第22話

22


ヴァルトルーデが屋敷に戻ってきた。

蒸気自動車を庭に停める。

「お帰りなさいませ」

侍従が歩み出て会釈をする。

「うん」

ヴァルトルーデは館へ入って行った。

客人扱いなので自由にしていられるが、今日会った者たちの言葉が頭から離れない。


屋敷の主はニルス・ヤコブセン子爵。

貴族である。

ヤコブセン子爵は、メルクを統治するアナセン伯爵の親類に当たる。

貴族に限らず、どの世界でも似たようなものだが、アナセン伯は要職を血族で固めている。

親類縁者である家柄群がメルクの要職を押えている。

新規参入の余地はない。


それがヴァルトルーデの悩みであった。

蒸気自動車は珍しい物として重宝されたが、あくまでも珍重。

面白い物以上の意味を持たないのだった。


領地経営にしてもそうだ。

通常の運用に始終して、同じ事を繰り返す。

今まで大丈夫だったから明日も大丈夫。

新たな考えは必要ない。

改善も必要ない。

体制の維持、それだけが重要視される。


暮らすにはいい。

街の民は安心して暮らせる。

安定した生活。

……上を望まねば、という条件が付くが。


「所詮、客寄せパンダか」

ヴァルトルーデは自嘲気味につぶやく。

適当に食事を取って就寝した。


屋敷には使用人と執事しかいない。

ヤコブセンは中央地区で暮らしているので、ほとんどメルクにはいない。

これは貴族のほとんどがそうなので、ヤコブセンに限った話ではないが、領地経営は部下にやらせている。

地位にあぐらをかいて、何もしなくとも金を儲ける。

一般市民は、貴族様に「使える部下」と認識してもらって仕事を得る。

どこか異常な気がする。

ヴァルトルーデの悩みはそれだった。


先日、あの娘たちと同じように話しかけてきた連中は、運悪くヤコブセンの手の者に見つかって捕まった。

他国のスパイと思われたのだろう。

実際、フロストランドの関係者なのだから仕方がない。

あの娘たちも、もし見つかったら捕まるだろう。

だが、それは忍びない。

だから、脅して蹴散らそうと思った。

しかし、あんな話を聞いてしまっては……。


迷いが生まれていた。



ヴァルトルーデは気晴らしに外出した。

いつも通り、適当に周遊するつもりだったが、気付いたらもらった連絡先へ来ていた。

「……」

ヴァルトルーデは宿の前に蒸気自動車を停めた。

車から降りる。

宿の入り口を見る。

天を仰ぐ。

(私はなんでここにいるんだろう…)

