第12話 あなた方虫ケラはいつもそう

「おや。なにか言ったかね。アシュベンダー嬢」


 楽しそうにディールの後頭部を踏み躙るアドニスは、超重量の石を擦り合わせるような呻きを耳にして、目を細める。


 するとエカテリーナは思わぬ行動に出た。


 前進ではない。アドニスから決して目をらさず横に進んだのだ。



「あなた方、虫ケラはいつもそう。対峙たいじせし相手の力量を測れず、いつも図に乗る。流石にわたくしも辟易しますわ」



 貴族の令嬢とは思えぬ面罵めんばを繰り出した。


 これには処刑執行人を自負するアドニスも面食らい、言葉を失う。


 これまで裁いた罪人も拷問中に口汚くアドニスを侮辱したが聞き流せる程度。むしろそれさえも喜悦と変わる。が、エカテリーナのそれはなぜか胸の奥底まで届き、抉り取るような衝撃を内包していた。


「なにを………言っているんだい?」


「おわかりになりませんこと? あなたは確かに用意周到なのでしょう。しかしこの場はすでにわたくしのチェックメイトが完成しています。最早、憐れみさえ感じさせるほど」


「戯言を………強がりも大概にしたまえよ。命乞いならまだしも、ありもしない勝利に陶酔とうすいするなど愚の骨頂と知れっ」


「果たしてそうでしょうか? あなた様はまだ、あなた様の失着を知らないとは」


 牙を剥かんと宝剣の柄を握るアドニス。


 強がりから出た出任せとしか思えない言動。しかしなぜか、アドニスは宝剣の柄を握る手に汗がにじんでいた。


 エカテリーナの足が止まる。


 悪臭を発する源の前で。貴族の一族なら衰退でもしない限り、一生近づくことさえなかろうゴミ溜めのなか一点に視線を注いだ。


「アドニス様。ここがどこかお忘れですか?」


「私自らセッティングした場所だ。それ以外なにものでもない!」


「ではご説明を」


「ふん。………ここはこの学園の廃棄物が集まる場所だ。清掃を担ういやしき奴隷たちがせっせと集めたゴミを集め、決められた日程に回収される仕組み。違うかね?」


「いいえ。寸分もたがわず。パーフェクトな回答ですわ」


「ではどうする? ああ、ゴミを手にして一曲踊りたいというなら好きにしたまえ。ここまで侮辱されたのは初めてだ。きみは処刑しよう。そんなきみは排泄物を握って無様に散るのが似合いの末路というものさっ」


 吐き捨てるアドニス。


 次いで、エカテリーナの横顔が変化した。


 これは昨日も見た。飢える肉食獣さながら、標的を目前とした狩猟者の笑み。


「廃棄されたものはここに集まる。先日のものもそう。よく思い出されることですアドニス様。ここに置かれているのか」


 その発言に、ハッと息を呑む者がひとり。


 アドニスではない。アドニスは知るはずがない。


 ディールだ。


 彼は昨日、学費免除の条件としてピアノの調整を行うべく大ホールに足を運んだが、あの一件でその日のものは免除となった。


 ハイパーは確かに言ったのだ。修理不可能なほど損壊したそれはするしかないと。


 エカテリーナはディールを振り返る。「ハイパーに忠告されていたでしょうに」と苦笑して。


 そしてゴミ溜めのなかに無造作に手を突っ込んだ。


 メキメキメキと木材が軋む音が響く。


 山のように積まれたゴミ溜めの稜線りょうせんがこれ以上とないほど膨れ上がり、やがてその上に重なっていた廃棄物を盛大に巻き上げながら、エカテリーナが探し求めていたものが姿を見せた。



「ィギ………ぃぎゃぁぁぁぁぁあああああああ!!」



 もはやロゼッタにとってはトラウマそのものだ。


 奏者を目指す彼女が、その日から目にするだけで情緒不安定となるという、人生を懸けて目指していた将来の目標だったそれが挫折することになる切っ掛けとなった、漆黒の塊。


 アドニスの勝利を疑わず、エカテリーナを嘲笑していた取り巻きたちも舐め腐る笑みを消した。


 そしてアドニス本人は、肉眼で捉えた光景が現実のものかと疑う。


 小柄で華奢にしてはグラマラス。砂漠に咲く一輪の花を思わせる可憐さに相反し、超然とした膂力を発揮し、原型を留めぬほど大破してはいるが超重量には変わらぬグランドピアノだったものを振り上げるエカテリーナは、まさに神が遣わせた破壊の化身。


 大破したゆえ、グランドピアノだったものから様々なパーツが落ちる。鍵盤や弦がボロボロと地面を叩き、独特な異音を奏でる。


 まさに前奏。


「………アシュベンダー嬢。きみはいったい………」


「わたくしは奏者を志す者。わたくしを知る方々は、いつしかわたくしを慟哭どうこくの奏者と称するようになりました。そのとおり、わたくしは皆々様方の豚のような鳴き声を奏でる者ですわ」


 内蔵パーツが転げ落ちても歪んだ漆黒の塊の重量は大きく低下はしない。


 むしろ割れた箇所が剥き出しとなり、昨日よりも凶暴性を露わにしている。


「覚悟はよろしいですか? アドニス様」


「ッ………!!」


 やめろと言ってもやめない。絶対的な暴力が数秒後に迫る。


 生物としての危険を察知する本能が、免れられない死を予告した直後、アドニスはやっと本格的に湧出した恐怖に足が震え、それでも宝剣を抜剣し胸の前で構える。


 これでも幼少期から剣の腕だけは磨き続けた。例え相手が戦斧せんぷなどの一撃の破壊力を優先した武器であろうといなすことができる。


 しかしグランドピアノだけは相手として想定したことがなかった。


 まさに未曾有みぞう。未経験の境地。


 セオリーや定石なんて消し飛んだ。カウンターを狙おうとするも、化け物のような漆黒の塊にどう対処すればいいのか。正解がわからない。


 対峙するエカテリーナはアドニスの足の震えに気付いていた。


 それでもなお、笑うことをやめろうとしない。






「さぁ、お死にあそばせ?」


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