第11話 ムカつきますわぁ

 なぜ? とディールは瞠目どうもくした。


 なぜこのタイミングなのだと。


 ディールは決心した。理不尽極まりないせきのすべてを自分ひとりで背負おうと。謂れなき罪をこの身に受ければアドニスは満足し、去っていく。


 さすれば彼女にまで被害は及ばないかもしれない。


 ディールは隻腕となってしまってもピアノを愛し、手掛けていくつもりだった。父から事件の仔細しさいを問われようと、嘆かれようと。


 生涯でたった一度、目を奪われるほど美しい少女のために片腕を捧げようとした。


 しかし彼女はやってきた。それもなにも知らない様子で。


 私刑が処される間際、呑気に「これがお茶会か?」と問いやがる。ディールの決意は薄れ、代わりに焦燥しょうそうで満たされた。


「お逃げください!」


 助けてください。なんて言えるはずがない。


 これはディールの、女の視点から見れば「子供っぽい」だの「下らない」だのと苦言を突き付けられるような、ちっぽけな矜持きょうじだ。


 一方でアドニスはといえば、今にも韜晦とうかいし私刑の判定を下す目をエカテリーナに向けている。


 ディールの焦燥はより増長する。さらに強い警鐘けいしょうを鳴らすべく口を開くと、アドニスの右足の踵が眼前に迫った。


 地面に踏み倒されていた。頭を強く打った影響で、退避を喚呼するよりも先に短い呻きが漏れる。


「あら、あら………」


 ディールの醜態に、やっと事態を把握したエカテリーナの笑みに険が混じる。


「ご足労かけたね。初めまして、エカテリーナ・アシュベンダー。私はアドニス・デカルト。召喚に応じてもらって感謝する。いや………しかしまさかここまで早い登場とは予期していなかった。あと数分後と考えていたのだが」


 とは言うものの、アドニスはまんざらでもなさそうに笑う。


 だがエカテリーナがなにかを発するよりも前に、別の場所から非難の声が上がった。


「これはどういうことですのアドニス様! あ、あなたが………この破壊狂みたいな女を呼んだですって!?」


 エカテリーナを目視した途端に取り巻きの陰に隠れ、ガタガタと震えていたロゼッタだった。


「いかにも。この私さ」


「なにゆえっ!?」


「私の婚約者を辱めた罪があるだろう? ロゼッタ。私はあなたを愛している。ゆえにこの一年生たちは許せないのだよ。なにより、こうして一ヶ所に集めてしまえば時間もそうかからない」


「しかし!」


「あなたは黙って見ているといい。きっとその無念を晴らして差し上げよう」


 まるで注射が怖くて怯える子供と、それを宥める医者の図だ。


 いつまでも喚き、逃げたいながらも婚約者を前に醜態は晒せない立場。なんと因果なことか。ロゼッタは様々な葛藤に縛られ、結局はその場に残ることを決めた。


 ディールはエカテリーナを凝視ぎょうししていた。


 理由はそのアングルからなら彼女のスカートのなかが覗けるなどと、如何わしい願望からではない。


 アドニスとロゼッタの会話のなかで、エカテリーナは可能な限り素早く周囲を観察していたからだ。


 その峻烈しゅんれつな動きは温室育ちのボンボンが成せるものではない。


 過酷な環境で極限の叩き上げを施された戦士さながら。


 探しているとすぐに察した。昨日と同じだ。体格差があろうと数秒で覆してしまう彼女の得意とする武器を。


 ただ………気の毒なことに、ディールの視界からしてもエカテリーナの得意とする武器は見当たらない。これもアドニスの計算のうちだったとすれば大した策略家だ。


 この学園には様々なところにグランドピアノが配置されている。教育機関の頂点なればこその経済力によって成せる業。


 しかしグランドピアノが配置されていない場所も少ないながら存在するのだ。


 それがここ。人気ひとけのない廃材置き場。寄らずともただよう悪臭で、教職員さえ近寄ることを断固だんこ拒否する。


 そんなところにまでグランドピアノを配置する必要はない。グランドピアノは神へ捧げる旋律せんりつを奏でる楽器。掃き溜めのなかに捨て置けば死罪も問われかねない。


 ゆえにアドニスはここにエカテリーナを誘い出した。グランドピアノさえ封じてしまえば彼女を無力化することなど簡単だろうと。


「ご機嫌様。アドニス・デカルト様。わたくしはアシュベンダー家を代表し参りましたエカテリーナ・アシュベンダーと申します。ご用件はあらかた理解しました。しかし解せないことも。なぜディール様に暴行されるのです? 不要と考えますが」


 先の挨拶に応じるエカテリーナ。瞳の奥にある剣呑な光はたたえたまま問うた。


「彼には証言してもらう必要があるために。聞けば彼は、昨日あの場にいながら、平民にしては分不相応にも、偽りの証言をしたらしいではないか。ロゼッタに謂れなき罪を押し付け逃亡。それは許されない。不敬罪に該当がいとうする」


 アドニスはエカテリーナの頭からつま先まで舐め回すような視線を投げかけた。


 見れば見るほど理解し難くなる。こんな耳にしたことがない田舎の出である芋のような女にロゼッタは敗北したのかと。


 しかし外見だけはとても優れていた。身に纏うものも上物。つまり調教すれば愉快なおもちゃくらいにはなる。


「いいえ。ディール様の証言は正しい。即時解放を諫言かんげん致しますわ」


「それは私が決めること。そしてきみにも証言してもらいたい。昨日の一件はすべて自分に非があると認めるのだ」


「なんのメリットも感じませんわ」


「そうだろうか? いや、きみにとってはそうだろう。しかし彼はどうかな? 彼は二度とピアノをいじれなくなる。そんな体にしてもいいのかい?」


「それは困りましたわね。ディール様はお友達ですし。では、こうなさっては? わたくしと踊ってくださいませんこと? わたくしが勝利したあかつきには、わたくしたちを無罪放免とする。いかがかしら?」


「………いいね。そうこなくては」


 双方に不穏な空気が漂う。


 暗雲満ち足りるこの空間、まさにアドニスの思惑どおりのことの運び。


「いけない! お逃げくださいエカテリーナ様! ここは僕に任せて、ぐっ!?」


「平民は黙っていたまえ。ここからは高貴な私のステージだ。穢れた歓声は耳が腐る」


 ディールは身動ぎしながら撤退を進言するも、またもディールに頭を踏まれて動けない。


 しかし次の瞬間。


 エカテリーナの堪忍袋の尾が切れた。





 ––––ムカつきますわぁ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る