第32話

32


「ニシンの缶詰め作ろうぜい!」

アレクサンドラは提案してきた。

「……シュールストレミング作る気だな?」

クレアが厳しい視線を向けた。

「そんなことはないでございますよ?」

アレクサンドラはそっぽを向く。

「航空機に載せられないような危険物だぞ」

「おいしいのに」

缶を冷やして、屋外か水中で開封し、流水かウォッカなどの強い酒で洗ってから、タマネギやサワークリームと一緒にパンに挟んで食べるなど。

おいしく食べる方法はあるそうだ。

「味の嗜好をとやかく言う気はない。破裂するからダメだと言ってるんだ」

「え、破裂!?」

静が驚いている。

「てか、塩が貴重品だったから塩蔵ができなくて塩水漬けにするしかなかっただけだろ、それ」

ヴァルトルーデは渋い顔をしている。

「ちゃんと塩漬けにするか加熱処理すればいいだけだ」

「それじゃ面白くないだろ」

アレクサンドラは、ぐへへと笑っている。

「だから面白さで物を作るんじゃないよ!」

「なにを揉めてるんじゃ?」

スネグーラチカが会議室へ入ってくる。

このところ、北の海岸線の集落の代表達と海産物の輸送について話してるようだ。

「魚の缶詰じゃと?」

「うん、ニシンの切り身を缶詰めに…」

「それはちょうどよいのう、缶詰にすれば保存も利くし輸送も楽になる」

「いや、アレクサンドラが言ってるのは世界一臭い缶詰のことなんだけど…」

「はあ?!」

スネグーラチカは驚いて声を上げた。


「却下じゃ、却下!」

スネグーラチカはダシダシと机を叩いた。

「そんな危険なもの作らせるか!」

「くっ…」

アレクサンドラは歯がみしている。

「くっそー、面白いのにィ…」

「面白さで作るな」

「塩が貴重なのは確かだけど、加熱処理できればそれで済む話なんだよな」

クレアが補足する。

「とにかく瓶詰めか缶詰めができれば輸送が楽になるわけだね」

「乾物にするとか」

「となれば、海辺に加工工場を作れるな」

スネグーラチカの頭の中には構想があるようだった。

漁業だけでなく、加工を行えれば現地の雇用は増える。

雇用が増えれば現地の民の収入が増える。

そのためには館が発注をすべきだろう。

「という訳じゃ、海産物を使用した携行食糧を開発してくりゃれ」

「また難しいことを言うなぁ…」

静は青くなっている。

「魚のスープでいいんじゃないか?」

クレアが助け船を出した。

「安直だけど、フロストランドで普通に食べられている料理をベースにするのが一番いい」

「そだね」

静はうなずいた。

「それから、乾物、鮮魚を輸送するのも視野に入れましょう」

マグダレナが提案した。

「それぞれ需要に応じて必要な数は異なります。また海産物のグレードに合わせることができるようになります」

「どういうことじゃ?」

「つまり、良品は鮮魚、乾物へ、そうでないものは加工品へ回すということで無駄がでないようになります」

「加工すれば付加価値がついて価格も上昇するからな」

クレアが補足する。

「もちろん、加工設備導入のための投資は必要ですが」

「うむ、その辺は徐々にやってゆけばよかろう」

スネグーラチカはうなずいた。


氷の館が、これらの国内経済振興を進めていくにつれ、西部や北部のアールヴ諸種族は実質的に雪姫勢力へ合流することになった。

経済的利益から入り、その他にも様々な利益があると知って続々と傘下へ入る。

この繰り返しでフロストランド全土統一に向かって行った。

しかし、西のゴブリン族など一部の種族には反対勢力が残り続けており、地下へ潜って活動を続けることになる。

大勢は決したものの、火種が残る状態だ。


フロストランド全土で戸籍調査が進んでゆき、全国民が把握できるようになってきた。

食い扶持の問題で、軍へ志願する者も増えてくる。

基本的に外敵はおらず、内部でも火種が少ないので、訓練さえしてれば生活が保証される。

軍隊の失業対策の面が大きく出ている。

人数が増えてくれば、各方面の駐屯が可能になってくる。


