第55話

55


「ゴハンだぜい」

ヤンはお盆をテーブルに置いた。

野菜と肉を麺と一緒に炒めたもの、炒麺(チャオミエン)。

葱油餅。

骨付き肉で出汁を取ったキノコと野草のスープ。

2階で自習中のヘンリック、ヤンネ、ヤスミンのために作ってきたものだ。

「これは農水大臣殿お手ずから、すいません」

ヘンリックがお礼を言う。

「うめえ」

ヤンネはもう食べ始めている。

「ヤンの料理大好き」

ヤスミンも喜んでいる。

「二人とも、行儀というものを…」

「いいから食べなよ」

ヤンは笑いながら勧めた。

「では失礼して」

ヘンリックも手を付け始めた。

箸を使う習慣はないので、フォークを使っている。

フォーク、スプーン、ナイフなどのカトラリーを普及させたのはマグダレナとフローラである。

積極的に町に配布していったのだ。

その甲斐あって、今では庶民も使用している。

それ以前は手づかみが普通だった。

「この焼きそばウマイね」

ヤスミンは箸を使っている。

ヤスミンの出身地のマレーシアは中華系も多い。

箸を使う機会は多かった。

「この箸ってのは、ヤンさんの世界ではアジアで使われてるんだったな」

ヘンリックが言った。

「うん、私の故郷、中国で発明されたんだよ」

「チャイナでしたね、元々は陶器という意味でしたか」

「そんなことまで習ったのかい」

ヤンは驚いている。

「フローラさんから教わる歴史は興味深いです」

ヘンリックは食べながら話すのがクセだった。

貴族は会食する機会が多い。

お客さんがいる場で黙っていてはいけないという暗黙のルールのようなものがある。

「四大発明って言ってね、火薬、羅針盤、紙、活版印刷を発明したんだよ」

「へえ、じゃあマスケットも発明したんですか?」

「……いや、それはヨーロッパ」

ヤンは視線を逸らして言った。

「あ、そうなんですか」

ヘンリックはちょっと戸惑ったようだった。

黒色火薬は9世紀頃に中国で発明されたが、元々は練丹術による霊薬作りによるものである。

霊薬を作ろうとしている内にできたと言われている。

「まあ、爆弾は作ってたみたいだよ」

ヤンは小さな声で言った。

「へえ、すげえじゃん」

ヤンネが麺をすすりながら言う。

「ふふん、だろ?」

褒められて気をよくしたのか、ヤンはドヤ顔。

「というか、こんなところで油を売っていていいんですか?」

ヘンリックが水を差す。

会議室では常にスネグーラチカと大臣の誰かが話をしている。

それに参加しなくていいのか、と言う意味だ。

「いいよ、別に」

ヤンは不貞腐れている。

「どーせ、私は皆みたいに知識もないし、アイディアもないし」

「でも料理は上手だよね」

ヤスミンが言う。

「ふふ、ありがと」

ヤンは椅子に座ってグデーッとしている。

「ここで休んでる方がいい」

「ちょっと失礼」

ヘンリックが席を立つ。

トイレである。

「おー、ヘンリック、あんたに祝福を」

「にしし」

ヤンネとヤスミンが冗談を言う。

「うるさい」

ヘンリックはドアを閉めた。



イザイアは氷の館へ招待された。

顔合わせである。

セッティングはクレアが行った。

謁見の間である。

スネグーラチカには人間の商人と言ってあるが、

「……そなた、ボーグじゃな!?」

一目見るなり、スネグーラチカは看破した。

「はは、バレましたか」

イザイアは落ち着き払っている。

不気味なほど。

「なんだと!?」

クレアは驚いた。

アナスタシアが言っていたヤツ、ということに気付いたのだ。

「じゃあ、コイツが!?」

「左様、ストリゴイと呼ばれております」

イザイアは慇懃にお辞儀をした。

「皆様には今後ともお見知りおきを」

「ふざけたヤツだ、てか何しに来た!?」

巴がズイと前に出る。

主君であるスネグーラチカを守っている。

静、ジャンヌも同様である。

「そう殺気立ちますな」

イザイアは手を広げて見せる。

「私の策を破ったのがどのような方々なのか、見に来たのですよ」

「武官」

パトラが言った。

ドヴェルグの武官たちがさっとイザイアを取り囲み、またスネグーラチカを守るべく立ちはだかる。

「あなたを拘束する、抵抗すると身の安全は…」

「ふふふ、私を傷つけることはできませんよ」

イザイアはパトラの言葉を遮りながら、肩をすくめた。

かと思うと、さっと踵を返した。

ドアへ向かって一目散に走った。

「追え!」

「はい!」

武官たちがイザイアの後を追う。


イザイアはドアを抜けて、館の廊下を走った。

事前の調べでは、スネグーラチカはガードが固すぎて手が出せないだろうことは分っていた。

そこでイザイアは、側近たる大臣を狙うことにした。

大臣は9名いる。

その誰かを人質にするつもりなのだった。

問題はその大臣の顔を知らないということ。

行き当たりばったりだ。

