逆手に取られないか?」
「一つ一つ積み上げればいいよ」
「単純なものは誰にでも分るってことだな」
リアムは鷹揚にうなずいた。
愛娘の意見に賛成したという事である。
「そのうち交易専門の商船団を作ろう」
「商人どもに任せるのか」
「私たちは廻船問屋じゃない、海戦を専門にする部隊だ」
ブリジットは言った。
「その割りには進んで商売してるじゃないか」
「最初に道を切り開くヤツが要るってだけだよ。国同士だと一介の商人じゃ難しいからね」
「その考え方もフロストランドで学んだのか?」
「まあね」
ブリジットは曖昧にうなずいた。
まさか、どこか知らない世界に行ってるとは言えない。
「だから、ヤツらと手を結ぶのはエリンにとって有益だ」
「またその話か」
リアムは鬱陶しそうにしているが、
「アルバとの提携でキチンと利益を上げたら、その次に取り組もう」
ため息とともに言った。
*
アルスター。
船団本部。
ブリジットは台所で悪戦苦闘していた。
「ほら、そこちゃんとかき混ぜる」
「うへえ」
ブリジットは、ポニーテイルの少女の指導を受けている。
船団の事務員として雇ったオーラだ。
料理を習っている。
「戦ってる方がマシだ」
「女の子がそういうこと言わない」
オーラはピシャリと言った。
「だいたい、船団長はもっとおしとやかにすべきですよ」
「うるさいなー」
「嫁のもらい手がなくなりますよ?」
「別にいいもん」
ブリジットはそっぽを向いた。
とりあえずフル・ブレックファストが作れるようフライの練習をしている。
目玉焼き、炒り卵などの卵焼きから始め、ソーセージ、ベーコン・ハムなど肉を焼く。
付け合わせの豆やキノコも添えて行く。
それから、ソーダ・ブレッドを焼く。
容器に小麦粉、重曹、塩、砂糖、ドライフルーツを入れて混ぜ合わせる。
バターミルクを合わせたものを加え、ヘラで混ぜ合わせ、生地にする。
生地を台に取り出し、5回ほど捏ねてから直径4インチの円形に成形し、十字に切れ目を入れる。
オーブンで10~20分焼き、底面を叩いて空洞の音がしたら出来上がりだ。
十字に切れ目を入れるのは魔除けの意味合いがあって、悪魔や悪さをする妖精を避けるとされる。
円形のものをローフといい、平たくしたものはファールと呼ばれる。
ファールには切れ目はない。
アルスターではファールがよく食されている。
「裂けると避けるをかけてるのかね」
「下らない事言ってないで、作り方を覚えてください」
ブリジットが言うと、オーラはジト目で睨んだ。
「おお、こわ」
「あと私の給料も上げてもらえると…」
「まあ、考えておくよ」
オーラが冗談混じりに言ったが、ブリジットは取り合わない。
「……」
「ローフよりファールの方が食べやすいな」
「包めば外でも食べれますしね」
オーラは昼食を持参してくる。
布で包んだファールをよく持ってきていた。
「ふーん、自分たちで作れば経費を削減できるかもな」
ブリジットの目が輝いた。
「船団長、キモい」
「うるせー、コックを雇って食堂を…って確か、ビフレストのヤツらがそれやってたんだっけか」
ブリジットは留学時代に聞いた話を思い出していた。
粉挽き工場とかがやり始めて、どんどん周囲に広まったという。
その余波で、フロストランドでも労働者の福利厚生が進んでいるらしい。
「ま、安く昼食を提供してくれるんなら、船団員は助かりますけどね」
オーラはニッコリしている。
既にボイラーを設置していて、シャワーや生活用水の供給など船団員の生活に必要なものを設けていた。
トイレも設置して、毎日掃除を行っている。
掃除は最初は専属の者を雇おうとしたが、ディアミドが持ち回りで船団員にやらせるようにした。
機密保持のために外部の者に立ち入らせたくないというのと、船団員の訓練の一環としたいのだった。
船団員は不平たらたらではあったが。
*
港に金属船がやってきた。
交差するハンマーに盾の紋章。
フロストランド船だ。
「よう、久しぶりだな」
降りてきた者を見て、ブリジットは歩み寄った。
ドヴェルグやメロウなどの兵士が付き従っている。
「久しぶりだな」
浅黒い肌、黒い髪、小柄な体躯。
この辺の者とは異なる容貌。
「カーリーか?」
「うん」
カーリーはうなずいた。
ブリジットは、同居人のヤスミンとともにカーリーの人となりを知っている。
愛想は皆無だが、悪いヤツではない。
「船の指揮はヤスミンには荷が重いから、我が代わりに取っている」
「ヤスミンは優しすぎるからな」
ブリジットは肩をすくめた。
「ま、そこがいいとこだけど」
「うん」
カーリーはうなずいた。
「本題に入ろう」
「話が早くていいな」
「メロウの町で缶詰を買っていったそうだな、大量に」
「ああ、途中で食べちゃったけどな」
「……バカなのか?」
カーリーは驚いた顔。
「色々とあったんだよ」
ブリジットは口を尖らせた。
「まあ、そのお陰で芋にたどり着いたんだけどな」
「何を言ってるのか分らない」
「ゴブリン族の土地で取れる芋を買おうってこと」
「交易の商品か」
「そう、魚の缶詰とか芋を買って、他の土地へ売る。転売ってヤツ」
「その転売に関してなんだが」
カーリーは言った。
「しっかり出来ることと出来ないことを決めたいんだ」
「おっと、フロストランドから規制がかかちゃったかぁー」
ブリジットはおどけているが、あまり良い事とは言えない。
エリンが好き勝手できない可能性が出てくる。
もちろん、ルール次第では儲けは出るだろうから、なんとも言えないが。
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