第25話

25


「こらっ!」

パトラが叫んだ。

「厨房から食べ物を盗むんじゃない!」

「べーっ」

アカンベをしながら、ヤスミンが逃げる。

転移前の物を盗むクセが抜けないのだった。

「ほっ!」

アレクサンドラが向こうから、ボーラを投げた。

「うわっ!?」

ボーラがヤスミンの足に絡まって、倒れる。

「確保だよ」

「ちくしょー、卑怯だぞー!」

「へへーん、面白武器の使い方覚えたでしょ」

ヤスミンはボーラを取り除いて、ヤスミンを立たせる。

「あのねぇ、言えば分けてもらえるって何度も言ってるでしょーが!」

パトラがヤスミンを叱りつけるが、その言葉はなかなかヤスミンの頭の中に入ってゆかないのだった。


「まるで動物だな…」

ドカッ

パトラが椅子に座る。

怒りを抑えきれず、勢いで椅子がきしむ。

「なんべん言っても聞かない」

「まあまあ、そんなに怒っても仕方ありませんよ」

マグダレナがお茶を持ってくる。

巴たちがメルクで購入した物を淹れていた。

「うん、おいしい」

パトラはお茶を一口飲んだ。

少し落ち着いてきたようだった。

「言って聞かない子供には、それ相応のやり方というのがありますわ」

マグダレナの眼鏡がキラリと光った。


「おい、ヤスミン」

巴が言った。

「あんまり悪い事してると、ワーグが来るぞ?」

「ワーグ?」

ヤスミンは、きょとんとしている。

「狼の魔物だ、悪い子を食べに来るんだ」

「へんッ、バカじゃないの、そんなおとぎ話…」

ヤスミンはバカにしたが、

「忘れてるようだが、ここはおとぎの国だ。精霊もいれば悪霊もいる、せいぜい気をつけるんだな」

巴は悪い顔でニヤニヤしていた。

「まさか、そんなことがあるわけ」


「ワオーン!」


急に遠吠えのような声がして、

「うわっ!?」

ヤスミンは驚いて飛び退いた。

「あ、ごめん、そんなに驚くとは思わなかったよ」

振り向いた所にいたのはパックだった。

「なんだよ、おどろかすなよー」

ヤスミンは胸をなで下ろす。

「ワーグはホントにいるよ」

「え?」

パックが唐突に言い始めたので、ヤスミンはドキッとしたようだった。

「もっと北の方だけど」

「ふーん」


印象づけることができたようだ。



「こらーっ!」

パトラの怒鳴り声を尻目に逃げるヤスミン。

懲りずに食べ物を盗んでいた。

外に出て戦利品を値踏みしていると、


オォ…


何か聞こえてくる。

「ん?」

ヤスミンは首を傾げた。


ワオォォン


かすかに聞こえてくる音が、遠吠えだと気付いたのは数秒経ってからのことだ。

「え、なんだろう」

ヤスミンは少し不安になってきたようだ。


タッ、タッ


足音が近づいてくる。


「……ッ!?」

ヤスミンはハッとした。

生まれ育った街にも犬はいた。

野犬か野生化した犬か、どちらにしても飼われてない犬は野生動物だ。

人を襲う生き物だ。


ハッ、ハッ


息づかいが聞こえてくる。

「ひーッ」

耐えきれなくなったヤスミンは館の中へ逃げ帰った。

「あれ、どうしたの、ヤスミン?」

パックが通りかかる。

「ワーグが出たッ」

真っ青な顔でヤスミンは自分の部屋へ逃げてゆく。

すごい勢いでドアが閉まる音が響いた。

「へー、ワーグがねぇ」

パックはニヤニヤしながら、扉を開けて館の外へ出た。

「フェンリル?」

キョロキョロと周囲を見回すと、のっそりと銀色の毛を持つ犬のような動物が現れた。

パックが使役する精霊の一種、氷の狼フェンリルだ。

『パック殿』

フェンリルがしゃべった。

『言われた通り吠えたりしてみたが、一体何をさせたいんだ?』

「いいんだよ、上手くいったみたいだから」

『解せぬ…』

フェンリルは釈然としていないようである。

ワーグと勘違いさせたと知ったら怒るだろう、魔物と精霊はどちらも魔法と深い関わりがあるが、性質は真逆だ。

「ご協力ありがとう、なにかあったらまた頼むよ」

『よく分らぬが、お役に立ったのであれば』

フェンリルが言うと、姿が見えなくなった。



この脅しは上手くいったようで、ヤスミンは盗みを働かなくなった。

悪い事をする→怖い目に遭う。

