第53話

53


戦の潮流が終わった。

火種は残っているものの、大勢は決したのだった。

速やかに摩擦が終了し、新たな技術の吸収が急務になった。

それは新技術の普及を意味する。


『……これは予想できなかったな』

アイザックはつぶやいた。

「笑う者らしくないな」

イザイアが言った。

アイザックは「笑う者」という意味だ。

これほど合わない名前はない。

『名前に意味はない。ただの識別記号だ』

「フン、お前らしい言い草だな」

イザイアは鼻を鳴らす。

状況は、彼らの完敗だった。

最後の詰めとなる帝国の侵攻が、いともたやすく防がれたのだ。

技術の進歩がこれほどの力になるとは思わなかった。

彼らが歩んできた長い歴史の中で、このような技術革新は起きたことはない。

「銃と大砲、それから金属の船か、確かに予想外だ」

イザイアは頭を搔いた。

「あの雑魚どもがこんな物を作るとは、長生きなどするもんじゃないな」

『いや、長生きはするもんだ。こんな面白い物を見られる』

「意見が合わないな」

イザイアが頭を振る。


用意していたねぐらに隠れている。

今回は仕込みがすべて尽きた。

『これからどうする?』

「フロストランドへ行く」

アイザックの問いに、イザイアは答えた。

「どんなヤツらが我らの策を破ってくれたのか見に行く」

『それは、私も興味がある』

「意見が合ったな」

イザイアは肩をすくめた。



氷の館。

ヤスミンは庭に出ていた。

なんとなく庭を見たくなったのだ。

ヤンネとヘンリックはまだ部屋で勉強している。


ふと見ると、銀色の毛の狼がいた。

「…ッ!?」

息をのむ。

(ワーグ!?)

恐怖で硬直している。

途端に、ヤスミンとカーリーが交代した。

危険を感じたからである。

「……」

カーリーは身構えている。

『怯えるな、私は何もしない』

狼は言った。

『不吉な何かが近づいている、それを伝えに来ただけだ』

「え…?」

カーリーは一瞬、何を言われているか分らなかった。

『本来であれば、パック殿に伝えるつもりであったのだが、どうやらそなたとの縁ができてしまったようだな…』

狼はため息をついたようだった。

「なんで言葉を話してるの?」

『私はフェンリル、風雪と氷冠を司るもの』

狼は名乗った。

「魔物なのか?」

カーリーはまだ警戒している。

『とんでもない!』

狼は声を荒げた。

「うわ!?」

『私は精霊、自然の力が具現したものだ!』

フェンリルと名乗る狼は言った。

「……」

カーリーは驚きで目をしばたかせていた。

『とにかく、そなたたちに良くない者が近づいている』

フェンリルは繰り返した。

「……あ、はい、分った」

カーリーはうなずいた。

何をしていいか分らない。

危険なものであれば、いつものように対処するだけだが、こんなのは予想外だ。

『しかと伝えたぞ』

フェンリルはそう言って、クルリと背を向けた。

そのまま景色に溶け込むように消え去る。

カーリーは、黙ってそれを眺めていた。



カーリーは2階の部屋に戻った。

裏側に引っ込んでいないのは、まだやることがあるからだった。

「……今、庭で狼に会った」

カーリーは、ヤンネとヘンリックに向かって言った。

普段は荒事しかしたことがないので、なんだか変な気分である。

「ん、君はカーリーか?」

ヘンリックはちょっと警戒した様子である。

「カーリーだって?」

ヤンネも驚いている。

「ああ、さっき狼にあったから、我が顔を出したんだ」

カーリーは焦りながら説明をする。

「なんか、いつもと違う感じだな、カーリー」

ヤンネが言った。

「狼が出たのか」

「危なくね、それ?」

ヘンリックとヤンネは顔を見合わせる。

「狼が言うには、なんか不吉なものが近づいてるんだって」

カーリーは続ける。

言いたいことが、やっと言えた。

何だかドギマギしている。

「不吉なもの?」

「どういう意味?」

2人が首を傾げた時、カーリーの意識は裏側へ引っ込んだ。

ヤスミンが表に出たのだった。


会話が聞こえてくるが、壁越しに聞こえるような感じである。

ヤスミンは狼に会った所で引っ込んだので、狼と何を話したか覚えていない。


(ヤンネとヘンリックには伝えた)

(それで何とかしてもらうしかない)

(しかし、「不吉なもの」とはなんなのだろう?)