雪姫の町駐屯軍。

茜の丘駐屯軍。

パック集落駐屯軍。

まずはこの三軍を置いた。

その他の地域には、現地民で構成される軍を置くことにした。

西の丘陵地にはゴブリン族により構成されるゴブリン軍。

北の海岸地帯には現地民で構成される北海軍。

これらの地域は独立の気風が強いことによる配慮だ。

雪姫軍とは友好状態にあり、交流が頻繁に行われているということになっている。

実際には幹部の訓練や武器の供与など、雪姫軍が行っている。


いずれは同じフロストランドという国の意識ができてくるだろう。

そうなればフロストランド軍という括りになるはずだ。


「ふむ、なかなか様になってきたのう」

以上、ジャンヌの報告を受けて、スネグーラチカは満足そうである。

「まだゴブリンの反乱分子が残ってますがね…」

ジャンヌは言ったが、

「世代を重ねる毎に意識も変わってくるじゃろう、それまで善政を続けるまでじゃ」

スネグーラチカは力説した。

雪姫の信念は変わらないようである。



異変を感じたのはメルクに戻ってから三月も経った頃だろうか。

アナスタシアは、すぐに館の主であるニルス・ヤコブセンを呼んだ。

「ここ最近、急に瀝青の輸出量が減っています」

「はあ…」

ニルスはぼんやりとした返事しかしなかった。

政治や権謀術数はともかく、経済や商売に関してはまったく勘が働かないのだ。

「はあ、じゃありませんよ。すぐに理由を調べてくださいな。事によっては早急に対処しないといけませんし」

「わ、分りました」

ニルスは部下や一族に連絡を取り、調査を開始した。


メルクの貴族たちは、体制維持のための情報網・諜報網には優れたものがある。

すぐに原因を掴んだ。

「瀝青を安価で販売する勢力が現れたようです」

ニルスは調査結果を発表した。

「我々の商品を購入しているのは主に中央の王国ですが、王国がその勢力とつながっているようですね」

ヤコブセン邸の一室で、円卓を囲んでいた。

その中にはメルクの統治者であるアナセン伯の姿もある。

「発見が遅れたようだな」

「申し訳ありません、アナスタシア様に指摘されるまで気付きませんでした」

「まあよい、今後如何したら良いですかな、アナスタシア様?」

「王国とのつながりを強化してゆくこと、瀝青の価格を下げることでしょうね」

アナスタシアは無表情のままで答えた。

「うーむ、価格を下げるのか…」

アナセン伯は難色を示した。

利益が減るのだから当然である。

「ここは利益より販売数を取らなければなりません。それができなければ、こちらの負けです」

「なるほど、好き嫌いを言っている場合ではないと」

「そうです」

アナスタシアはうなずいた。

これまで、アナセンらメルクの貴族一門はアナスタシアの助言によって生き残ってきた。

アナスタシアの言葉は的確。

アナスタシアの言葉を疑うべきではない。

一門全員がそういう認識を持っている。

「分かり申した。すぐに王国とのパイプを強化し、瀝青の価格を下げましょう」

「はい」

アナスタシアは静にうなずいて、

「それから、瀝青以外にも商品を考えるべきでしょう」

「…それは、アナスタシア様にしては珍しい物言いですな」

アナセン伯は驚いたようだった。

これまでは、余計な事は一切せず、体制の維持と商品の独占に務めてきたのだ。

今のアナスタシアの言葉は、それを自ら崩すような発言である。

「はい、これまでとは状況が変わりつつあります。

 ヤコブセン子爵の報告にある通り、フロストランドでは産業革命が起きつつあり、世界の均衡が崩れ去る可能性が強くなっています。

 我々がここで努力を惜しめば確実に革新の波に乗り遅れて凋落するでしょう」

「うーむ、急な話だ…」

「世界の変革は突然起こるものですよ」

アナスタシアは言った。

「もちろん、助言を受け入れるも否もあなた方次第ですが」

「……我々はアナスタシア様の助言に従う他ありませぬ」

アナセン伯はうなずく。

(我々の一族にはもう考える力を持つ者は少なくなったのでなぁ…)