という図式が頭の中にできあがることで、人は自分を制御する力を持つようになる。

抑制が利くようにはなったが、その代わり一人でいると不安がり、ヴァルトルーデやアレクサンドラにべったり張り付くようになってしまった。

「ちょっと薬が効きすぎたんじゃないのか」

「まあ、すぐに忘れるよ」

巴とパトラが結果について話している。

「あー、面白かった」

そこへ、パックがニヤニヤしながらやってくる。

「今回は助かったけど、お前らアールヴも気をつけろよ」

巴はジト目でパックを見た。

「ハイハイ、分りましたー」

パックは聞く耳を持たない様子である。

「パックが悪い事をしたときは、フローラの講義を聴かせない、でいい」

パトラが笑顔で言う。

「ボクは最近は何もしてないよ、そういうのヤメロよ!」

パックは両手をブンブンと振って抗議している。

大パックの知識欲はかなり強く、フローラの講義を毎回欠かさず聴きに行っているのだ。


「冗談だよ」

「もー」

「でも、フローラ大丈夫かな、かなり力を入れすぎてるんじゃないか」

巴は話題を変えた。

フローラは教育熱が入りすぎて、休みをほとんど取っていないようだった。

だいたいこの手の人種というのは、睡眠時間を削ってまで仕事に打ち込んでしまう。

青い顔をしてふらつく事が増えた。

「うーん、そうなんだよなぁ」

パトラは唸っていたが、


「!」


と頭の上にひらめきマークが浮かんだような顔をした。

「パック、ちょっと相談があるんだが…」

「えー、なに?」


パトラの案はこうだ。

パックを講師として起用する。


パックはフローラの講義をすべて聴きに行っている。

疑問に思ったところ、分らないところはすぐに聞く。

覚えたことをベラベラしゃべるので、フローラが理解度を確認できる。

これが自然と復習になっていて、フローラの講義内容を理解するところまで指導できている。

頭の回転も早く、物覚えもよい。


「覚えた所だけでいいんだ、フローラと交代で講義してみてくれ」

「えー、まあ、いいけど」

パトラの案に、パックは別段反対しなかった。

元々、しゃべるのが好きな種族だ。

「ま、遅かれ早かれ講師にはなれって言われてるし」

「よし、じゃあフローラに話しにいこう」


という訳で、フローラの体調を考えて、交代制で講義をするようになった。

講義を受ける方も復習の機会ができて好都合という面もある。

特に文句は出ず、二人体制が敷かれた。



蒸気機関車が完成した。


ヴァルトルーデ設計の機関車は重量が約15トン、2気筒である。

運転席が吹きさらしではなく部屋としての体を持っている。

冬場、雪が降ることを考えての仕様だ。


アレクサンドラ設計の通称ロケット号は、機関車重量が約5トンで1気筒だ。

運転席が吹きさらしなので、運転手にはすこぶる評判が悪い。

この重量は、機関車を計れる秤がないので、部品重量を合計したものだが。


「ボイド・アドラーと名付けよう」

ヴァルトルーデは誇らしげに胸を張った。

どちらも初期の蒸気機関車の名前だ。

ボイドはドイツで最初に開発されたとされる蒸気機関車、アドラーはドイツで最初に走行に成功した蒸気機関車とされる。

「アドラーはエゲレス製やないかい」

アレクサンドラがムキになって叫ぶので、

「いいんだよ、機械に国境はないんだからッ!」

ヴァルトルーデもムキになって叫び返した。

「むぎー」

「うぎー」

二人は顔を付き合わせるようにしている。

「ふん、ブリャンスキー、フェリックス・ジェルジンスキー、ロシアの機関車は最強だって知らんの?」

「ボイドはレースでスチーブンソンのモデルより10分早かったんだからな!」

アレクサンドラとヴァルトルーデは、話がかみ合わないままギャーギャー言い合っていたが、

「2型でいいんじゃないの?」

スカジの一言で、大人しくなった。

「2型……なんてうすっぺらい響きだ」

「そんなロマンのない名前はダメだよ」

二人は一緒になって抗議する。

仲が良いのか悪いのかよく分らない。

「てか、ここはフロストランドなんだ、もっと他にちなむものがあるだろ」

スカジが意味ありげに言うと、

「ああ、そうだね」

「うん、そういうヤツね」

アレクサンドラとヴァルトルーデは察したようだった。