館の2階には居住区がある。

そこへ侵入する。

階段を駆け上がった所で、向こうから歩いてきた者と鉢合わせた。



「ん? ……だれだ!?」

ヘンリックは廊下を歩いていて、イザイアに気付いた。

トイレに行った帰りだ。

以前の襲撃者の件を思い出して警戒している。

腰の短剣に手を伸ばしたところで、

「やめておけ」

イザイアが笑った。

そのまま歩きを止めず、近寄ってくる。


「くせも…ッ!」


ヘンリックは叫ぼうとした。

短剣を抜いたところで、手首にイザイアの手刀を喰らった。


バシッ

カラン。


短剣を取り落とす。

イザイアは続けて拳を腹に叩き込む。

「ぐふっ…」

ヘンリックは衝撃を受けて倒れ込んだ。


「なんだ!?」

ヤンネが部屋から飛び出してくる。

異変を感じ取ったのだろう。

腰の剣を抜いた。

その後ろでヤスミンが顔を出した。

「てぇいッ!」

ヤンネの斬撃。

イザイアは素早く前に出てその手首を掴んだ。

「くっ…」

「踏み込みが甘いな」

イザイアは手首を捻って剣を取り上げる。

ヤンネはその拍子にもんどり打ってひっくり返ってしまう。

膂力が違いすぎるのだった。

ヤンネは床に叩き付けられて動かなくなる。

気絶したようだ。


シュッ


いきなり銀色の糸のようなものが飛んだ。


シュッ

シュッ


立て続けに三発。


ザクッ

ザクッ

ザクッ


すべてイザイアの胴に突き刺さる。

手裏剣、中国でいう鏢だ。


「珍しい武器だ」

イザイアは涼しい顔をしている。

「……」

ヤンが廊下へ出てくるなり、鏢を投げたのだ。

ヤスミンはヤンネの側で立ち尽くしている。

「ヤスミン、逃げろ!」

ヤンは言いながら腰に手をやる。


ジャラン。


帯の上に巻いていた鎖状の物体を解く。

九節鞭だ。


先端に尖った重りが付いている。


ビュッ


ヤンが手を振る。

九節鞭が前方に回転し、イザイアの頭部を狙う。


イザイアは片手でそれを捉えた。

動態視力が段違いである。


ヤンとイザイアは九節鞭を持って引っ張り合う形になる。


『居たぞ!』

『逃がすな!』

そこへ武官たちが階段を駆け上がってくる。


「ふん」

イザイアは手をグイッと引いた。

「うわっ!?」

それだけでヤンが体勢を崩して床に倒れ込んだ。


「ほう、これはこれは」

その一方で、イザイアが見ていたのはヤスミンだ。

いや、既にカーリーが出てきている。

ヤンがひっくり返ったのを見て、ピンチだと判断したのだろう。

「二重人格者だな」

「だったらどうした!?」

カーリーはナイフを投げた。

鋭く手を振ったので「打つ」という方がふさわしい。


ひゅっ


ナイフがイザイアの胸に突き刺さる。

「無駄だ、その攻撃は私には効かない」

イザイアはカーリーに肉薄した。

「……ッ!」

カーリーはベストからナイフとカランビット取り出している。

「それでは無理だ」

イザイアはナイフとカランビットは無視して、カーリーの首を掴んだ。

「はなせ!」

カーリーはナイフとカランビットをメチャクチャに振り、イザイアの胴体を切り刻んだが、

「君の力は、私と同じ、闇に属している」

「な、なにを言って……!?」

カーリーが言おうとしたところで、


ボグッ


拳が腹に叩き込まれた。

カーリーの意識が落ちる。

イザイアはすぐにカーリーを肩へ担いだ。


「狼藉者め!」

「大人しくしろ!」

武官が手斧を突きつけて叫ぶ。


「イザイア!」

「大人しく縛につけ!」

「神妙にしろ!」

静、巴、ジャンヌも追いついてくる。


「この娘は預かった」

イザイアは窓を開けた。

そして、ヤスミン(カーリー)を抱えたまま、窓から飛び降りる。


着地。

走り去る。


「追え!」

「逃がすな!」

武官たちは、バカの一つ覚えのように叫び、階段をまた駆け下りた。



結局、静たち、武官たちはイザイアを取り逃した。

何かしら用意をしていたのだろう、足跡がなくなってしまったのだ。


「クソッ」

巴が毒づいた。

「まさか単独で乗り込んでくるとは!」

「緊急事態じゃ」

スネグーラチカはすぐに軍を動かした。

雪姫の町全体が警戒態勢になり、捜索を行ったが、イザイアの足取りはつかめない。


「あの…」

そこに、ふらっとパック族の者がやってきた。

「ん、なんだ、今は忙しいのだ!」

武官の一人が苛立ちながら言ったが、

「ヒトに頼まれて、手紙持ってきたんだけど?」

パック族の者は暢気に返す。

駄賃を期待しているのだろう。

「…おお、そうか、ご苦労」

側にいた別の武官が気付いて、小銭を渡す。

「へへ、ありがとさん」

手紙を渡してパック族の者は上機嫌で去って行く。


手紙には、


「娘を返して欲しくば、指定の場所へ来い」


と、ラ・ティエーン語で書かれていた。(ヘンリックが読んだ)



