第19話

19


という訳で、自分達で金を出して2番目の粉挽き場を建設することにした。

場所はヘルッコ、イルッポの粉挽き場の隣の土地を購入。

二つ並んでいても別に問題はないとの考えだ。

労働者を新たに雇用するより、同じように働いてもらうようヘルッコとイルッポに頼んでいた。

労働条件はヘルッコ、イルッポの粉挽き場に準じていて、給料も同じである。

元々からエーリクがマネージャーとして入っていたので、みな顔見知りだ。

2号工場と言ってもいいかもしれない。

生産の拡大にともなって不足する人員を新たに雇用する。


1号工場たる粉挽き場は、順調に儲けが出てきたようだった。

新たな投資を考えていたところへ、エーリクの話を聞いたので、資金の一部を出すことになったのだった。

出資が混ざって運営が混乱するのを避けるため、エーリクたちは全体の90%を抑えた。

残り10%をヘルッコとイルッポに出してもらう。

簡単に言うと運営はこちらで行って、上がりの一部をヘルッコとイルッポへ分けるというやり方だ。

株主のようなものに近いかもしれない。


「エーリク氏、浴室とかも建てんの?」

「労働者に使ってもらうんですよ、これからは労働者を酷使して搾り取るのは流行りませんからね」

ヘルッコが聞いてきたので、エーリクは答えた。

「もちろん、1号工場、2号工場の区別無くみんなに使ってもらうつもりです」

「へー、ならオレらも使いたいなぁ」

イルッポが興味を持ったようだった。

ビフレストでもサウナが一般的だが、ただで使える訳ではない。

金を持ってるクセにケチくさいヘルッコ、イルッポが興味を持つのは当然といえる。

「あと、食堂を作りましょう。会社が補助を出して労働者に安く食事を提供するんです」

「へー、それいいな」

「経営者様、出資者様でも同じように購入してもらいますがね」

「ん、ちょっとまって、それってオレらが金出してオレらが買うっておかしくね?」

「あー、なんかこんがらがってきた…?」

ヘルッコとイルッポは頭の上に「?」マークを連発していたが、

「そんな細かいことは考えなくていいんです! こういう福利厚生をキチンとやってればウチで働きたいってヤツが来るんですから」

「あー、なるほど」

「そゆこと」

ヘルッコとイルッポは考えるのを放棄した。

単純である。


ボイラーのその他の使い道として、お湯・水の供給があるので、工場に食堂と浴室を作ることにしたのだった。

食堂では料理に使う水を供給し、浴室には湯を供給する。

湯や水を送るための自動ポンプ、水管・湯管、捻り口も設置してもらう。

「あと、浄水器も設置しないといかんだべ」

ドヴェルグの職人が言った。

「浄水器?」

「んだ、汚水を濾過する装置だべや」

「へー、そんなもんまで作ってんのかよ、フロストランドじゃ」

エーリクは感心するしかなかった。

ビフレストは冬は雪が降るが、それ以外の季節では雨になる。

道端に溝が掘ってあって排水を促すようにはなっている。

使用済みの水はそこへ流すことになっていたが、あまり臭気のある水を流すと周囲から文句が来るだろう。

それらの設備が完成した。

労働者たちには喜んでもらえているようだ。

これで評判が上がってくれたら、ボイラーを導入する利点に気付いてもらえるかもしれない。


現代社会でもそうだが、労働者仲間のつながりは意外とある。

この辺では、より条件の良い働き口へと移ってゆく「渡り」的な者が普通だ。

そのネットワークにヘルッコとイルッポの粉挽き場も乗ってきていた。

「経営者はヘンだが、気前はいい」

「食堂があって安く食える、弁当を持ってくる手間がない」

「仕事後にひとっ風呂浴びて帰れる、タダで」

というような話が広まった。


これにより、労働者のニーズが少し変化した。

働き口が多くあっても、みな同じようであれば選択肢はほとんどないに等しい。

しかし、ヘルッコとイルッポの粉挽き場のように好条件の場所が出てくると、選択肢が現れることになる。


仕事の内容はキツいし厳しく監督されるが、

他所みたく理不尽な事はしてこないし金払いも良い、

なにより浴室がタダで使えて食事も安く食える


という評価が広まって、徐々に労働者が集まってくるようになった。

現象になると経営者層、投資者層にも変化が出てくる。

「ボイラーってのが何かすごいみたいじゃないか」

ニール商会は、顧客たちからそう聞かれるようになってきた。

「ええ、そうなんですよ」

ニールは顧客の一人から聞かれて、にこやかに答えた。

商館の客室で応対をしているところである。

「ボイラーに関しては、ウチが一番扱いに慣れてますからね、ウチが一番!」

「それを見込んでなんだが、一つウチにも導入しようかと思ってなぁ」