「あ、昨日の姉さん!」

いきなり声がする。

アールヴが側に立っていた。

確か、パックと言っただろうか。

「グーテンモルゲン」

「モイ!」

二人は挨拶を交わす。

「早速訪ねてきてくれたんだね、ささ、どうぞ中へ」

「あ、ありがとう」

ヴァルトルーデは素直に中へ入ってゆく。

酒場の席を借りて座った。

朝食が終わったくらいの時間帯で、みなこれから一働きって雰囲気だ。

「お茶を買って見たんだ」

パックはポットを用意してお茶を淹れる。

「うん、いい香りだな」

ヴァルトルーデは一口お茶を飲む。

「ボク、お茶ってのは初めて飲んだよ」

パックはニコニコしながら言う。

「そうか」

「旅先では色んなものが見れるよねぇ、知らないものを見たりするのが一番好きなんだ」

「…そうだな」

「科学っていうんでしょ?」

「え?」

パックは聞いた。

その瞳はあまりにも純真だ。

「ボクたちの集落では発展しなかった。魔法はあったけどね。知る事が楽しいんだ、そして仲間にも伝える、広まるのも楽しい」

「そうかもな」

ヴァルトルーデは目を伏せた。

「悪いことは言わない、この街から早く出るんだ」

「え、なんで?」

パックはきょとんとしている。

「そ、それは…」

「昨日、事情があるといったね」

気がつくと、ジャンヌが二人の横に来ていた。

「うん、その通りだ」

「よければ教えてくれないか?」

「それは…」

ヴァルトルーデは言い淀んだ。

「君らがフロストランドから来たというのが知れたら、危険だからだ」

「心配してくれてるのか」

ジャンヌは席に座る。

「パック、私にもお茶をくれ」

「はいはい、指揮官殿」

パックはおどけた感じでお茶を注ぐ。

「指揮官だと? 商人とばかり思ってたが…」

「演技だよ、知らない土地で正直に身分を言うのは不用心だからね」

ジャンヌは声色を止めて、地声で話している。

年相応の少女という印象だ。

「実際、この前もフロストランドから来たというヤツらが、見つかって捕まった」

ヴァルトルーデは話し始めた。

「アンタたちもそうなる前にこの街から出ることだ」

「スパイ容疑で捕まったのか?」

「そうだ」

「誰が捕まえるんだ?」

「警備兵だ、メルクの貴族が抱えている私兵の一つだな」

「蒸気自動車がそんなに秘密にされてるのか?」

「いや、私の存在を外に漏らしたくないんだ」

ヴァルトルーデはため息。

「外の連中が技術を欲しがると思ってる」

「なるほどね」

ジャンヌはお茶を飲んでいる。

「アンタは今の境遇で満足してるの?」

「それは……」

ヴァルトルーデはうつむいた。

「こちらは鉄の馬車について調べに来ただけだ。

 あと捕まった連中は恐らく私たちの仲間なので、それを助けたいけどね」

「ムリだ、残念だけど諦めた方がいい」

「そうもいかない」

ジャンヌは肩をすくめる。

「ねえ、トモエ?」

「ああ、フロストランドは職員の待遇には厳しいんだ」

いつの間に来たのか、巴がうなずく。

会話に夢中で気がつかなかったが、巴、静、ヤン、ニョルズも酒場に来ていた。

ちなみにヘルッコとイルッポは、まだ寝ている。

「捕らわれた職員たちを見捨てて逃げたりしたら、私たちが罰を受けかねない」

巴は冗談めかして言ってから、

「話は単純だ、力を貸してくれ」

ヴァルトルーデに詰め寄る。

「危険だ」

ヴァルトルーデは頭を振った。

「平和的に解決するのはムリだよ」

「人は利益で動く、貴族も例外じゃない」

ジャンヌはやはりお茶をすすっている。

気に入ったようだ。

「誰か、そういう地位にいる者を知ってるんじゃないの?」

「……」

ヴァルトルーデは無言。

「私たちはフロストランドに呼ばれたけど、呼んだヒトがいるよ」

静が言った。

「あなたにもそういうヒトがいるんじゃない?」

「それはそうだが…」

歯切れが悪い。

「まあ、考えてみてくれ。私たちにはあんたしか頼れる者がいないしな」

ジャンヌは、気のない感じで言った。

その後は、別の話題になり、技術的なものが主だった。



午後になり、ヴァルトルーデは屋敷へ戻った。

屋敷は居心地はいいが、どこか物足りなさを感じる。

やはり気にかかる。

「アナに相談してみるか」

ヴァルトルーデはつぶやいた。


ヴァルトルーデは屋敷の最も奥まった部屋へ来ていた。

「アナ、いる?」