これが本音である。


メルクの貴族一門は長年アナスタシアの助言に従ってきたせいで、自ら考える能力を喪失してきた。

意識的に革新的な考え方をする者を排除してきた。

結果として、自分達の利益だけを守る気質の者だけが残った。

アナセン自身は上手く立ち回って統治者にまでのし上がったが、一門の者はほとんどが無能であり、ただアナスタシアに盲目的に従うだけである。

この一門に身を置く以上、アナスタシアをないがしろにするというのは、すなわち死を意味する。

アナセンはそんな中であっても、平民から有能な部下を選抜してきた。

有能であれば、その生活を保証し、地位と財を与えてきた。


アナセンが部下に商品開発を命じたところ、

「ボイラー技術を入手すれば良いかと愚考いたします」

という予想を遥かに超える答えが返ってきた。

「フロストランドから発するボイラーは既にビフレスト、エルムト、ギョッルなどの北域に普及し出しており、それらを手中に収めねばこの先、牛後とならざるを得ません」

「うーむ」

「それから、ヤコブセン子爵が戯れに呼び寄せたワグナーという者がボイラーを扱えるそうです」

「なに!? ならばすぐ呼び寄せねば」

「残念ながら、ワグナーはフロストランドへ旅行中です」

「うぐっ……」

アナセンは一瞬、言葉に詰まった。

「アナスタシア様が気晴らしで旅行したのに同行していたということか」

「はい」

部下たちはうなずいた。

「むむむ、ワグナーとやらを呼び戻せぬものかのう」

「それはアナスタシア様に言って頂くべきでしょう。かの者が外へ出て行ったのはアナスタシア様のせいですから」

「そうか…」

アナセンは気が進まなかったが、背に腹は代えられない。

すぐにヤコブセン邸へ赴いた。


「アナスタシア様、フロストランドへ旅行した時にワグナーという者が同行していたそうですな?」

「あ、はい、そうですね」

アナセンがジロリと睨むと、アナスタシアは頬に汗を浮かべて視線を外した。

「その事をどうこうする気はありませぬ。が、ワグナーを呼び戻すべきです」

「それはどういうことです?」

「新たな商品開発の候補にボイラーというものが上がりました。そしてワグナーはボイラーに詳しいようですな」

アナセンは正直に言った。

ボイラー技術を手に入れないと、今後は第一線から落ちこぼれる。

そのようなことを進言した。

「…なるほど、よくわかりました」

アナスタシアは納得した。

「少し時間を下さい、フロストランドの雪姫殿と相談してみます」

アナスタシアは、言って魔法の石を見る。

「よろしくお頼み申します」

アナセンは深々とお辞儀をして帰って行った。



(アナセン伯には、ああ言ったものの、どんな顔でヴァルトルーデを戻せと言えるのよ…)

アナスタシアは頭を抱えた。

(せめて、なにか理由がないと……)

考えたが、なにも良い案が浮かばない。

「どうしました、アナスタシア様?」

そこへやってきたのはニルスだ。

「ああ、ニルス」

溺れる者もなんとやらで、アナスタシアは事の次第を話した。

「ああ、そんなことですか」

ニルスはさらっと言った。

「むむっ…、そんなことって、じゃあ言ってみなさいよ!」

「何を怒ってらっしゃるのです」

アナスタシアが語気を強めるので、ニルスはビックリしている。

「交流の一環として、フロストランドの方々を招けばいいのですよ」

ニルスは言った。

「理由はなんでもいいんです。

 ボイラーの技術を学びたいからとかそれっぽいことを言って、技師を招けば、ヴァルトルーデしかいないじゃないですか」

「ほう…」

アナスタシアは、少しニルスを見直したようだった。

「ちょっと前まではこんな小さかった坊が、成長したのねぇ」

「子供扱いはやめて下さいよ」

ニルスは顔を真っ赤にして抗議した。



「という訳で、アナスタシア殿からメルクへ技術指導に来て欲しいという話がきた」

スネグーラチカは、なんとも言えない顔をしている。

忙しいところへ面倒な依頼が飛び込んできたとしか言い様がない。

「普通に考えて、ヴァルトルーデさんを返せということですわね」

マグダレナが言った。

「うむ、そうなるじゃろうな」

「えー、まだ色々作り足りないよねー?」

アレクサンドラがヴァルトルーデに向かって言った。

「うん、まあ、そうだけど、ボイラー作りとあれば帰らない訳にはいかないだろうなぁ」

ヴァルトルーデは若干の間の後、答える。

本心ではフロストランドに居たいが、本籍はあちらだ。

帰らない訳にはいかないだろう。

会議室が静まる。


「どーせ行かないといけないなら、こちらもメルクから学べるものを学んできたらいいよ」

静寂を破ったのはパトラだった。

「メルクの制度はかなり進んでるんでしょう?」

「制度に関してならパトラが適任だな」

ヴァルトルーデが言う。

「えっ…!?」

パトラは驚いたが、すぐに気を取り直した。

「も、もちろんだよ」

「他にも学べるものがあれば、人を派遣すべきでしょうね」

「うーむ、ここは仕方ないかのう」

スネグーラチカは妥協する気らしい。

内政が落ち着いてきて、それほど急いでやることもなくなってきている。

内燃機関がまだ出来ていないが、蒸留酒の設備ができたのでバイオエタノールはいつでも作れる体制だ。


スネグーラチカと11人の娘たちは人選を行った。

技術者としてヴァルトルーデ。

法律や制度関係はパトラ。

料理習得と外交補佐としてフローラ。

護衛として、いつもの巴、静、ヤン、ジャンヌ、ニョルズ、レッド・ニー。

合計9名だ。


それから、ビフレストでエーリクたちと合流する予定なので、人数はもっと増えるだろう。


「いっそのこと蒸気船開発した方が早くね?」

「いいな、それ」

アレクサンドラとヴァルトルーデは言い合っている。

「ちゃんと帰ってこいよ?」

「もちろん、エンジン作りが残ってるからね」

「もたもたしてると私が作っちゃうから」

「言ってろ」

ヴァルトルーデと一番仲が良かったのはアレクサンドラだ。

寂しさは微塵もみせなかった。

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