二人とも渋い顔をしている。


「と、いう訳で、2型はスネグーラチカと呼ぶことにします」

アレクサンドラはミーティングで発表した。

「マロース、アナスタシア、あと二つはいけるな」

ヴァルトルーデは、頭がもう次のモデルにいってしまってる。

「ちょっ……やめてください」

アナスタシアは慌てて手を振った。

「私の名を使うとか、恥ずかしすぎて、ダメです」

「えー、ボーグ・シリーズだからいいでしょー」

「私はフロストランドには何の貢献もしてませんし」

アナスタシアは顔を真っ赤にして拒否っている。

「まあ、よいではないですか」

スネグーラチカは乗り物に乗れるので、機嫌が良さそうであった。

基本的に細かいことは気にしない性格なのである。

「もー」

アナスタシアは少しむくれたようだった。


「ところで、雪姫の町の周辺はいいとして、辺境地域の掌握が遅れているようですね」

アナスタシアは気になっていた事を指摘した。

大臣たる11名の娘さんたちは外の世界の住人だけあって、現地の地理には疎い。

パックやニョルズは補佐はできるが、問題提起に至る意識が薄い。

当人が当たり前と思ってることは、なかなか問題として認識することができない。

アナスタシアは、外から来て、この世界の地理にも詳しい。

「うむ、ご指摘の通り、すべての集落を統治するまでには至っておらぬ」

スネグーラチカは答えた。

「じゃが、武力で従わせる訳にはいかぬのでな。

 今、統治をしているとは言っても、それは民草が私を受け入れておるからだしのう」

「そういう方針であれば仕方ないです」

アナスタシアは一旦言葉を切って、

「しかし忠告するならば、今後勢力を拡大してゆくか否かの決断はせねばならぬでしょう」

助言という形に留めた。

「時代が移り変わるに従い、国というもののあり方も徐々に変わってきています。

 国が大きくなれば緩衝地が減って隣接するようになります。

 国境という概念が生まれてくるのです」

「あー、私たちの世界でも国境紛争とかよく見かけるよね」

静が言ったが、

「……」

「……」

巴を除く10名は皆、無表情である。

「そういうデリケートな話題はヤメヨーナ」

クレアが穏やかに言ったが、日本人2名以外は腹の中で国情を抱えてモヤッとしていた。

「え、私、なんかした?」

「それぞれの国では、それぞれの事情を抱えてるんだよ」

アレクサンドラが、静の肩に手を置く。

「おぬしら全員、今はフロストランド国民じゃ」

その様子を見たスネグーラチカは力説した。

「色々事情はあるじゃろうが、今は忘れて私に力を貸してくれ」

「へーい」

「ま、雪姫様の言う通りだな」

皆、一旦そういうものは置いておく事で同意したようだ。

「つまり、アナスタシアさんは、この世界では各国とも安定してきて勢力が伸びてきているけど、いずれ国と国がぶつかり合って摩擦が生じると言いたい訳ですね」

パトラが確認するように聞いた。

「はい、そういうことです」

アナスタシアはうなずく。

「メルクはシルリング王国の一都市でしかありませんから、シルリング王家に従うだけです。

 でも、フロストランドはスネグーラチカ殿を中心とする勢力とそれ以外に分れてます」

「なるほど、そういう観点はもっとらんかったな」

スネグーラチカは難しい顔をしていた。

「……まだまだ先の話ですが」

アナスタシアは付け加えた。

シーンとしてしまったので、取り繕ったのだった。

「どうやら、先を見据えてかからねばならぬようだの」

スネグーラチカは言った。


単純暴力としての戦の時代は過ぎ去った。

経済が発展して、文化的な生活が営めるようになっている。

安定である。

だが、その安定が勢力圏を増大してゆく。

人口増加、食糧増産、交易の拡大、等々……。

勢力圏がある一定の所まで達した時、資源争奪が始まる。

静たちの世界も経験した複雑化した戦争の時代の幕開けである。


アナスタシアは卓越した演算能力を持っていた。

それをもってダン族の有力者たちを指揮し、メルクを統治して安定させた。

今後は資源争奪の世が訪れる。

だから、メルク周辺で採取される物資、瀝青を独占した。