「それはそれは良い事ですなッ」

ニールはしきりにうなずいている。

「まあ、ウチの傘下の粉挽き場では実際にボイラーを使っておりまして、粉挽きから湯や水の供給までを一気にやってるんですよ」

「ふーん、それ実際に見れる?」

「もちろんです!」

ニールはガバッと食いついてきた。

客の方がちょっと引いている。

「今すぐにでも見れますよ」

「あ、いや、そのうちでいいんだが」

「いつでも大丈夫ですよ、都合の良い日をお知らせくださればすぐに手配差し上げますゆえ」

「そうか、そうか、じゃあ追って連絡する」

という、やり取りが増えてきた。


ニールは、その後すぐにヘルッコとイルッポの粉挽き場へ行った。

「エーリクはおるか!?」

「はい、ニール様」

エーリクが疲れた顔を出す。

激務でやつれているのだった。

「最近、客がボイラーについて尋ねてくることが増えた」

「ああ、それは良かったですね」

「たわけ! 顧客がここを見たいと言っておるのだ、いつ来るか分らんから準備を怠るでないぞ?」

ニールは嬉しさと怒りが半分くらいになったような表情をしている。

「器用ですね…」

「うるさい」

「ま、でも、ウチは常々から厳しく指導してますし、粗相をするようなことはありません」

「うむ、ならいいが」

ニールはそこで少し落ち着いたようだった。

「というか、労働者の待遇改善とは考えたな」

「労働者がいないと経営者は困りますからね、これからはより条件の良い職場でないと人が集まりませんよ」

「その辺は興味は無い、だがボイラーを導入したいという客が増えたのは良いことだ」

「ですね」

エーリクはそこで気付いたように言った。

「あ、すんません、気がつかなくて、中で飲み物でもどうです?」

「うむ、気が利くな」

二人は事務室に入っていった。


「この茶はなんだ?」

「麦を炒って煎じたものだそうで」

エーリクはポットの中を見せた。

二人ともテーブルを挟んで腰掛けている。

「ご興味がおありなら取り寄せますが」

「そうじゃな、少量サンプルとしてバラまく分をくれ」

「はい、これは我らの好意ということで、お代は要りませんよ」

「ふん、恩着せがましい」

ニールはそう言いながらも機嫌が良さそうだった。

あれから、なかなか売れなくてイラついていることが多かったのだが、気分がすぐ変わる質らしい。

「それから菓子もどうぞ」

「甘いものは好かん」

「あ、そうですか」

エーリクはそう言いながらも菓子を引っ込めなかった。

「では包みますので、サンプルとしてどうぞ」

「うむ、すまんな」

「ちなみにレシピもありますので、それを提供するのは可能です」

「なかなか、やるのう」

ニールは麦茶を飲む。

気に入ったようだった。

「やはりウチに入らぬか?」

「いえ、それはお断りしたはずです」

「……ま、いいわい」

ニールは話題を変える。

「この流れなら、水車小屋業者にも同じように売り込めるじゃろうな」

「そうですね、話題になってきてますからね」

エーリクはうなずいて、ニールのカップに麦茶を注ぎ足した。

「このまま、エルムトやギョッルの水車小屋業者へも売り込んでゆきたいですね」

「うむ、上様からもそのようなお達しがきとったな」

ニールはそこで初めて渋い顔をした。

「近頃、ワシらの手も一杯でな」

「そうですか」

「元々の商売に加えて新規事業が増えたからのう」

「なるほど」

半分くらいは愚痴になってきているが、エーリクはうんうんとうなずいている。

「ビフレストはお任せしますが、エルムト、ギョッルは当方に任せてください」

「おお、すまんな」

「いえ、本国からもそう急かされておりますので」

「そうか、上から色々と言われるのはどこも同じかの」

ニールはふと遠い目になる。

必死に商売をしてきたが、歳のせいか疲れが現れ始めている。

早めに代を譲りたいが、その器を持つ者がなかなかいない。

そんな想いがあった。

しかし、そんな感傷に浸っている暇はない。

商売人は泳ぎを止めれば死ぬのだ。

「馳走になった、ではまたそのうちに」

「お気をつけて」

ニールは供の者を連れて粉挽き場を後にした。


そこからは雪崩のように事が進んでいった。

労働者は選り好みが可能になり、仕方なくボイラーを導入する工場が増えた。

条件を一定のところにまで揃えないとスタート地点にも立てなくなるのである。

ニール商会が忙しく動き回り、ボイラーを導入する客を捌いていった。

エーリクもドヴェルグの職人を連れて奔走した。

ビフレストの主立った工場、工房にボイラーが普及していった。

これを見た水車小屋業者は、すぐに掌を返して我先にボイラーを導入する。