カーリーは思った。

いつもは微睡みの中で時間を潰すのだが、今日に限ってはなぜか起きていたかった。


(あの狼に会ったからなのだろうか…)

カーリーは首を傾げた。

何かが変わったような気がする。



「フェンリルが伝えてきたんだ」

大パックは言った。

会議室である。

「不吉なもの、じゃと?」

スネグーラチカが聞いた。

「なんじゃ、それは?」

「分らないけど、フェンリルがわざわざ伝えてきたんだ、普通のものじゃない」

大パックは答える。

「カーリーが聞いたんだよね?」

静が言った。

「そうみたい」

「なんで、ヤスミンじゃなくてカーリーが出てきたんだろ?」

「フェンリルを見て危機感をもったんだろう」

ジャンヌが言う。

「見た目は狼なんだろ?」

「ああ、なるほど」

「ふーん、カーリーも普通の会話ができるんだな」

クレアが何やらうなずいている。

「護衛に使おうってのはやめとけよ」

パトラが釘を刺した。

「分ってるってば」

クレアは面倒くさ気に手を振った。

「カーリーは、こちらからチョッカイかけなければ何もしてこないよ」

静は言った。

妙に断定的な物言いである。

「自信ありげに言うな」

ジャンヌが訝しげに静を見る。

「野生の獣みたいなものだよ。

 生きるためには戦うけど、無駄な争いはできるだけ避けるんだよ」

「ああ、そういうことか」

ジャンヌは納得した。

「あんまり触んない方が吉かー」

アレクサンドラが、つまらなさそうに椅子に背を預けた。

「てか、アレクサンドラは余計なことスンナヨ?」

巴が言った。

「ヘイヘーイ」

アレクサンドラはふて腐れている。

「とりあえず放っておくのがいいってことだな」

ヴァルトルーデが言った。

「だが、カーリー用の武器も作っておくのがいいかもな」

「どんなの?」

アレクサンドラが興味を示した。

「……身体の動きを阻害しないように皮か布の防具と軽めの刃物だな」

ヴァルトルーデは言った。

いい加減、付き合いが良い。

「カランビットとか?」

「それもいいかもな」


「クリスナイフとか?」

「そんなのもあったな…」


「スペツナズナイフとか?」

「おいおい」


「グルカナイフとか?」

「誰が作るんだ、そんなの?」

ヴァルトルーデは突っ込んだ。

「てか、グルカナイフは重いからダメだよ」

静が言った。

「じゃ、やっぱりカランビットかな」

「だな、あれが一番合ってる気がする」

大臣さんたちは、好き勝手に言い合っている。

「カランビットに普通のナイフを組み合わせればいい」

巴がまとめた。

「ナイフは投擲可能な重量バランスでいて、なおかつ格闘もできるようにする。

 カランビットは単独でもナイフと同時にも使えるようにする」

「結構、難しい注文つけるねぇ」

ヴァルトルーデは難しい顔をしている。

「生き死にに関わることだ、なんとかしてもらいたい」

巴は押してくる。

「あと、できればヤンの流星スイなどを伝授したいところだね」

静が付け加えた。

「そこまで考える必要がありますか?」

今まで黙って聞いていたマグダレナが、そこで口を挟んできた。

「カーリーはヤスミンと同一人物だ、なら仲間だ。

 仲間が生き残れるよう装備を整えるのは当然のことだ」

巴は答えた。

素で言っているようである。

「はいはい、分りました。仲間として認めましょう」

マグダレナはため息をついて、肩をすくめた。



