第5話 これは決闘ですわ

 ロゼッタが逃げたとなれば、エカテリーナの手近にいるのは呆然としていた彼女の同級生らだ。


 彼らはロゼッタの新人潰しを非道な行いと先知しながら加担し、エカテリーナの心を折るべく音階を外した途端に罵声を浴びせた。


 その立派な侮辱罪に対し、エカテリーナのなかにあった容赦のふた文字は灰燼と化し、壇上から睥睨へいげいする。すでに彼らは的として認定されていた。


「っわぁぁあああああああ!?」


「いやぁぁぁああああああ!!」


「やめて! こっち来ないで!」


 上級生らは死にたくない一心で階段を駆け上がる。ロゼッタに合流しようと助けようともせず一心不乱に大ホールから脱しようとした。


 しかし、そんな豚どもを見逃すほどエカテリーナは優しくなかった。


「どこへ行きますの?」


 鬼畜がついに猛威をふるう。


 傾倒させたグランドピアノが軌道を変えて、横から薙ぐようにスイングされた。


 刹那、昇降口の横に超重量であるはずのそれが軌道上にあった客席を巻き込んで叩き込まれる。


 先頭にいた少年の鼻先を掠めて漆黒の塊が最後部座席と壁にめり込んだ。


 この世のものとは思えない轟音と風圧に、先頭にいた少年が失神する。


「ア、ギ………ィギ………」


「やめっ………やめてぇ………!」


「助けて母上ぇぇぇ………」


 後続も数人失神。まだ意識がある者は失禁。最後尾にいたロゼッタはガタガタと奥歯を鳴らしながら、両親が見れば絶望しそうな哀れな姿をして壇上のエカテリーナを振り返る。


「………あらあら。いけないわ。まだ息があったなんて。わたくしも半人前ですわね」


 壇上から降りてロゼッタに詰め寄るエカテリーナ。


 その瞳が薄暗い通路で燦然と彩られる。悪魔のように。


「ロゼッタ様。少し早いですがフィナーレです。なにか仰りたいことはございまして?」


「ご、ごご、ごめ、んなさ、い!」


「………はい?」


 親に叱られて嗚咽する子供のように謝罪するロゼッタ。だがエカテリーナにはその心境は理解できなかった。


 正確にいえば期待外れだった。


「後輩を、い、いいいじめて、ごべんなざ………もうじまぜっ、ひぐ………謝り、まずがらぁ!」


「謝る? どなたに?」


「あ、あなだど、づぶじだ、いぢねんぜいだぢに、あやまるがらぁ!」


「はぁ? 別にわたくしは謝ってほしいわけではありませんわ。これは奏者としての神聖な勝負。あなたに敗れた同級生たちには特に仲間意識もございませんし。まぁそこはお好きにどうぞ?」


「は、はひぇ………?」


 エカテリーナは同年代からも蔑まれていた。ロゼッタに潰された者もなかにはいるだろう。


 そんな弱者に勝利の美酒は相応しくない。ロゼッタが謝罪行脚をしたとて特にどうも思わない。


「ロゼッタ様。フィナーレを飾るのはあなたの豚のような断末魔です。ついでに墓標にも刻んで差し上げますから、相応しいお言葉を選ばれますように」


「あ、あひゃ、ふひは、ぃひゃ、あにゃ………げば………」


「あらあら。末路がピアニッシモなんて。わたくしは汚らしいフォルテッシモを期待しておりましたのに。………あら?」


 泡を吹いて倒れたロゼッタに失望するエカテリーナは、ひとつの視線と、いくつかの足音を察知した。


 視線は昇降口のディールのもの。数秒遅れて大きくなった足音が、もうひとつの昇降口から雪崩れ込んだ。


「これはなんの騒ぎだ!?」


 複数人の筆頭に立つ、長身痩躯にして優れた容姿をしていて、いかにも婦女子受けしそうな青年が叫ぶ。


 確か生徒指導を受け持つ教官だ。清廉潔白。妥協もしなければ賄賂も受け取らない。正義感溢れ、しかし容姿はクールで二枚目。


 誠実な性格で不敬からも信頼を寄せ、よって生徒の是正を受け持つ指導員へと推薦されたという噂だ。


 ディールは青褪めて硬直する。言い訳など思い付くはずがない。


 ところがなにも答えられないディールと上級生の代わりに、この悪夢を生産した元凶は、平然と述べた。


「これは決闘ですわ」


「決闘だと!?」


 青年は憤ったまま大ホールの荒れ模様を観察する。


 ディールや、まだ意識のあるロゼッタの取り巻きは「その手があったか!」と内心で安堵する。


 というのもこの学園はいくつかの特例が存在した。


 それがエカテリーナが口笛を吹くような口調で述べた決闘のシステムである。


 アルスタール学園は爵位はどうであれ、富める者の子息息女が通うエリート校。


 私闘は厳禁という校則のなかでは鬱憤も溜まる。


 そのフラストレーションを解消すべく考案されたのがそれだ。


 条件は両者が合意し、理由を筆記した訴状を教官に提出。高貴な家柄ゆえ侮辱あらば一触即発。主にそんな理由だ。


 教官がその文を上に提出し、認可されれば決められた条件で決闘が行われる。


 しかしエカテリーナの言い訳は、すぐに看破されることとなる。


「ならば許可証を見せたまえ。エカテリーナ・アシュベンダー」


 痛手を突かれた。そんなものあるはずがない。


 しかしエカテリーナは平然と続ける。


「これはロゼッタ様が取り仕切った決闘。わたくしはその旨を書いたものをお渡ししまして、あとはロゼッタ様が提出されたものかと。ならば認可証も彼女がお持ちでしょう。わたくしはそれに基づき、ここに呼び出されただけですので。これが証拠ですわ」


「………拝見する」


 青年はロゼッタが送った招待状をエカテリーナから受け取り、確かに大ホールに呼び出されたものであると確認する。


「詳しいお話はロゼッタ様たちからお伺いするべきかと。まさかとは思いますが、許可証を受領せぬまま決闘を始めてしまうなど………そんな校則違反はありはすまいとは思いますが」


 ニタァ………と悪魔の笑みを浮かべ、ロゼッタたちを見上げるエカテリーナ。


 二年生たちは決闘制度を利用してお咎め無しを確信した途端にに発生した後輩の裏切りにより––––元はといえばロゼッタたちが原因であるし信頼も無いのだが––––懲罰の対象が自分たちに移行して愕然とする。


「あまり疑いたくもないが、そのようだな。………ロゼッタ・ケスマール以下十名を拘束。聴取せよ」


「ハッ!」


 青年の部下たちが失神したロゼッタたちを拘束し連行する。腰が抜けた二年生たちは恐怖で言い訳もできず、大ホールから連れ出された。


 再び静寂が訪れた大ホールに残ったのは三人。青年とエカテリーナの視線は衝突したまま、しかし目に見えない駆け引きを行なっていたと肌で感じるディール。


 やがて口を開いたのは青年の方だった。

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