第33話

33


「そういや、エーリクたちは犯罪者の疑いがかかったままなんだった」

ヴァルトルーデは思い出していた。

アナスタシアと話した時、そう言っていた。

「戻ったらまた投獄されるから、今回は連れて行けないな」

「あ、そうなの?」

静が残念そうな表情をする。

「確か、アナのヤツ、1年過ぎたら無罪になるって言ってたから、それまではメルクには行かない方がいい」

「そうか、じゃあ、またホロパイネン卿にお願いしてヘルッコとイルッポを借りよう」

巴が言った。

「そうするか」

「細かい所はおぬしらに任せる、とりあえず技術交流頑張ってくれ」

スネグーラチカは、どうでもいいといった感じで手を振った。

興味がないらしい。

「ゆっるいなー」

「そこがスネグーラチカの良いところだよ」

静が聞くと、クレアが答えた。

「どゆこと?」

「良い経営者は部下に好きにやらせるもんだ」

「成果主義ですわね、部下が有能ならという前提になりますわよ、それ」

マグダレナがチクリと刺すように言った。

「私たちが無能な訳ないだろ」

ヘンッとクレアが息巻いた。

「自分で言うなし」

アレクサンドラが呆れる。



メルクの貴族は、普段はシルリング王国で生活している。

余程の事がないとメルクへ来ない。

つまり、ニルスのフロストランド視察報告は余程の事だったと言う事になる。


「フロストランドではこのような設備があって、日常の便利さだけではなく、軍事転用も可能なのです!」

ニルスが意気込んで力説する、蒸気機関や鉄道は、最初は貴族たちを驚かせた。

しかし、1日、2日と時間が経つにつれ、驚きは失せていった。

「旅先での体験は鮮烈に見えるものだ」

「そのような設備があるとしても、恐れるほどのものなのか?」

「もっと情報を集めないことにはな…」

貴族たちの反応は、懐疑的なものへと変化した。

彼らにとっては何もしないのが最良だ。

「昨日も大丈夫だったから今日も大丈夫」というのが常識としてある。

アナスタシアがニルスと同じ内容の話をしなかったら、黙殺されて終わっただろう。

「……」

ニルスは説得を諦めた。

頼みの綱は一族のアナスタシアへの信頼である。

それだけがダン族の貴族を動かせる。

「ニルス」

「いえ、いいんです」

アナスタシアが声を掛けてくるが、ニルスは苦笑して頭を振った。

「慰めの言葉など…」

「いえ、ミシンで縫ったこの服どうですか?」

「そこは慰めてくれるところでしょッ!?」

ニルスは突っ込んだ。

元気は出たようだ。



アナセンはフロストランドとの技術交流の件をニルスに一任した。

まあ、実質的にはアナスタシアが実務を執り行うのだが、その過程で何かあれば責任者はニルスだということである。

そして、アナセンをはじめとする一族の者はほとんどシルリング王国へ帰って行った。


ダン族の貴族連中にとっては、メルクは故郷であるものの、田舎という認識である。

彼らの意識では最新の流行、文化の最先端は王国なのである。


「あー、王国に帰りたい…」

ニルスは不満を漏らすが、アナセンから見ればニルスはそこそこ使える人材である。

今回の件についてもアイディアを出し、アナスタシアが採用している。

アナスタシアも同じ意見である。

「はいそこ、グチらない」

アナスタシアは小僧っこという感じでニルスを扱う。

そしてそれは、ダン族の貴族の面々も同じだ。


(あの子達は、当事者としての意識が欠けているわね……)

アナスタシアは落胆している。

分かってはいたが、一門がニルスだけを残していくのを見るとこの先の事が思いやられる。

(とはいえ、ニルスが残ったのは幸いだったわね)

アナスタシアは切り替えた。

一門の者たちがメルクに思い入れが薄いのは今に始まった事ではないのだ。

そんな無能・無責任集団の中においては、ニルスは出来がいい方なのだ。

アナスタシアの帰りが遅いからと自らフロストランドへ足を運んできたし、技術交流のアイディアも出した。

磨けば光ると思うのだ。


「フロストランドの方々を迎える準備は私がやります。あなたは王国の動向を探りなさいな」

アナスタシアは考えた末、指令を出した。

午後のティータイム。

雑談をしていた時に、アナスタシアが切り出したのだった。

「え、王国の? どういうわけです?」

ニルスは驚いて聞き返す。

「今回の瀝精の動きは不自然。王国の内部でなにか動きがあるのではないかと思う」

アナスタシアは考えを述べた。

不穏とまでは言わないが、おかしな動きが起きているのかもしれない。

「分りました、王国へ帰っても?」

「そこは任せるわ」

アナスタシアは鷹揚に言っただけである。

「……」

ニルスはそこで黙り込んだ。

(あら、どうしたのかしら?)