業界で流行したので、エルムト、ギョッルでも噂になった。

ニール商会が窓口となり、エルムトとギョッルの要望を取り扱った。

この後、ミッドランド北域でボイラーが普及することになる。


「よし、これで本国の指示をこなせたな」

エーリクはため息をついた。

激務が続いたが、精神的には大分楽になった。

課題をこなせない状態でのプレッシャーというのは思っているより強いらしい。

エーリクの顔に生気が戻ってきていた。

「じゃあ、エルムトとかギョッルにも行けるね」

カット・イヤーは手を叩いて喜んだ。

最初からこれが目的だったようだ。

そのために皆が貯金をつぎ込むとか、やはりアールヴは目先の事しか見えてない。

(ま、そのお陰で助かったけどな…)

エーリクは内心では感謝していた。

「おう、観光がてら行くとするか」

「やったぁ」

アールヴたちは単純なもので、バカみたいに喜んでいる。

貯金がほとんどなくなっているというのに気にした様子はない。

(時々、こうやって羽根を伸ばすのもいいかな)

エーリクは職員たちの慰労についても気を巡らせていた。

意識こそしてないものの、職場環境の改善という想いがエーリクの頭の中にはあるらしい。


ドヴェルグの職人をつれてエルムトへ赴く。

ニール商会の商人は先に入っているので、そこへ合流。

商人が先に段取りをつけていたので、エーリクたちはボイラーの設置だけをすれば良かった。

商売のことは商売人に任せるのが正しい。

本国の指示には沿ってないが、結果広まったのだから良しだろう。

今回の客は、エルムトの水車小屋業者である。

彼らはかなり焦っていて、乗り遅れる前に導入したいというのを隠しもしなかった。

ちょっと前までは「怪しげな術」呼ばわりだったのにも関わらず、である。

ボイラーを設置してしまえば、あとはのんびりしていればいい。

しばらくはアフターサービスとして、使い方やメンテの指導をしなければならないので、エルムトに滞在する。

その間、アールヴたちには好きに行動させた。

その方が情報収集できるからだ。

好奇心旺盛で何事にも首を突っ込み、生まれ持った人懐っこさと話術でどんな連中にも溶け込み、牧歌的な容姿から驚異とは思われない。

スパイ活動をするにはうってつけの連中だった。


エルムトは水運が盛んで、河川を使って物資を運ぶ船が多い。

魚介類も豊富だ。

フロストランドでも魚介類は食べられる。

寒いので腐りにくいのが唯一の長所だが、物流の問題であまり内陸には入ってこない。

入ってきても輸送費が乗って高くなるというのが普通だ。

氷の館では普通に出てくる魚も、一般庶民にしてみれば高級品である。

「すげー、魚がこんなに食べれるなんて!」

アールヴたちはアホみたいに魚料理を食べまくった。

煮付け、塩焼き、煮込みスープ、様々な料理が出てくる。

「腹壊すぞ?」

「えー? 大丈夫だよ、なあ?」

「大丈夫だよ」

エーリクが心配したが、アールヴたちはどこ吹く風である。

翌日から腹を下して動けなくなったのは言うまでもない。


いわゆる廻船問屋に相当する船荷を扱う商人たちが多い。

穀物、果物、酒などの食料品から、石材、木材などの資材品まで手広く扱っている。

フロストランドの商人がビフレストから購入する物資の多くは、こうした水運品だ。

ビフレストを拠点とするニール商会が、エルムトやギョッルに伝手を持っているのは当然だった。

陸路でビフレストへ持ってきて、さらに内陸やフロストランドへ売りさばく。


また船は沿岸地域を回って荷の積み卸しをする独立した商人で、特に遠国まで行って荷を運ぶ連中は荒事もこなす。

簡単に言うと海賊だ。

商売上の揉め事を自分達で解決し、略奪から身を守ろうとすれば武装するのは当然の結果だ。

ニール商会を見ても分るように陸の商人が半分は賊なのと同じで、水の商人も半分以上が賊である。

逆に武力をもって略奪することもあるという。


「凍らねえ港はいいよな」

エーリクはつぶやく。

「フロストランドは寒すぎて船が来ないもんねぇ」

カット・イヤーが言った。

「なんだ、もう動けるのか」

「1日休んだら治ったよ」

カット・イヤーはケロリとしていた。

先日までゲッソリと青い顔をしていたのがウソのようである。

「船で川を下って海に出て他の国まで行くんだって」

「お前、船に乗ろうとか考えてないよな?」

エーリクが釘を刺した。

「仕事を放って行ったら大魔法使いのパックから呪われるぞ?」

「げ…なんでそういう怖いこと言うかな」

カット・イヤーは身震いした。

「大パックのアニキならやりかねない」

「あー、やるな、アニキなら」

アールヴたちは割と本気で怖がっている。

(大パックとか呼ばれてんのな…)

