第50話

50


巴が外交の仕事にかかりっきりで、あまり戻ってこない。

ジャンヌは新式装備の配備で忙しい。

静やヤンもレスリングの稽古は付けられるが、ルキが望むガチンコ勝負になりにくい。

静やヤンは体格や性格の問題なのか、力の勝負ではなく、力を外し、上手くいなして死角に入り込む動きが多い。

なので、ルキがやりたいレスリングの稽古は滞っている。


「まあ、でも、なんもせんのも時間の無駄だし、父上が払ってる学費が無駄になるし」

ルキは立ち上がる。

「静、ヤン、稽古つけてくれよ」

「うえ? あ、いいけど」

「え、クレープ焼きたいんだけど」

静とヤンはだらーっとしている。


とにかく、手合わせをすることになった。


静は巴と同じスタイルだが、細かい点が微妙に違う。

ルキは正面から掴みかかるが、静はさっと間を外してしまう。

その瞬間、相手の間合いになっている。

むしろ、これは剣の動きに近い。

ルキはそれが分ったので、引いて仕切り直す。

静もムリに攻めては来ない。


端から見ると、ただ掴みかかって引いただけだ。

「つまんねー」

「もっと攻めろー」

ヤンネとヘンリックが野次を飛ばす。


ちなみに巴は一端受け止めてから、外している。

その一連の流れが自然なので、受けているだけのように見える。

見え方は違っても同質の技だ。


静はすっと一歩前に踏み出た。

ルキは一瞬、ビクッとなる。

間合いというのは相手との間にできる障壁のようなものだ。

それをひょいと超えてくる。

(…舐めてるな)