アナスタシアが訝っていると、

「アナスタシア様」

「なに?」

「我らの領地にも鉄道を作りたいですな」

ニルスはポツリと言った。



ニルスは王国へ戻った。

王国で内部の動きを探るためである。

一時的に、であり、アナスタシアの指示でもある。

他の貴族たちに文句を言われることはあるだろうが、アナスタシアに逆らえる者はダン族にはいない。


シルリング王国は、メルクの南西に位置し、内陸の都市が集まって形成する。

大部分は平野だが、森林や山岳が点在している。

農耕、牧畜が盛んで、また交通の要所にもなっているので、交易に適している。

王国を統治するのは、シルリング王家で、現在はジョージ・コヴァンが王の座についている。

ゴヴァン家は代々シルリング王家として君臨してきた一族だ。


大まかに、エリン、クリント、アルバ、ウィルヘルムの四地域に分けられる。

エリンは島。

ウィルヘルムは強い防護の意思。

クリントは丘。

アルバは白。

という意味である。


エリン地域は、住民の祖先が島から渡ってきたことに由来する。


クリント地域は、住民が昔から丘陵地や山岳に住むのでその名がついた。


アルバは昔から石灰が取れる地域で、石灰の色が白いことに由来する。


ウィルヘルムは、過去にシルリングが帝国による支配を受けていて、それを打ち払った事にちなんでいる。

ウイルヘルムの名家であるコヴァン家を中心とした勢力が挙兵し、帝国を退けた。

それ以来、コヴァン家はシルリング王となる習わしである。


ダン族はこの帝国を退ける戦いに参加した功績を認められ爵位を賜ったものの、シルリングの端っこのメルクに封ぜられた。

コヴァン家を中心とするウィルヘルム勢の統治には邪魔だったからである。


しかし、ダン族に味方するアナスタシアの存在は大きかった。

対帝国戦で、最も力を発揮したのはアナスタシアだと見る者は多い。

ボーグである彼女を敵に回すのは避けたい。

ダン族以外の氏族には彼女を信仰の対象として見ている者たちもいる。

無体な扱いをすれば、それらの氏族を敵に回しかねない。

妥協案として、ダン族が王国に住むのを認めることにした。


ほとんどの貴族たちは流行の最先端を追うのに夢中であり、世俗の出来事には興味が薄い。

そして、自分達の地位を守ることだけに始終して、新規参入を嫌う。

なので、今回の瀝青の件も新規参入は考えにくい。

元々いる勢力が、自分達の地位を守るためにやっている可能性の方が高い。


ニルスは道中考え、そのような結論に至っていた。

ということは、ダン族の利権を削ってでも利権を得ないといけないというのか?

(……最近、大きな損や赤字を出したりしている連中がいるのかもしれない)

ニルスは思った。

まずそこを調べてみることにした。


「そう準備なんか要らないッ」

ニルスは口ずさんで、調査を始めた。



アナスタシアの元にニルスの手紙が届き始めた。

魔法の石をスネグーラチカの元に置いてきたので、連絡手段が手紙や伝令くらいしかないのだ。


「瀝青を扱っているのは、どうやらグリフィス家のようです」

「グリフィス家は先頃、保有する利権の一部を失ったようで、なんとかしてその穴埋めをしたがっている様子です」

ニルスの調査は上手く進んでいるようだった。

グリフィス家はウィルヘルムの貴族の一つである。

帝国との戦いで勇猛さを認められ、当の帝国より鷲獅子の意味である「グリュプス(Gryps)」の名を送られたという由緒正しい家柄である。

グリュプスは、シルリングではグリフィスと読む。


「グリフィス家が利権を失った経緯を調べてみて」

「瀝青はどこから供給されているの?」

アナスタシアは返事を書き、背景を調べるように促した。

(グリフィス家が急に利権の一部を失うなんて、不自然すぎる)

(穴埋めとして瀝青を扱いだしたのもヘンだ)

(誰かが裏にいて、操っているのではないかしら?)