ビフレスト。


「あー、なんか久々にヒマができたなぁ」

エーリクは首を動かす。

コキコキと音がした。

このところ、ずっと経営と運営、製造と販売に従事していた。

ヘルッコとイルッポが、ウンタモの息子と一緒にフロストランドへ行ってしまったので、彼らの工場を見ている。

ニール商会のニールがしきりに誘ってくるので、断り切れず商会に顔を出したりしている。

「あーあ、身体が二つ欲しいぜ、まったく…」

グチが出てくるが、生活は充実している。

今のうちに金を貯めて、老後は悠々自適に過ごすつもりである。


ボイラーが普及し出して、ビフレストでも蒸気自動車が走るようになった。

一度仕組みを理解すると鍛冶屋連中がすぐに思いつくらしい。

蒸気機関の普及が始まっていた。

鉄道ができるのも時間の問題だろう。


「乗り合い自動車?」

「うん、そう」

カット・イヤーはうなずいた。

「街の中をぐるっと一周するんだ」

「へー」

エーリクは椅子に身を預けながら言った。

「サウナと湯屋が合体しやがるし、公衆トイレは出来始めるし、お次は乗り合い自動車かよ。

 変わったよなー、この街も」

「便利になっていいじゃん」

カット・イヤーを始めとするアールヴたちは嬉しそうにしている。

新しいものが大好きなのだ。

「すぐ飽きやがるくせによー」

エーリクは、悪態をつく。

「うるさいなー」

カット・イヤーは一瞬、しかめっ面になったが、

「そんで、その乗り合い自動車の車掌にぼくらが抜擢されたんだ」

すぐに満面の笑みになって言った。

パック族は人と関わり合うことが好きな連中だ。

口から生まれてきたんじゃないかと思うくらい、しゃべるのが好きなのだ。


もちろん、この辺の都市計画及び産業の発展に、太守であるウンタモが関わっていない訳がない。

積極的に新規事業を手がけていて、街営企業が生まれている。

まあ、実際には部下のピエトリが一手に引き受けているのだが。

「おー、そうきたか」

エーリクは興味なさ気に言う。

「なんだよ、もう少し喜んでもいいんじゃないの?」

「いや、おまいら、本来の仕事覚えてる?」

「情報収集だろ? こういう人が集まる所にいれば十分集まるさ」

カット・イヤーはうそぶいた。

ホントは自分がやりたいだけである。

「本国のお仕事に支障が出たら、やめてもらうぞ?」

「ちぇー、分ったよ、ケチ」

カット・イヤーは機嫌を損ねて出て行ってしまった。


乗り合い自動車の運賃は銅貨5枚程度。

太守から補助金が出ているので、安価で提供できている。

他にも、蒸気自動車で街中へ輸送・配達する運送業も出てきた。

荷物、手紙などの小物から、工場で使用する原材料やできあがった製品など大物まで、好き嫌いなく取り扱っている。

郵便制度がないので、民はこれらの運送業者を利用することになる。


カット・イヤーたちアールヴは車掌として車に乗り、行き先を聞いたり、運賃を教えたり、切符を切ったり、世間話をしたり、無駄話をしたり、とサービス業務に精を出した。

その中で、客や人間の同僚から様々な噂話や伝聞を入手できた。


・メルクでアナスタシアが久々に白兵戦をした。100年ぶりくらい? ちなみに相手は粉微塵にされた。

・エリンのディーゴン船団が海の魔物を操って帝国の船団を撃退したらしい。

・マスケットで撃たれたら便を傷口に塗ると良いらしい。いや、マスケットに軟膏を塗るんだ。

・サメが出るらしい。殴れ!