ルキは思い直して掴みかかった。

が、そこへ静がさらに一歩入ってきた。

静の顔がルキの顔の前まで来ている。

思わず、ルキはのけぞってしまう。

その反応を利用された。


ピシッ


掌が打ち込まれる。

胸に衝撃が走り、ルキは腰から崩れた。

気付くと地面へ尻餅をついている。


不思議な動きだ。

ルキは思った。

だが、血湧き肉躍らない。


女の身なので力ずくとは行かないが、それでも正面からぶつかり合うのが普通だと思っているのだ。


「うーん、すごいけど、なんかなぁ」

ルキは首を傾げている。


向こうの方では、ヤンが皆に太極拳を教えていた。

「こんなゆっくりで使えるのか?」

ヤンネが早くも疑問を口にしてる。

「正直、武術とは思えないですね」

ヘンリックも同意している。

「……」

ヤスミンは何も言わないが、似たような感想を持ってるようである。

「あー、使えるも使えないもあなた次第だよー」

ヤンはよく分らないことを言っている。

「あ、それ、私も知りたい」

静も話に入ってきた。

「最初はゆっくりやるってだけだよ」

「ウソだー、後から早くなるっていうけど、そんなことないじゃん」

「早いのもある、趙保架とか、忽雷架とか」

「あれ、最初から早いじゃん。てか、早さに関係なくない?」

「……あー、うー」

ヤンはしどろもどろになっている。

「流星スイは身体をのびのび使うんだよぉー」

「……ゴマかしたね?」

「クレープ作りに行こう」

ヤンは視線を外して、ダッシュ。

「あ、こらー!」

静は後を追いかける。

ルキ、ヤンネ、ヘンリック、ヤスミンの4人はぽかんとしていた。


「教えて教えてッ」

クレープを食べながら、静が言った。

「うー」

ヤンは唸りながら、クレープを食べている。

どうやら、ヤンが出来ない風を装っているというのが分ってきている。

節々から錬磨された身体の動かし方が見て取れる。

隠しきれないのだ。

静は、ことある毎にヤンにせがんでいる。

「はー…」

ヤンはため息をついた。

しらを切っているのに疲れたのだ。

「師匠に隠しておくように言われてるんだよ」

ヤンはジト目で静を見る。

「けど、静には色々世話になってるから、特別だよ」

「お、ありがと」

静は喜んでいる。

「ゆっくりやりたい訳じゃないんだ。結果的にゆっくりに見えるだけで」

ヤンは言った。

「うんうん」

「個別の動作じゃなく、トータルで見るんだ。

 一個一個の動作を連続させた時、一々動きが止まっていたら遅くなるでしょ?」

「あー、難しくてわかんない」

「個々の動作間のタイムラグを取り去る、そうすると連続した攻防が続く時に遅れないようになる。

 言い換えれば、筋肉をロックしないってこと」

「うへえ」

静は理解仕切れていない。

「一つの動作中であっても、相手の反応次第では動作を中止して変更したりするでしょ?」

「あー、それは分るなぁ」

「それが常に起きてると思ってくれたらいい。

 ゆっくりなんじゃなくて、常に変更が念頭にあるんだ。

 筋肉がロックされないように動くことで、動作途中でも変更できるようにしている」

「なんとなく分った気がする」

静はうなずいた。



メルク。

戦死者の埋葬地。

毎日手の空いている兵士や労働者たちが埋葬作業を行っているが、それでも埋葬が間に合わず、地面に死体が放置されている状態である。

新たな形式の戦争では、戦死者の数が段違いに多いのが特徴だ。

ウィルヘルムが死兵を用いてまで攻撃をし続けたのも要因の一つだが、それよりも火薬のエネルギーが旧来の軍隊が持つ攻撃力を遥かに凌駕しているのが主たる要因である。


横たわる死体のうち、一つがむくりと起き上がった。


「おお、アイザック。死んでしまうとは情けない」

起き上がったのは赤毛の男である。

「我が片割れよ、蘇れ」

赤毛の男が言うと、何かしらの法力のようなものが発せられる。

『……済まない、イザイア』

男の内部で状態変化が起き、停止していた者が再び動き始める。

「なーに、いいってことよ。それよりお前が負けるとはな」

イザイアと呼ばれた方は、気さくに言った。

性格が異なる様子である。


イザイアはメルクの港を離れ、街へと出向いていった。

夜中なので、当たりは暗く、城門も閉まっている。

戦が終わったとはいえ、まだ緊張は解けていないようで、見張りの兵士が何人も立っているのが見える。

『どこへ行こうとしているんだ、イザイア?』

アイザックは咎めるように言ったが、

「なーに、ちょっとメルクに挨拶しに行こうってのさ」

イザイアは軽い感じで答える。


「止まれ!」

「何者だ?! ここは通行禁止だぞ!」

すぐに見張りの兵士に誰何された。

「いやね、君らの頭目に会おうと思ってな」

イザイアは朗らかに言う。

笑顔を浮かべている。

「何を言ってる!?」

「おかしいヤツが来たな」

「いや、怪しいヤツだろ」

見張りの兵士たちはイザイアの所へ集まってきた。

「あ、コイツ、ウィルヘルムの軍服だぞ!」

兵士の一人が思い出したように叫んだ。


「ふむ? これは失敗、服装には気付かなかった」

イザイアはポリポリと頭を掻いた。

「捕縛しろ!」

「おおっ!」

兵士たちはマスケットを構えた。

「動くな!」

「え、なんだって?」

イザイアは警告を無視して近寄る。


ばあぁぁん!