アナスタシアは何やらきな臭いものを感じた。


シルリング国内にも河川は存在する。

河川では水運が行われている。

メルクや他の港を有する都市から運び込まれた物資や、国内の物資は河川を通じて搬送される。

物流の要は河川なのである。

その水運業に、船の製造や修復をするのに欠かせない瀝青はなくてはならない物だ。


(相手が後から参入してきたとはいえ、中央の貴族と対立するのはマズイわね…)

アナスタシアは思案している。

(瀝青の出所は恐らくムスペルランドね)

ムスペルランドは南方と言われる暑い地域である。

瀝青だけでなく燃ゆる水という油も産出されると聞く。

ムスペルランドは帝国のまたその南だと言う。

そんな遠い場所から輸送されてくるのに安く上がる訳がない。

何者かが、故意に安く流してメルクの妨害をしているとしか思えない。

だが、そんなことをして、なんのメリットがあるのか。

(……)

アナスタシアは結論を出せなかった。

まだ情報が足りない。


「グリフィス家はお抱えの商会らに石炭を扱わせていたようです」

「しかし、急に石炭が買えなくなったとか」

「その代わりに瀝青を購入しているようですね」

「これはおかしい。石炭が出なくなって、すぐに瀝青が買えるものでしょうか?」

「石炭も瀝青も南方から運ばれてきます。まるで裏に誰かがいて操作しているような…」

商売には疎いニルスにも、このおかしさが分ったようだった。

手紙の内容も疑問で一杯になっているのが見て取れる。


「ムスペルランドは産出国に過ぎません、グリフィス家は帝国領の商人を介して購入しているのでは?」

「可能なら、帝国についても調べてみて」

アナスタシアは返事を出した。

手紙ではやりとりが遅々として進まない。

そんなことをしている内に、フロストランドの一団が到着した。



フロスロランドの一行は、前回と同じルートでメルクへ来ている。

船がメインの交通手段だ。


「……蒸気船を作るのはどうだろう?」

ヴァルトルーデはヤコブセン邸に着くなり、言った。

「まず挨拶が先よ」

アナスタシアはジト目である。

変わってないなコイツという感じだ。

「お世話になります」

巴が代表して儀礼的なものをこなす。

最近は慣れてきて、一通りの作法を覚えていた。

もちろん、フローラに教わったものだが。

「いえ、こちらこそ、ぜひボイラー技術をメルクへ残して頂きたいものですわ」

アナスタシアは、にっこりしている。

「あれ、そういう顔もできるんだね」

ヴァルトルーデはニヤニヤしている。

「うるさいわね、普通は再会を喜び合うシーンですよ?」

アナスタシアはヴァルトルーデを睨む。

「お久しぶりです、アナスタシアさん」

パトラが挨拶した。

「引き続き、法律や制度のことを教わりたいです」

「わざわざメルクまでお越し頂いて、嬉しいですわ」

アナスタシアは機嫌良さそうに挨拶を返す。

フロストランドにいた時は、パトラと一緒にいる時間が多かった。

馬が合うらしい。

初日は挨拶をしたり、ヤコブセン邸や周辺の街並みを見て回ったりして終了。


ヴァルトルーデの仕事は蒸気車の改造から始まった。

アレクサンドラ型を真似て、充電池と電動機構を組み込む。

フロストランドにいる間、頭の中で考えていたようで、小一時間で完了してしまった。

「あとボイラーだね」

ヴァルトルーデは屋敷の空き地を選定して、ボイラー小屋を作り始める。

これについては鍛冶屋に部品の発注をしたり、大工に小屋作りを頼んだり、先にやることが多い。

フロストランドでは、ドヴェルグ=職人であることが多いので、何をやるにもすぐに取りかかれたが、メルクではそうもいかないようだ。

「ま、気長にやろうか」

静はのんびり果実ジュースを飲んでいる。

「そ、そうだな…」

ヴァルトルーデはそわそわしている。

待つのが嫌いなんだろう。


ヴァルトルーデは待っている間、蒸気船の設計図を作成することにしたようだった。

「蒸気船は、スクリューフロペラが発明されるまで、外輪船といって船体の外側に車輪を付けていたんだ」

「へー、ミシ○ッピ号みたいなヤツ?」

「やめろ、そういうの!」

ヴァルトルーデはツッコミ。

だが顔が笑っている。

「まあ、とにかくプロペラを開発するまでは外輪でやってゆくしかない」

「ロマンはあるよねー」

「うん、そうだな」

ヴァルトルーデはうなずいたが、どうでも良さそうである。

「流すなしー」

「外輪船はあんまりパワーがでないんだ」

「そっか、だから今はスクリューばっかなんだね」

「蒸気機関車が廃れて、電車に移行したのよ同じだ」

ヴァルトルーデはそこでため息をつく。

「内燃機関や電動構造がいかに優れているかってことだね」