馬車が平原を走る。

イザイアは雪姫の町を出て、所定の場所を目指していた。

「もうすぐ着くぞ」

「トイレに行きたいんだけど?」

声を掛けると、カーリーは言った。

手だけを縛られた状態で、荷台に座っている。

少しでも逃げる隙を作りたいのだった。

「我慢してくれ、目的地に着いたら行かせてやる」

イザイアは取り合わない。

それから、十数分で目的地に着いた。

街道から少し離れた処にある小屋だった。

元々は旅の者たちを相手にしていた宿屋か酒場だったのだろうが、今はうち捨てられて廃屋になっている。


イザイアがカーリーを引き連れて小屋に入ると、

「遅かったのね」

小屋の奥から女が現れる。

目が隠れるほどの長い黒髪。

極寒の土地だというのにサンダル履きで、ワンピースの服である。

肌が青白い。

「エンプーサか」

イザイアは少し警戒したようだった。

「こんな所で会うとはな」

「あら、再開を喜んでもらえないなんて、悲しいわね」

エンプーサはフンと鼻を鳴らした。

「お前がいるということは、他の連中も来ているのか?」

イザイアは聞いた。

「もちろん、オレたちは面白いことは見逃さない」

いつの間に現れたのか、筋肉質の大柄な男がイザイアの後ろから声を掛けた。

「ヴルコラク…」

「久しぶりに会ったのにその反応はナイ」

ヴルコラクの隣に痩せてガリガリの男が現れる。

まるでガイコツのようだ。

「ウピル…」

「オレたちも混ぜろし」

更に天井から落ちてきて器用に着地したのは、髪の毛を逆立てた男。

口に沢山の牙が生えている。

「ヴァラコルキ…」

イザイアはため息をついた。

「まず言っておく、この娘に危害を加えるなよ?」

「はあ、てめぇにそんなこと言われる筋合いはないな」

「つーか、指図すんなし」

ヴルコラクとヴァラコルキが気色ばんだが、

「文句があるのか!?」

イザイアが凄むと、

「ふん」

「チッ」

二人は視線を逸らした。

「久しぶりに四天王がそろったのだからもう少し仲良くしたら?」

エンプーサが言うと、

『四天王など結成した覚えはない』

アイザックが指摘した。

「アイザックの言う通りだ」

イザイアはうなずく。

「というか5人いるのに四天王?」

「ああ、てめぇのその二人一役、めんどくせーぜ」

ヴルコラクが頭を振る。

「二人一役ではない、二人いるんだ」

イザイアは否定する。

「どーでもいいし、オレは暴れられたらそんでいーんだし」

ヴァラコルキは面倒臭そうに手を振った。


エンプーサ、ヴルコラク、ウピル、ヴァラコルキ。

この4名はヒトや妖精たちに味方せず、敵対してきたボーグだ。

スラヴ神話で言う、チェルノボーグ(黒い神)というヤツである。

対するのはベロボーグ(白い神)である。

すべての神にこれが当てはまる訳ではないが、大きく分けてこのような分類がなされる。



救出隊が組織された。

武芸の使い手として、静、巴、ヤン、ジャンヌ。

狙撃手として、アレクサンドラと狙撃小隊。

魔法使いとして、大パックの率いるパック族の小隊。


通常兵器が効かないので、少数精鋭である。

「あー、そういや赤毛の男を撃ったっけ」

「心臓を撃ち抜いたら動かなくなった」

「死んだと思ってたけど」

「生きてたんだな」

狙撃小隊が入っているのは、狙撃手がメルク戦で赤毛の男を狙撃したのを覚えていたからだった。

館を襲撃したイザイアの話を聞き及び、赤毛の男に心当たりがあった。

心臓を撃ち抜いた。

その後、動かなくなった。


「つまり、殺せないまでも動きを止めることはできるみたいだな」

ジャンヌが言った。

「隙があったら狙撃しよう」


そして、雪姫ことスネグーラチカ。

国家元首が参加するのは危険ではあったが、ボーグが相手だとスネグーラチカの力が必要になるのだった。

「力を使い切っているとは言っても、私もボーグじゃ」

スネグーラチカの意思は固かった。

ヒトとボーグでは力の差がありすぎる。