ノックをして入る。

「なにか用ですか?」

入るなり、冷たい声。

黒い髪、灰色がかった緑の瞳。

小柄な体。

黒基調の服を着込んでいる。

「相談がある」

「珍しいですね」

「フロストランドから来た者と会った」

ヴァルトルーデは言った。

アナの返事はない。

椅子に座って佇んでいる。

陽が差し込んでいたが、しかしそこだけ闇が晴れていないかのようだ。

「娘が4人、恐らく私と同じ外から来た者だ」

瞬間、アナの目が見開かれる。

「フロストランド……マロース、いや、マロースにそんな力はもう残ってないはず」

アナは話題に食いついてきた。

予想通りである。

「マロースとは?」

「ルーシ族に味方していた爺イよ、今はドヴェルグたちと隠居生活してると思ってたのだけどね」

アナは答えた。

「もしかしたら、まだ生き残りがいるのかも」

「その辺はよく分らないし、興味もないけど、アンタがやったみたいに外の世界から人を呼び寄せたんだろ」

「4人と言ったわね」

アナは、そこで顔を歪めるようにして言った。

「アナタ1人呼び寄せるのに、私の力をかなり使った。それを4人も……控えめに言っても狂ってるわね」

「そ、そうなの?」

「お陰で私はもう戦えないでしょうね。メルクは既に管理システムが構築されてるから、そんな必要はないのだけど」

アナの表情がすっと元に戻る。

能面のようである。

「時代は変わったわ、戦で物事が変わるなんてのはもう過ぎたのよ」

「じゃあ、なんで私を呼んだんだ?」

ヴァルトルーデは聞いた。

「それは……」

アナは躊躇しているようだった。

「平和ゆえに、あるいはただの余興…」

「そんな理由で呼び寄せられる方の身にもなってくれ」

ヴァルトルーデは無感情であった。

「……すまぬ」

アナはぽつりと言った。

「こうして話相手になるのも…」

「罪滅ぼしという訳か」

ヴァルトルーデはため息をつく。

「正直、私は既に「どうしてこんな世界にッ!」なんて思い悩む時期は過ぎた。機械を作る、という生きがいがあればそれでいい」

「……」

「でも、それすらできないよな。管理システムとやらのお陰で」

ヴァルトルーデは言った。

それが悩みだ。

「アンタが掲げる理想には興味はない。続ければいい。でも、私は新たな物を作りたいんだ」

「……」

「私にちょっとでも同情するのなら、私をフロストランドへ行かせてくれ」

「しかし、それでは国家間の問題が発生する」

「なんとかできないか?」

「それが相談ということね」

「そう」

ヴァルトルーデはうなずいた。


アナ、正確にはアナスタシアは早くにルーシ族とは袂を分かって、ダン族に味方してきた。

よりよい社会の実現。

それが彼女が生きる目的だった。

人間は自然の状態では争い、奪い合う醜い生き物だ。

如何に人間を導くか、上手く人間の習性を利用してバランスの良い社会を作れるか、そのことだけを考え実践してきた。

メルクという街がその成果だ。

貴族という特権階級は居はするが、その下で民衆は安定した生活を送れる。

例え、貴族階級の存続という目的の下であっても、民衆は仕事を失う事はない。

実際に街は繁栄しており、多くの人が集まって街の外にも建物が増え続けている。

ダン族の末裔たちはそれを熟知していて、アナスタシアを敬い、尊重し続けてきた。

屋敷の一室に半ば隠居する形で住んでいるのも、そうした気遣いの現れである。

もうアナスタシアにできることはなくなったのだ。


しかし、ヤコブセンが求めた余興で来訪神を呼び寄せたことで、信念が揺らぎ始めている。

呼び寄せられた来訪神、ヴァルトルーデ・ワーグナーは新たな物を求める性質を持っていた。

安定や維持を良しとするメルクの気風とは合わない。

(……どうすればいいのかしら?)

アナスタシアは考えた。

(メルクにとって、ヴァルトルーデは特に必要な人間ではない、必要なのは従順で制度を守る者だけ)

(力を使い過ぎた私も似たようなものか…)

(私は長い戦いを経て力を消耗した、これは他のボーグたちも同じだ)

(来訪神の召喚で温存してきた力も使いつつある。あとは一度の戦をこなすか、もう1人召喚できるか、といったところだろう)

アナスタシアは策を練ってみた。

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