第6話 気に入りましたわ
「これは決闘ではない。そうだな?」
「はて。なんのことでしょうか?」
「まったく………まぁいい。エカテリーナ・アシュベンダー。それとディール・アンパシーといったか。両名は私が聴取を行うので放課後出頭するように。以上だ」
不可視な駆け引きののち、先に折れたのは青年の方だった。
しかしそれではディールが収まらず、叫んでしまう。
「お、お待ちください! 僕は今日、このピアノの整備をしようとしたのですが………」
彼の学費免除の条件として、これでは仕事ができないという訴えだ。
エカテリーナはディールを一瞥するも、すぐに視線を戻した。
「ああ、お前は特例生だったか。………ならば今日の業務は免除とする。この具合では廃棄確定だ。新しいものを発注するので、受領し次第その調整を頼むこととなる。いいな?」
「は、はい! 承りました!」
「よし。解散」
生徒指導の教官は大破したグランドピアノを見やり、大きくため息を吐いて踵を返す。
今度はふたりきりになった。
巻き込まれたディールと、騒動からどんでん返しでロゼッタを返り討ちにし、泣きを見せたエカテリーナが。
「………ディール・アンパシー。確か、同じクラスの特例生でしたわね」
「は、はいっ!?」
生徒指導の教官を撃退した胡散臭い笑みから一転。氷のような無表情となったエカテリーナは抑揚を感じさせないトーンで発しながらディールを見上げる。
ディールは戦慄した。エカテリーナは有名だった。生意気な田舎娘だと。
その実態は上級生であっても容赦なく地獄送りにした鬼畜。
改めて観察すると彼女は驚くほど線が細い。背丈だって高い方ではない。なんなら平民街の同年代から「チビ」と
こんな
ふたりきりで
「な、なんでしょう………」
さながら、腹を空かせた肉食獣と同じ檻のなかにいる気分。
できるだけ肉を貪れる化け物の機嫌を損ねないよう、細心の注意をはらう。
「あなた………」
「はい」
父親の言っていた注意がやっと痛感できた。
エカテリーナの機嫌を損なえば、ディールはグランドピアノの餌食となる。
次の発言に対し、正解を見抜けるよう聴覚に全神経を集中させた。できるなら耳にしたくなかったが。
ところがエカテリーナは、次の瞬間には悪戯が成功した時のような、幼児のような笑みを浮かべた。
「てっきり私を売り飛ばすのかと思いましたわ。あの腐肉どもと違って、根性ありますのね。そのお名前覚えておきますわ」
「か………感謝の極みッ! ご配慮痛み入りますッ!」
一瞬呆けてしまった。
エカテリーナの笑顔が、ロゼッタを追い詰めた際の悪魔の形相ではなく、素のままを目視できたからだ。
彼女は美しかった。それこそ見慣れなているはずもない価値ある宝石よりも輝いて見えた。
しかし無言を貫けば不敬。ハッとして床の上に片膝を突き、騎士さながら
「あら。そんな畏まらなくてもよろしくてよ? わたくしたちは同じ学舎の同年代ではありませんか」
「め、滅相もございません! あなた様は貴族の御令嬢。僕は、あいや、私は平民の出なので」
「身分違いなど興味もありません。しかし相手を敬う志しを兼ね備えているご様子。気に入りましたわ。ディール様」
「さ、様などと付けられるほど偉くは………え?」
面を上げたディールの視界にエカテリーナはいなかった。足音もない。
「なにをしているのですかディール様。午後の講義が始まってしまいますわよ?」
エカテリーナはディールの背後の、昇降口から颯爽と大ホールを出てしまった。気配も感じさせない素早い身のこなしだった。あれが一流のお嬢様なのだと思い知らされた。
「う、わ………」
ひとり残った凄惨な大ホールで、覇気を感じさせない声で呻くディール。
その表情は、感情をダイレクトに表に出していた。
「ぼ、僕………お嬢様とお話ししちゃった………父さんが知ったら卒倒するかも」
あの笑顔だけが脳裏に張り付いて消えない。
ディールは身分不相応にも、エカテリーナに淡い感情を寄せ始めていた。
それがどんな地獄を、物理的にも招くかも知れずに。
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