マスケットが火を噴いた。


イザイアの身体がくの字に曲がった。

弾丸が胴体に打ち込まれたのだ。


しかし、イザイアは平然としている。

「……うーん、これは私には効かないな」

「な、なんだコイツ!?」

「撃て、撃てッ!」

兵士たちは慌ててマスケットを撃つ。

全弾命中したが、


やはりイザイアは平然と立っていた。


「クソッ、着剣!」

兵士たちはバヨネットを装着した。

イザイアは兵士たちに近寄るのをやめず、すぐ側まで来ている。

「ハアッ!」

兵士の一人がバヨネットを突き出すが、イザイアは紙一重でかわした。

銃身を掴む。

それだけで兵士はマスケットを動かせなくなった。

近すぎるので、他の兵士たちはバヨネットによる刺突を躊躇した。

銃剣を構えて隙を伺っている。

「お、いい物を持ってるな」

イザイアは、兵士の腰から剣を抜いた。

旧来の剣だ。

イザイアにも馴染みの深い武器である。


ぱっ


掴んでいたマスケットを離す。


「いざ」

イザイアは芝居がかった感じで剣を構える。

構えが堂に入っている。

兵士たちは一斉にバヨネットを突き出した。


が、イザイアは巧みに剣を操って切っ先をかわしてしまう。

さらに剣を振り、兵士たちの手元へ斬り込む。

構えた時に前になっている手、ほとんどの場合は左手である。

指が飛び、兵士たちはマスケットを取り落とした。

「くっ」

兵士たちはそれでも怯まなかった。

無事な方の手で腰の剣を抜いて、構えた。

剣を取られた兵士は、マスケットからバヨネットを取り外して構えた。

包囲網を解かない。

「良き兵だ。こちらも最大の敬意を払おう」

イザイアは剣身を顔の前に立てた。

儀礼的な動作である。



「アナスタシア様!」

ダン族の子弟が飛び込んできた。

「なんです、騒々しい」

アナスタシアは、趣味のミシンで裁縫をしているところだった。

裁縫作業を中断されると機嫌が悪くなる。

皆、それを知っているはずにも関わらず、飛び込んでくるということは、火急の知らせということだろう。

アナスタシアは瞬間的にそこまで考えて、言った。

「何がありました?」

「何者かが城門を破って暴れています」

子弟は答えた。

この慌てぶりからして、実際に現場を見ているようだ。

「それは何人です?」

「一人です」

「はあ? なんです、それは?」

アナスタシアは理解しかねて、聞き返してしまった。

「ウィルヘルムの軍服を着ているとのことですが、素性はわかりませぬ。

 とにかく弾も刀槍も効かぬ化け物なのです!」

子弟は答える。

「分りました、とにかく現場へ向かいます」

「はい」

アナスタシアが言うと、子弟はうなずいた。


現場には、メルク兵が集まっていた。

バヨネットを装着したマスケットや剣を手にしており、誰かを取り囲んでいる。


赤毛。

剣。

「あれは!」

アナスタシアは驚いていた。

「皆を下がらせなさい」

「え、それではヤツを捕らえられませんが…」

「私が出ます」

アナスタシアは言った。

「誰か、私の斧をもて!」

「はい!」

近くにいた兵士がヤコブセン邸へ駆けて行く。

何人かで「斧」を運んできた。


静たちの世界でいう所のデーン・アックス。

両手で扱う斧だ。

しかし、その重量はすこぶる重い。

刃も柄もすべて鉄で出来ている。


「皆、下がりなさい!」

アナスタシアは叫びながら、斧を手にした。

兵士何名かでヒィヒィいいながら運んできた物を、片手で軽々と持っている。

膂力が人とは異なるのだ。

そして、赤毛の男の目の前まで歩いて行く。

兵士たちは、その間に包囲を解いてアナスタシアの後ろへ退いた。


「おや、これはこれは、ヤクシニー殿」

赤毛の男は恭しくお辞儀をして見せた。

「久しいですね、ストリゴイ」

アナスタシアは礼を返さなかった。

これから戦う相手にそんなものは不要だと言わんばかりである。

「騒ぎを起こしてどうするつもりです、吸血鬼」

「これは心外な物言いですな、夜叉母殿」

「ふん、今はそのような名ではない」

「アナスタシア、目覚めた、復活した女…意味深だな」

赤毛の男、イザイアは言った。

「ちなみに、私は吸血鬼と呼ばれているが、そうではない。よく墓場で復活してしまうから間違えられるんだ」

「そのようなことはどうでもよい」

アナスタシアは単刀直入に言った。

「これ以上暴れるつもりなら私が相手です」

「ほう、お手合わせ頂けるということで」

イザイアは、やはり芝居がかったように言う。


「むんっ!」

一気に間を詰め、アナスタシアが斧を振るった。

イザイアはステップして身をかわす。

両手斧のダウンスイングなど片手剣では受けきれないので、その軌道から逃れるしかない。

かわしつつ側面へ回り、接近する。

アナスタシアは体を変え、柄の方を叩き付けた。

「おっと」

イザイアは言いつつバックステップした。

斧の柄による打撃を上手く逃している。

「久しぶりだから忘れていたよ」

イザイアは肩をすくめる。

「減らず口は治ってないようですね」

アナスタシアは間を取って様子をうかがっている。

何か企んでいる可能性が強い。


「一筋縄ではいかないようだな」

イザイアは言ったかと思うと、


さっ


踵を返して逃げ出した。


「待て!」

兵士たちが追いかけようとするが、

「追ってはなりません!」

アナスタシアが叫んだので、皆、立ち止まった。

「追えば被害が増えます」

「しかし、逃がしてしまいます」

「それで良いのです、私がいれば、これ以上は何もしてこないはず」

「はあ…」

アナスタシアが確信をもっているかのように言うので、兵士たちは渋々従った。

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