エーリクは半分くらいでまかせを言ったのだが、コイツらの中では全然アリな考えらしい。

「まあ、いいや。とりあえず2、3日好きにしろよ」

「やりぃッ」

エーリクが言うと、アールヴたちは宿から飛び出していった。


「じゃあ、オレらは客回りでもするか」

「いっちょやっか」

エーリクは、ドヴェルグの職人と一緒に客の様子を見に行く。

みな水車小屋業者なので、川沿いに行くだけでいい。

「燃料は薪がいいのかい、それとも石炭の方がいいのか?」

「用途によって違うだよ、長く燃やすんなら石炭だけんど適当でいいなら薪で十分だべ」

ドヴェルグの職人は客の質問に的確に答えていく。

「燃料代がバカにならねぇだな」

「そういう方のために安い炭を扱ってます、大量生産だから安価で長く燃える、安定した品質ですよ」

こういう時は、エーリクがここぞとばかりに成形炭を売り込む。

「こんじゃあ、薪と比べてもそれほど変わりねえべ」

「それがですね、今なら初回キャンペーン中でして、ここまで下がります」

エーリクは食い下がった。

「そうそう、ワシらも木炭使い始めたんだけど、結構使い勝手いいだよ」

ドヴェルグの職人も援護射撃をしている。

「あらかじめどのくらい燃やすか分ってたら、その分だけ割って燃やせばいいしよ」

「ふーん、この値段ならいいかな、それに便利そうだしな」

口八丁で相手をだまくらかし、その気にさせている。

なにより実際に使用しているドヴェルグの話が説得力を持たせていた。

そして、成形炭の輸送はニール商会へ依頼する。

ニール商会は元々持っているルートなので、荷物が一品増えても問題ない。

これで販路開拓完了だ。


というようなことをして過ごした。



エルムト、ギョッル、ビフレストはちょうど半島のような地形の中にあって、大きな街はこの3つ。

川を下っていくと海に出るが、そこから沿岸地域を伝って南下してゆくと、シルリング王国の中央地区へとつながってゆく。

シルリング王国は中央地区に昔からいる豪族の集合体で、その中から最も由緒正しい家が王家として君臨している。

王家が独占するということはなく、豪族たちの合議制となっている。

豪族は、つまり貴族と言い換えられる。

半島から沿岸地域を南下する途中には、これら貴族の領地が多く存在している。

その内の1つにメルクがある。

人間の氏族の1つであり、古い豪族の血を引くダン族で構成される貴族階級が住む街だ。

他からはダン=メルクと呼ばれる。

ダン族の土地という意味だ。


ちなみにビフレストのある半島地形にいるのは、沼地の民と言われるソーミ族、海の民と言われるヴェーア族、戦斧の民といわれるノーグ族の3氏族。

これらの氏族を総称してノルドと言う場合が多い。

ノルドは北方人という意味とほぼ同じだ。

ダン族も含めてテトンと言うこともあるが、あまり使われない。

中央地区の連中からはグルマンと呼ばれる。

グルマンは「グルグルと聞き取れない言葉を話すヤツら」、「未開のヤツら」という意味なので、ノルド、ダン族はこの呼称を嫌っている。


「メルクによ、面白いモンがあんだと」

「鉄の馬車ってのがあるって噂だな」

そんな話が入ってきた。

アールヴたちが入手した情報だ。

「はあ? それボイラーを使った馬車だろ?」

「バカだなあ、エーリク、ボイラーなら馬じゃなくて蒸気車だよ」

「あ、そうか」

カット・イヤーに言われて、エーリクは一瞬納得したが、

「いやいや、そうじゃねーよ。なんでフロストランドと縁のねぇメルクとかいう場所にそんなもんあるんだよ!?」

「あ、そういやそうか」

「今頃気付くとかねーよ」

「なんでかな?」

カット・イヤーはエーリクに言われるまで何の疑問も持たなかったようだ。

他のアールヴたちも同じだった。

おポンチ集団である。

「風の精霊に伝言してくれ」

「アイアイ」

カット・イヤーは冗談めかして敬礼した。


魔法関係は羽根付き妖精が担当している。

彼らは妖精の中でも精霊に近いタイプで、魔法を得意とする。

それ以外はまったくダメだが。

ちなみに獣人タイプの妖精は、お話に出てくるようなデカさもなく、怪力でもない。

犬のような顔のコバルト、猫のような顔のケット・シーなど様々なタイプがいるが、全種類とも共通なのは人間より小さいということだ。

とにかく、羽根付き妖精が風の精霊に伝言を頼んだ。

風の精霊はすぐにフロストランドへ行き、大魔法使いのパックへ伝言を伝えた。

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