第57話
57
「殺さない」
「え?」
イザイアは思わず聞き返した。
投降はしたものの、特に拘束もされずにいる。
「殺さない」
静は繰り返した。
「そうか、法に則って裁くということか」
「いや、別に裁く気はないよ」
静は被せ気味に言った。
というのも、カーリーが反対したからである。
「確かに誘拐はされたけど、特に被害はなかった」
「誘拐は犯罪だけど…」
「イザイアは、我の力は闇の力だと言った」
「どういうこと?」
「闇は誰の心にもある」
カーリーはポツリと言った。
あまり人と話してこなかったせいで、コミュニケーションに難があった。
「人が成長するには、必要なものなのかもしれない」
「ふむふむ」
静は少し考え込んだようだった。
闇というと中二臭いが、要は「生きるためには時には障害も必要だ」という事なのだろう。
障害を乗り越える。
つまり生きる力を獲得する。
静が脳内でそんな事に帰結する頃、
「イザイアは悪い事をした。だが、それを裁くのはちょっと待って欲しい」
カーリーは繰り返し訴えた。
そのお陰で、処遇は保留とされたのである。
「……私としてはさっさと処分して欲しいのだがね」
イザイアはため息をつく。
「時代は変わった。私は過去の遺物のようだ」
長く生きすぎた。
そうとでも言いたいかのようであった。
「だからだよ」
静はニッコリしている。
「死はあんたにとっては解放だろ」
ヤンが続けた。
「だから殺さない」
「……」
イザイアは無言で目を閉じた。
そして、言った。
「雪姫の補助魔法の効果が切れたら、もう私を殺す機会は来ない」
「いいよ、別に」
静は涼しい顔をしている。
「あんたの罪は誘拐だけだし、その他は実際立証できないんだよね」
「な、なんだそれは?」
イザイアは驚いた。
「誘拐は皆が目にしたけど、その他はあんたの自白だけ。証拠がないんだよ」
ジャンヌが言った。
「状況証拠だけじゃあ裁けない、パトラに怒られるからな」
巴がフンと鼻を鳴らす。
「だから、誘拐については罰金や禁固刑を科す。
が、それを受けたら終わりだ」
「そ、そんなことが…」
イザイアは傍目にも分るくらいに落胆した。
「問答はそこまでじゃ」
スネグーラチカが割って入ってくる。
「とりあえず連行しようぞ」
という訳で、館へ帰ることになった。
館に戻ってから、スネグーラチカは自室に籠もってしまったのは余談である。
肉親とも言うべきマロースが亡くなったのだから当然だろう。
イザイア以外の皆が雪姫様の心情を理解して、そっとしておく事にした。
*
イザイアはその後、やる気というものを失ったようであった。
辛うじて生活はしている。
「抜け殻みたいな」
アレクサンドラがそう評した。
「一応、有罪判決出たから罰金を払うまでは何かしらの労働をしてもらうけど」
クレアがその横で言う。
出会ったばかりの時に感じた印象は既にない。
「それにしても、見てて同情したくなるほど落ち込んでますね」
フローラがため息をついている。
「ああはなりたくないもんだな」
ヴァルトルーデは冷ややかである。
技師の彼女は熱意とやる気だけが自己を支えている。
大方のドヴェルグやトムテも、同じ感想のようだった。
「あいつの商売はどうなってるの?」
ヤンが聞いた。
「まあ、私が代わりをしてる。店はパックを雇って、仕入れだけしてればいいし」
クレアが答える。
「イザイアには報告だけしている」
「ストリゴイの末路ってヤツですわね」
マグダレナは意味ありげに言った。
ポーランドにも吸血鬼伝説はあり、ウピオルという吸血鬼が知られている。
「実際に吸血する訳ではないんだけどね」
静が言う。
とりあえず食事などを運んだりはしているが、一切の気力がないのは見ていて感じとれた。
そして、事件は起きた。
イザイアがあてがわれた自室で倒れているのが発見されたのだった。
第一発見者はヘンリック、ヤンネ、ヤスミンの三人だ。
「大変!」
「イザイアが倒れてる!」
「自殺だ!」
会議室へ駆け込んでくる。
一大事とばかりに静たちが二階へ走った。
部屋に駆けつけると、イザイアは床に倒れていた。
ナイフで心臓を突き刺している。
「……早まったことを」
巴が言ったが、
「でも、しばらくすると生き返るんでしょ?」
静が返す。
「そうらしいな」
「じゃあ自殺するのって無駄じゃない?」
「私に分る訳ない」
巴は肩をすくめる。
「とりあえず経過を見ましょうか」
フローラが言った。
しばらくすると、肉が盛り上がってきてナイフが押し戻された。
ナイフが床に落ちる。