「でも、それ、ガソリンがいるんだっけ?」

「それがネックなんだよな」



ヴァルトルーデは外出した。

知り合いの工房に行くのだという。

巴、静、ヤン、ジャンヌ、ニョルズ、レッド・ニーもついて行く。

フローラとパトラは屋敷に残った。

アナスタシアからメルクの制度についてを学ぶらしい。


工房はヤコブセン邸から歩いて10分程度のところにあった。

高級住宅地を出て、庶民の住む宅地へ入っていく。

雑然としているが、活気があった。

その一角に工房があり、ヴァルトルーデは工房へ入っていく。

「親方いる?」

「おや、ヴァルトルーデじゃないか」

汚れにまみれた男が現れる。

筋肉質で威圧感がある。

「最近見なかったな」

「ああ、フロストランドへ行ってたからね」

「フロストランドだと?」

親方は変な顔をした。


ヴァルトルーデは突然、工房へやってきた変なヤツだ。

いきなりやってきて、機械の部品を作れと言ってきたのだ。

できないなら他所へ行く、などというのでムキになって作ってやったら、料金はちゃんと払うし次の注文も持ってきた。

それが数回繰り返された。

そうしている内に職人としての気質が共鳴したのか、打ち解けていったのだ。


「そ、フロストランドの友人達だ」

「こんにちは」

「お邪魔します」

ぞろぞろとヘンな格好をした女たちとドヴェルグ、アールヴが入ってくる。

「はあ、なんだべ」

「船大工に知り合いはいる?」

「船大工だと?」

親方のピーターは驚いた。

「しらねえことはねえが、なんだって船大工なんかに用があんのか」

「蒸気船を作る」

「はあーッ!?」

ピーターは素っ頓狂な声を上げた。


ヴァルトルーデが蒸気車を作っているのはピーターも知っていた。

蒸気機関そのものはよく分らないが、湯気の力でなんやかやするのは見て分っている。

同じ機構を船に搭載できれば、蒸気の力で動くのだろう。

「船の場合は水を搔く動作をする機械を使う」

「あ、外輪船だっけ?」

静が思い出したように言った。

「そう、水車のようなもので水を搔く」

「はえー、なんつーかスゲーもんを思いつくだなぁ」

ピーターは考え方についてゆけない。

「船大工は船体を、それ以外の機械構造を親方に依頼したい」

「いつもムチャばっかいいやがんなぁ…」

ピーターは天を仰いだ。


設計図は一旦置いといて、船は既にある物を選定して使うことにした。

一から設計するのは時間がかかるからだ。

最初は小型船から始める。

ボイラーも小型のものを作る。

「へー、こうなってんのかぁ」

ピーターはボイラー作りを直に見て、感心していた。

一緒に作ることでボイラーの技術をメルクの職人に覚えてもらう、という試みでもある。

「下は火をたいて、上は水を沸かす、蒸気を管に通してその圧力を使うんだ」

「へー、面白いもんだな」

「シリンダーにこんな機構を作って、蒸気が交互に入ったり抜けたりするようにする」

ヴァルトルーデは懇切丁寧に機構の説明をした。

要点が分れば、ピーターだけでも再現ができる。

「ほーん、蒸気さえあれば、ずっと動き続けてくれるってわけかぁ」

ピーターはボイラーのモデルを見て、その動きを理解したようだった。

「ポンプと組み合わせて水や湯を供給したりもできる」

「ほえー、ポンプが自動で動くんかい」

「そう、ポンプの仕組みは、だいたいシリンダーと同じ構造だからね」

「なるほどなぁ」

こうやって、ボイラーについて覚えてもらった。


船に蒸気機関を設置して、外輪を取り付ける。

ヴァルトルーデたちは港の造船所へ赴いていた。

船大工の工房を借りて蒸気船を作っているのだった。

フロストランドと違って工作機械がないので、逐一手作りである。

部品を揃えてから、すべて工房で組み立てる。

「手順を決めて規格品としないとな」

「なるほど、作った本人にしか分らねぇ代物じゃあ、他のヤツらが作れねえもんなぁ」

「うん、修理をする時にも部品を交換したり、外したりできなければいけない」

ヴァルトルーデは説明を続ける。

「統一規格を作るのは必要なことだ。その型に合わせてそれぞれの規格にはした方がいいけどね」

「けど、高いんじゃねーの」

「値段は確かに高い、でも普及して行けば徐々に値段は下がって行くさ」

「普及するかねぇ」

ピーターは懐疑的である。


試作一号ができた。

「ボイラーを焚くぞい」

船大工の親方がボイラーに石炭を放り込む。

やがて水が沸騰して蒸気が充満する。

蒸気機関が動き始め、外輪が作動した。

「おっ、動いた」

船が進み出す。

速度は遅いが、まずは第一歩であるといえる。

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