第2話

1-2


「かーッ、風呂っていいなぁ!」

ブリジットはタオルを首に掛けて、ガハハと笑った。

藍子の服を借りている。

『ちょっと小さかったね、私の服…』

藍子は恨めしそうにブリジットを見た。

白人のブリジットは体付きが大きい。

(それに胸も…)

藍子はぐぎぎと歯ぎしりする。

『あー、気にしない、気にしない』

ブリジットはワハハと笑う。

シャツとズボンがパッツンパッツンになっているが、細かいことは気にしない性格だ。

『一休さんかよ』

『なんだって?』

ブリジットは怪訝な顔をする。


夕飯は焼き魚と野菜の塩漬けで、しかも量が少ない。

不満はあったが、ご馳走になっている身なので文句は言えなかった。

『箸、使えんのね、あんた』

藍子が感心していると、

『あー、これ、フロストランドに居たときに覚えたんだ』

ブリジットは言った。

静、巴、ヤン、ヤスミンの4人に使い方を習った……いや、ムリヤリ覚えらさせられたのだった。

『あんたがよく言うフロストランドってなに?』

藍子は疑問に思ったのだろう、それを口にした。

『最北にある国だな』

『グリーンランドみたいなもの?』

『最北なのに緑なんかい』

ブリジットがツッコミを入れた。


「アイスランドっちゅう国もあんじゃよ?」

黄太郎が話に混ざってくる。

「ああ、ほぼ凍結の国だな」

ブリジットが興味なさそうに言った。

「つーか、フロストランドはクソ寒くてしみったれた妖精やらドワーフやらの国だ」

「ほぅ」

黄太郎は相づちを打っている。

「……信じてないだろ?」

「お前さんが異世界から来たんじゃないのかという可能性が、益々高まったのう」

「なんだそれ?」

「いや、こっちのことじゃ」

『おじいちゃん、アイルランド語ばっかじゃ全然わかんないよ』

藍子が文句を言った。

『あ、すまんすまん』

黄太郎は英語に切り替えた。

『そんで、エリンじゃったかの、首都はウシュネッハ、港町がアルスター』

『そうだ、私はディーゴン船団の船団長をしている』

ブリジットは得意げに胸を張る。

『エリンは昔から海戦が得意でね』

『ディーゴンって、なに?』

藍子が聞いた。

『海の神らしいのう』

黄太郎が答えると、

『ああ、ダゴンのことか』

藍子は納得したようだった。

『知っとるのか藍子?』

『まあね』

『ペリシテ人の神じゃったかのぅ』

『おじいちゃんも知ってんじゃん』

『おいおい、脇道に逸れてんじゃねーし』

ブリジットが苦笑する。

『ウシュネッハはアイルランドの観念上の中心と言われる丘のことじゃな』

黄太郎は知識を披露している。

『ふーん、こっちじゃそういう風に認識されてんのな』

ブリジットはうなずいた。

「こっち」と表現したのは、既に自分のいた世界とは違うのに気付いていたからだ。

もしかしたら、静たちはこの世界から来たのかも知れない。

そう思い至ったのだった。

『お前さんのいた国ではそれが観念上の存在ではなく、実際の都市じゃったと』

『何度同じことを聞いてんだよ?』

ブリジットは呆れている。

黄太郎は何度も同じ事を繰り返し確認していた。

『おじいちゃん、ちょっとボケ入ってるからねぇ』

藍子がため息をつく。

『誰がボケ老人じゃ!』

黄太郎が吠えた。



結局、藍子の部屋に泊めてもらうことになった。

布団という寝具に入り込んで寝る。

(すげえ、あったけえな…)

どうしてこんなことになったのか。

考えても分らない。

ブリジットは諦めて寝ることにした。


朝になり、目が覚める。

陽光が気持ちいい。

『おはよう』

『モーニン』

藍子も起きてきたらしい。

『今日は日曜日だから、ゆっくり寝ててもいいんだよ』

『ん? なんだそれ?』

ブリジットは聞き返した。

曜日という概念はエリンにはなかった。

年、月の概念はあるが。

『あー』

藍子もそれに気付いたらしい。

『7日間を1週間としていて、日曜日は休み。あでも、今は土曜日も休みだけどね』

『ふーん』

ブリジットは感心していた。

フロストランドで経験したのと同じだ。


朝食は焼き魚、卵焼き、それに…。

『なんじゃこりゃあ!?』

ブリジットは驚きのあまり椅子から立ち上がった。

『この豆、腐ってるじゃねーか!』

しかも臭いが凄い。

『納豆だよ』

『マジでこんなの食うのかよ』

『日本の食文化じゃ』

『ちょ、今日はやめとくわ』

ブリジットは結局、納豆を食べなかった。


『ブラックプディング、スカーツ・アンド・キドニーズ(豚の腎臓シチュー)』

黄太郎が言った。

『なんでや、ブラック・プディング旨いやん! スカーツ・アンド・キドニーズ旨いやん!』

ブリジットはムキになって怒鳴った。

『臭いよねー』

『それがいいんだよ』

『納豆もそれと同じじゃ』

『むぐぐ…』

黄太郎の言葉に、ブリジットは唸った。

『分った、それは認めよう。文化の違いということだな』

『そういうこと』

黄太郎はうなずいた。


文化の違い。

話してみれば、それが分る。


昼食は素麺。

ブリジットは素麺は問題なく食べれた。

捕虜時代から、うどんを食べていたので慣れていた。

醤油ベースのつゆが苦手と言えば苦手だが、なんとか食べれる。


『小麦の麺は食った事がある、もっと太かったけど』

『え、麺?』

藍子は驚いて聞き返した。

ブリジットがそんな単語を出すとは思わなかったのだった。

『フロストランドで研修してた時に食べた』

『またフロストランドか』

藍子は半ば呆れている。

『興味深いのう』

黄太郎は何を聞いても「興味深い」ようである。

『最北の国のくせに、ボイラー作ったり、船作ったり、麺作ったり、訳の分らない国だよね』

藍子は正直な感想を述べた。

『だよなー』

ブリジットはうなずく。

『同意するのかよ』

『いや、実際、あの国おかしいからなぁ』

ブリジットは腕組みしている。



『納豆』

『へ?』

藍子は聞き返した。

『いや、その、納豆食べてみようかなって』

ブリジットはちょっと恥ずかしそうに言った。

『ほら、食べてみないことには評価できないし、食わず嫌いはダメかなーって…』

『ふーん、成長したねぇ君ィw』

藍子はニヤニヤしている。


『ぐわっ…!』

ブリジットは納豆を口に入れた瞬間、地獄の業火にでも焼かれたような顔をした。

『ムリしなくていいよ』

藍子はちょっと心配している。

『…………うまい』

『え?』

『食べてみたら悪くない』

ブリジットは言った。

『まあ、そういうもんじゃの』

黄太郎は訳知り顔でうなずいている。

『うっせーぞ、じじい』

ブリジットはフンと鼻を鳴らした。


(そういえば、ディアミドの事はよく知らなかったな)

(船団長の責任感で、押しつけになってたかもしれない…)


ブリジットはそう感じた。


その瞬間、


周囲の景色が歪み始めた。

空中に投げ出されたかのような浮遊感。

落ちて行くような感覚。


(あ、また来た!?)

ブリジットが気付くと、そこはいつもの酒場であった。

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