第3話 な、る、ほ、ど

「失礼します。エカテリーナ・アシュベンダーと申しますわ。この度は素敵なコンサートにご招待いただき感謝申し上げます。これを機にお互いを知り合い、研鑽できる日々となりますよう、本日は心して先輩の演奏を心に刻みますわ」


 浮き足立つにしても礼節は重んじる。


 大ホールの昇降口を目前に「あらいけない」と自らの稚気を叱咤し、傲然にならぬようにと気合を入れ直す。


 大ホールに入場したエカテリーナは、まず舞台に立つ少女に一礼。遠く離れていようと、絶対に挨拶は欠かさない。聞き返されぬようはきはきとした声で叫ぶ。


「いらっしゃい。まぁ、こちらにおいでなさいな。エカテリーナさん」


「はい!」


 上級生の許可を得たエカテリーナは、嬉々として階段を降りる。


 大ホールの構造は地上から地下へと続く広大な階段に連なり、最前列に行けば行くほど下に降りていく仕組みとなっていた。


 すでに何人かの上級生の男女が最前列に座っている。


「お座りなさい」


「失礼しますわ」


 エカテリーナは最前列ではなく、通路を隔てた斜め横に腰を降ろした。


 もしかしたら招待客は自分だけでなく、大勢の上級生が来るかもしれない。主賓ではないので、最前列付近は先輩と仲が良いであろう誰かに譲った。


「全員揃ったので始めましょう。まずは自己紹介から。私はロゼッタ。ロゼッタ・ケスマール。初めまして、エカテリーナさん」


「お初にお目にかかります。改めて、一年生のエカテリーナ・アシュベンダーと申します」


「うふふ。知ってるわ」


「あら、なぜでしょう?」


 エカテリーナを招待した二年生、ロゼッタは怪しげな笑みを浮かべた。


 キョトンとするエカテリーナを最前列に座っている二年生が振り返り、ニタァと意味有り気に唇の端を吊り上げる。総じてよこしまな意を浮かべて。


「あなた有名人だもの」


「光栄ですわ」


「………」


 エカテリーナとしては褒め言葉として受け取ったつもりではあるが、ロゼッタにとっては皮肉を投げかけたつもりだった。


 場が白けると、大きく咳払いをするロゼッタがリセットを試み、そしてピアノに向かう。


「では始めましょう。我々の後輩となったエカテリーナさんの歓迎会・・・を」


 ロゼッタは不敵な笑みを浮かべ、椅子に座ると黒塗りにして光沢のある一級品のピアノに触れ、繊細な指使いで鍵盤を叩く。


 彼女もまた幼い頃から奏者に教わり、叩き上げを耐え抜いた猛者だ。将来は国を代表する奏者となるべく修行を積み、両親も納得するほどの腕前。


 貴族のお嬢様の域を飛び抜けた大胆にして表現力豊かな旋律が大ホールに響き渡る。


 怪しげな笑みを浮かべていた同級生たちもロゼッタの演奏に聞き入った。


 神に捧げる音。それがピアノ。言葉でも演技でもない表現。音で喜怒哀楽すらも表してしまう。


 数分間の演奏は常にハイテンポで鍵盤から指を離すと同級生全員が拍手喝采を送った。もちろんエカテリーナも倣う。


 ただ、どこか釈然としていない表情だった。


「さぁ、エカテリーナ・アシュベンダー。次はあなたの番よ。弾きなさい」


「わたくしが、ですか?」


「当然じゃない。聞いたわよ? あなたも奏者を志していると。ならばあなたも弾いてごらんなさいな。求められれば一曲奏でる。常識でしょう?」


「は、はぁ」


 エカテリーナは乗り気にはなれなかった。


 ロゼッタの命令が発せられると、観衆だった上級生らがこぞってエカテリーナの演奏を要求する。「それは良い考えだ」や「是非とも聞かせてもらいたいな」と。


 壇上に上がるとロゼッタに手を引かれ、グランドピアノの前に座らされる。そして「逃がさねぇよ」と語るかのように肩に手を置かれ圧をかけられた。


「アシュベンダー家ではどうあったかは知らないけど、奏者を目指す者として相応しい選曲をすることね。幼児でも弾けるような曲では、私と並べはしないわよ?」


「とは言われましても………」


 エカテリーナはとりあえず、ド(C)を押す。次いでレ(D)とミ(E)。


 ところが、


「あっらぁぁああ? あなた、奏者だと自己紹介した分際で音階も知らないのかしらぁ?」


 エカテリーナが叩いたのはファ(F)とソ(G)とラ(A)だった。


 本当なら演奏中に邪魔をしたり、精神攻撃で失敗を誘うなり、欠点を発見して最終的に全力で中傷するのが目的だった。


 これが新人潰しのロゼッタのやり方だった。去年は彼女は一年生でどうすることもできなかったが、この学園に入る前からも年下かつ有望な人材を精神的に追い詰めることで排除してきた。


 まさしく今年こそ本領発揮の時。一年生で有望かつ目障りな存在は徹底して潰す。最高学年になる時は最終的に自分ひとりが頂点に立つために。暗黒の時代を築こうとしていた。


 しかしなんとも傑作だ。奏者を志すと吐かしたエカテリーナは、まともに演奏すらできなかった妄言者だったなんて。潰すのは赤子の手を捻るより容易い。


「あなた、よくこの程度で奏者を志すなんて言えたものね! これでは4歳児より下手じゃない? まぁまぁまあ! どうしましょう! アシュベンダー家はこんなものなのかしら? こんなの奏者だなんて言えないわよ! あーっはっはっは!」


 まず話にならない力量に、ロゼッタの哄笑は止むことを知らない。上級生たちもともに笑った。


 ここまで侮辱されれば、常人なら号泣する。仕方ないこと。


 しかし。エカテリーナという女は違った。


「な、る、ほ、ど。なーるほど、なるほど。そういうことでしたか」


 彼女の膝の上で拳が握られる。


「ロゼッタ様。どうやらあなたは………勘違いをされているようですわ。これはわたくしに非がありますわね。申し訳ございません」

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