「ではマロースさんにも応援を頼もう」

クレアが言って、マロースにも声がかかった。


「ストリゴイか、久しいのう…」

マロースは言った。

皆、蒸気自動車で移動している。


「ヤツには皆、苦しめられた」

マロースは遠い目をしている。

古い記憶を思い起こしているようだった。

「人や妖精には試練を、というのがヤツの信条でな」

「なかなか死なないんですよね?」

ジャンヌが聞いた。

「うむ、倒したと思っても翌日には復活しておったり、とにかく不気味な能力じゃったな」

「我が軍の狙撃手が、心臓を撃ち抜いたと言ってました」

「心臓を貫けば活動を停止する」

マロースはうなずく。

「じゃが、しばらくすると蘇るようなのじゃ」

「では燃やしてしまえば」

「それもやってみた、首を斬って心臓に杭を打ってから燃やしたがの…」

「不死身なんですかね」

「そのようじゃな」

マロースは目を閉じた。

ジャンヌはどう対処してよいか考えている。

しかし考えがまとまりそうにはなかった。



イザイアの指定した場所は平原にある小屋だった。

昔は宿屋兼酒場として使われていたようだが、今は廃屋となっている。

廃屋の前で蒸気自動車が止まる。

皆、自動車から降りて廃屋の前に展開する。


ジャンヌは二手に分れることにした。

廃屋には裏口がある。

正面入り口と裏口の二つを攻める気だ。


スネグーラチカを頭にしたアルファ隊とマロースを頭にしたブラボー隊。

アルファ隊はスネグーラチカ、静、ヤン、狙撃小隊。

ブラボー隊はマロース、巴、ジャンヌ、魔法小隊。


「イザイア! ヤスミンは無事なんでしょうね!?」

静が廃屋の中に向かって叫ぶ。


若干の間。


ギイ。


扉が開いて、イザイアが顔を出した。

「無事だ」

「大人しく投降するなら命は保証すんぞ!」

ヤンが上から言い放った。

「ほう、お優しい事だな」

イザイアは扉に背をもたれるようにしている。

武器も持っていないようだった。


(注意を引きつけているな…)

正面でのやり取りを聞いていて、ジャンヌは気付いた。

「気をつけろ、何かある…」

言おうとした時、廃屋の裏口が開いた。

何者かが出てくる。


目が隠れるほどの長い黒髪の女。

筋肉質の大柄な男。

ガイコツのように痩せてガリガリの男。

髪の毛を逆立て口に沢山の牙が生えている男。


「あれは…!」

マロースが息を呑んだ。

「チェルノボーグども」

「何者ですか?」

巴が聞いた。

「ストリゴイと同じくらい危険なヤツらじゃ」

マロースは前に出る。

「マロースさん?」

ジャンヌは不思議そうにそれを見た。

「皆の者、孫娘を頼んだぞ…」

「え…?」

巴が聞き返した。


裏口の方から4人のボーグが向かってくる。


マロースはその前に立ちはだかった。


「マロースさん!」

巴が駆け寄ろうとしたが、

「来るな!」

マロースはそれを制した。

既に何かの力を発揮しているらしく、青い光がマロースの身体を覆っている。

「あ?」

「マロースのヤツ、何する気だ?」

「さあ?」

「一人で戦おうってのかね」

4人は足を止めた。

「あれ? なんか寒くね?」

「ちょっ! おまっ」

「やめろ、この!」

マロースの身体を覆っている青い光がドンドン強さを増して行き、


ビューッ


冷気となって吹き荒れた。

たちまち吹雪が4人を飲み込む。


「あっあー!」

「クソッ、なんだこれ!?」

「まだ必殺技とか見せてねえんだぞー!」

「オレの得意技はーッッッ」


4人の声が雪と氷に包まれていった。


しばらくして光が消え去り、残されたのは5体の氷の彫像。


エンプーサ、ヴルコラク、ウピル、ヴァラコルキ。

そしてマロース。


ピシッ


彫像にヒビが入った。

かと思うと、バラバラになって崩れ落ちた。

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