瀝青は天然アスファルトや石油アスファルトの総称だが、メルクで採れるのは天然アスファルトの方だ。

天然アスファルトは昔から接着剤、防水剤として使われてきた。

容器、建造物、道路はもちろんのこと、船の製造・補修にも防水加工に天然アスファルトが使われる。

つまり、瀝青は人々の生活に不可欠な物資だ。



「連合制ですね」

数日後、マグダレナが提案した。

「アールヴさんたちに聞いたりして調べたところ、フロストランドには北の海岸付近にメロー、セルキーなどのアールヴの部族、西の山岳地帯にはノッカーやトロルなどの鉱山を主産業とする部族が住んでいるそうですね。

 これらの部族は集合して少なからぬ規模になっているようです。

 スネグーラチカさんを統治者とした勢力を中心として、これらの部族が集合した勢力を連合させればよいのです」

「へー、イギリスみたいなもんか?」

巴が言ったが、

「ブリテンは連合王国ですから違います」

フローラは即座に否定した。

パックが交代しているので、大分顔色が良くなっている。

「あ、そう」

巴は若干引いている。

「ともかく、フロストランドはドヴェルグ諸部族、アールヴの一部部族、トムテがスネグーラチカさんを統治者としているのが現状ですね」

フローラは言った。

「これに参加してもらうのが良いのですが、今までそうならなかった訳ですから、連合相手として協力してもらうということですか」

「ああ、なるほど」

クレアがうなずいた。

「最初は連合でも、結局後で参入してもらうようにするんでしょ?」

アレクサンドラが口を挟む。

「…いや、それ酷すぎない?」

クレアが呆れている。

「上から目線になっちゃうけど、いずれ国家成熟の時代が来て外国とぶつかり合うんだし、参入しない状態で外国に蹂躙されたら悲惨だよ?

 だから、今のうちに傘下に入れた方がいいんだよ」

アレクサンドラは熱弁している。

なにか思うところがあるのかもしれない。

「もちろん、フロストランド内の部族が蹂躙されるようなことを見過ごすなどありえぬ」

スネグーラチカは断言した。

「だが、これは仮定の話じゃ、そうならぬようにせねば」

「うん、そうだね」

静がうなずく。

皆、思ったより、議論に夢中になっている。

一般的日本人の静と巴は戸惑った。

政治や経済が自分に関わってくることなど現代日本ではありえない。

そういう面倒なことは、お上がやってくれる。

何も考えなくても生活に支障は無い。

だが、この世界では自分たちも当事者なのだ。

それを実感し始めている。

(これって、ある意味、メルクと同じだね…)

静はふとした瞬間、気付いた。

それが良い事なのか違うのか静には分らなかった。


「マグダレナさん」

アナスタシアが言った。

「あなた方の世界では資源争奪が起きたと思うのだけど」

「マグダレナで構いませんよ」

マグダレナは、にっこりしている。

「はい、当時の主立った国をすべて巻き込んだ戦争が起きました」

「マグダレナ、もしできたらで良いのだけど、それを教えてくれるかしら」

アナスタシアは頼んだ。

「ええ、いいですよ」

マグダレナは彼女らの世界の歴史をかいつまんで話した。

「二回の大戦が起きました。恐慌が起き、高い関税を掛け合って、外交手段として戦争をする、冷静にみれば愚かですが、当時に生きる人々にはどうにもならなかったのだと思います」

「……」

アナスタシアも他の皆も黙っている。

「……私の予想を遥かに上回っていました」

アナスタシアは顔色が悪くなっていた。

「国と国が総力を掛けて戦うなど、自殺行為としか思えません」

「はい、第三者が冷静な立ち位置から見ればその通りです」

マグダレナは淡々としている。

「私自身、その時代に生まれていませんし、情報として見聞きしたものでしかありませんからね」

「しかし、そちらの世界では実際に総力戦に突入したのですね」

「はい、今でもその傷跡は残っています」

「そのようなことは防がねばならん」

スネグーラチカは難しい顔をしていた。

「まだ時期ではありませんが、対策は立てねばならないでしょうね」

アナスタシアは言った。

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