等々。

毎日、聞いてきた噂話を報告してくるので、アールヴの一人を記録係にして書き留めさせる。


「下らん噂話ばっかだな…」

エーリクはため息をついている。

「フロストランド本国から入手する話とは大分かけ離れてるねぇ」

記録係のアールヴが言った。

尖った耳、先の尖った尻尾を持つ種族、インプ族のミードだ。

現代では悪魔として知られているが、元々は妖精に分類される。

糸を紡ぐのが好きな種族と言われていて、デスクワークが得意な連中である。

事務仕事が増えてきたので、フロストランドから派遣してもらっていた。

「噂話ってのは、事実とは関係なく落ち着くべきところへ落ち着くんだ」

「へー」

エーリクが言うと、ミードは興味なさそうに相づちを打つ。

「それよりエーリク、ミシンで作った服を売りさばきたいんだが」

「ああ、それな、ニール商会に話してあるから、そのうち引き取りに来る」

「お、サンキュ」

ミードはミシンにハマっていた。

「聞くところによると、メルクのアナスタシア様もミシン裁縫が趣味だとか」

「らしいな」

「いずれはメルクに赴いて、ミシン裁縫について語らい合いたいねぇ」

「オレらは向こう一年間は出禁だから、その間はダメだな」

エーリクは頭を振る。

「なんということだ」

ミードは天を仰ぐ。



「これが車というヤツか」

イザイアは乗り合い自動車に乗っていた。

機関車が客車を牽引する形式で、機関車の後部には石炭が積んである。

客車は、左右に座席、中央に通路というシンプルな作りだ。

メルクを離れ、ビフレストへ来ていた。

「運賃はいくらだ?」

「銅貨5枚だよ」

イザイアが聞くと、パック族の車掌が答えた。

「街の中心地を周回してるから、好きな所で降りるといいよ」

「分った、ありがとう」

イザイアはうなずいたが、実際には車から見る景色に心を奪われていた。

降りる所が決まらず、周回してしまう。

「いい景色だ」

『景色などどうでもいい、早く降りる所を決めたらどうだ?』

アイザックは若干イラついているようである。

「アイザック、君は合理主義が過ぎるな」

『合理主義は重要だ』

「それは分る。だが、心には余裕も必要だ」

アイザックとイザイアは言い合っている。

『感情など不要だ』

「感情こそ、我々を我々たらしめるものだ」

意見が見事に正反対である。


イザイアは適当な所で車を降りた。

飽きてきた所で降りたので、自分がどこにいるのかもよく分っていない。

『イザイア、君は計画性というものがない』

「フン、その辺のヤツに聞けばいいさ」

イザイアはうそぶいて、雑踏に消えていった。



ヴァルトルーデは早速、ヤスミン用の武器を製作した。

鍛冶のスキルはないので、ドヴェルグの鍛冶屋に頼んだ。

ドヴェルグの職人はすぐに武器を製作した。

注文通り、スローイング・ナイフ数本とカランビット・ナイフ数本。

「ヤスミン、これを持っていろ」

ヴァルトルーデはそう言って、ナイフ群を渡した。

「うわ、なにこれ、おっかない」

ヤスミンは怖じ気づいているが、

「持っているだけでいい、トムテに収納ベストも作ってもらったからこれを着ればいい」

皮製品ならトムテ。

と言うわけで、ナイフが収納できる皮のベストも製作してもらっていた。

若干かさばるだろうが、カーリーが表に出てきた時に使えるように、である。

(ナイフの切っ先がこちらへ向かないといいがな……)

ヴァルトルーデは内心そう思いながら、ヤスミンにベストを着せてやる。


「……」

カーリーは、ヤスミンの内側でそれを見聞きしていた。

こちらの世界へ来てからというもの、会う人、会う人、皆が良くしてくれる。

元の世界では、ヤスミンはゴミのような扱いしか受けなかった。

殴る蹴るはまだ良い方で、ひどいと鈍器や刃物で傷つけられる。

銃が出てくるのも珍しくはない。

常に死と隣り合わせだった。


しかし、フロストランドに来て、平穏というものを知った。


これがずっと続けばいい。


願わくば、ヤスミンがヤスミンとして生きられるように。

カーリーのような歪みから作られる人格がいなくても良くなるように。


カーリーの願いは自分が本来の人格、ヤスミンに還ることだった。



「今日は、おかしな客がいたよ」

カット・イヤーが言った。

おかしな客とは、妙に独り言の多い客のことだった。

「独り言がクセになってんだろ」

エーリクは取り合わない。

彼自身、気がついたら何事かつぶやいている事も多い。

ほとんどが仕事についてであるが、無意識に声に出ている。

「まあ、そうなんだろうけど、なんか気になったんだよねぇー」

カット・イヤーは、なぜかこだわっている。

「それより、お前、昨日もらった給料使い切ってないよな?」

「…う、うん、あるよ、まだ。ナンダヨ、1日デツカイキルワケナイダロー」

段々と棒読みになってくる、カット・イヤーである。



「珪石が手に入りそうだ」

ヴァルトルーデがホクホク顔で会議室へ入ってくる。

ゴブリン族との交渉を経て、購入する手はずが整ってきたのだった。

「ケイセキ?」

クレアが聞いた。

「シリコンをつくるのに必要なものだ」

ヴァルトルーデが答える。

「半導体だっけ?」

「そう、これからの技術開発には電子回路が不可欠になる」

ヴァルトルーデは力説する。

「電子制御か」

「うん、自律機械の第一歩だ」

「石英も購入しないといけませんよ?」

マグダレナが会話に割り込んでくる。

「石英だと?」

「石英ガラスは耐熱性、耐食性に優れてますから。絶縁体としても優秀です」

「なるほどな」

ヴァルトルーデはうなずいた。

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