傷が塞がっている。
再生である。
「……」
むくりと起き上がる。
「あれま、治っちゃったよ」
アレクサンドラが呆れたように言った。
「イザイア」
「私はアイザックだ」
静が声を掛けたところ、ストリゴイはそう答えた。
「え?」
「コイツ二重人格だったのか?」
巴が言った。
「二重人格ではない、二つの魂が一つの身体に宿っている」
アイザックは答える。
抑揚がない。
その顔には表情もない。
イザイアはどちらかと言えば快活なタイプだったが、アイザックは陰鬱な感じである。
「イザイアは生きる力を失った。代わりに私が出てきたという訳だ」
「はあ、コイツら訳分らんな…」
アレクサンドラが呆れている。
「で、アイザックさんは何をする気なの?」
静は若干警戒した様子である。
「いや、なにも」
アイザックは答える。
「強いて言えば、君達の発明を見たい」
アイザックはイザイアに主導権を渡した後、ずっと内側でフロストランドの技術を見てきた。
イザイアは感情表現は豊富だが計画性に欠け、雑なところがある。
技術的なものについても興味はなくはないが、それほど重視しないのに対し、アイザックはずっと技術的なものに興味を持ち続けていた。
鉄道、蒸気機関、電気などなど。
自分の番が来たらそれらを詳しく知りたい。
と考えてきた。
その機会が巡ってきたのだった。
*
アイザックは政治、軍事、経済まで幅広い知識を持つ。
技術についても、フロストランドで始まった蒸気機関などの新技術は分らないものの、それ以前のものについては精通している。
スカジの工務所に行ったり、ヴァルトルーデやアレクサンドラと交流をして、すぐにボイラーの仕組みを理解した。
ボイラーが分れば次々に理解が進んだ。
まるで静たちの足跡を追っているようでもあった。
「かなり習得したねぇ」
静は感心していた。
アイザックは自分でも機械製作を試みていた。
「まるでギリシャ神話のヘパイストスだな」
クレアが言った。
「そいつとは面識があった。火と炉を司る鍛冶屋のボーグだった」
アイザックは答えた。
「ウルヌカス、アグニという名でも呼ばれていた」
「蘊蓄、蘊蓄」
アレクサンドラが茶化している。
「だった、ってことはもういないの?」
「そうだ、多くのボーグは生きるのに飽きたか、戦乱で死亡した。今残っている者は少ない」
「ふーん」
静は感心している。
もしかしたら、アイザックはフロストランドに貢献できる存在なのかもしれない。
静たちがよく知らない帝国やそれ以外の地域の知識や文化にも詳しい。
難点は聞かないと自分からはあまり言わないことだろう。
戦闘技術についてもイザイアと同じように剣を使った。
その動きはジャンヌのサーベルに近い。
静、巴、ヤン、ジャンヌはいつも通り稽古をしていた。
普段から練習をしておかないと、いざという時に身体が動かない。
それにヤンネ、ヘンリック、ヤスミンが参加する。
アイザックも誘われて参加していた。
アイザックの剣技を見ようと、他の大臣たちもやってきている。
見学だ。
「さあ、早く稽古せぬか!」
スネグーラチカも椅子を持ってこさせて座っている。
麦茶と芋のプティングが用意された。
「見世物じゃないぞ!」
静が言ったが、スネグーラチカは耳がない振りをしている。
稽古を続けていると、なにやら急に空が曇ってきた。
雨か。
皆がそう思ったところ、
『ウラミハラサデオクベキカァ!』
おどろおどろしい声が鳴り響いた。
「なんじゃ!?」
スネグーラチカが驚いている。
「なんか聞いたことある声じゃね?」
静は気付いた。
「そう言われれば」
巴がうなずく。
「4人のボーグの一人じゃないかな」
ヤンが答える。
「そうかもな」
ジャンヌが同意した。
空に吹きだまりのような黒い霧が集まっている。
館の上に出現していた。
『ソウダ!』
『コノママ終ッテナルモノカ!』
『セメテ嫌ガラセヲ!』
『ハッハー!』
声が言うと、
「な、なんだ!?」
静たちの周りの空間が揺れているようにブレ始めた。
「イカン、転移じゃ!」
スネグーラチカが叫んだ。
静、クレア、マグダレナ、アレクサンドラ、パトラ、フローラ、ジャンヌ、巴、ヤン。
9人の姿が明滅するかのように見え隠れする。
ヴァルトルーデとヤスミンには影響がないようだ。
「アレクサンドラ!」
「シズカ!」
ヴァルトルーデとヤスミンが叫ぶ。
次の瞬間、
静の意識は飛んだ。
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