第2話 光栄ですわぁ
一見、なにも不自然ではない自己紹介。
ただこの自己紹介が周囲の、クラスの、学年の、学園全体の認識を変えた。
彼女の過ちは後半にある。
奏者を志す。これだ。
奏者とは書いて名のとおり楽器を奏でる者を意味する。
ただし多くの、いやすべての奏者が奏でる楽器とは総じて決まっていた。
ピアノだ。今や世界中でピアノを弾く者を奏者と呼び称えている。
ピアノとは楽器の王道。歴史は長く、その荘厳にして繊細、大胆にして精密な演奏は力量によっては耳にする者たちの心を掴む。無心へと変える。つまり魅了させる。
帝都でも祭典の場では必ず用いられる。
神聖不可侵なメロディは、まさに神に捧げる音なのだ。
よって奏者の資格を持つ者は、ピアノを弾けるもののなかでも一握りしか選ばれない。プロフェッショナルのなかのプロフェッショナルと呼ばれし奏者は、将来が約束されたようなものだ。
そしてこの学園にも奏者を志す者は多くいる。幼少期から血塗れになるほど鍵盤を叩きし猛者たちだ。
それがどうしたことか。
このアシュベンダーなる聞いたことのない家柄から出てきた田舎者が、選ばれし者になろうとしている。
その指は白く細く、まるで新品そのもの。改修した痕跡がない。つまり努力の痕跡がない。
それが奏者になりたいなどと戯言を
在校生徒で奏者を志す者がどれだけいるのか知らない様子だった。
七割強。親の後継は当然のこと、自分が選ばれし特別な存在であるという証が欲しい。
国民からも、他の貴族たちからも、王族からも讃えられる名誉が欲しい。
奏者とはそんな肯定感から成される強欲の塊でもある。しかし一方でどれだけ欲しても簡単には得られない厳しい規則や力量から、目指すべく将来として不足ない。
奏者を志す者たちは幼少期から鍵盤を叩いた。鬼のように容赦ない奏者の教官から、これまで与えられた屈辱を浴びせられ、寝る間も惜しんで猛勉強した。
強欲の塊であると同時に努力の結晶なのである。
なかには試練に耐えられず心が折れた者もいるが、屈さずに耐え忍び、磐石を築いた猛者たちがこのクラスに半分以上はいる。
エカテリーナは瞬時に周囲の半分以上を敵に回した。同時に努力を知らない愚者へ、制裁を下すべく壮絶ないじめのターゲットとされる。
陰湿な理不尽は一通り与え続けた。
先人が体感した不条理と挫折を覚えさせ、あわよくば退学を選んでしまえばいい。
いつしか学年を超えてエカテリーナの噂は波及し、上級生からも洗礼の対象とされる。
特例生は余計な火の粉を浴びぬようにと、我関せずを一貫。見て見ぬふり。
エカテリーナの学園生活は、立派な自己紹介で、たった数秒を機に地獄へと早変わりした––––はずだった。
「おはよう御座います。良い朝ですわね」
早くも二週間目の地獄に突入してからもエカテリーナの屈託ない笑顔は、それはもう曇りを知らぬ蒼穹のように晴れやかであった。
どれだけ疎まれようと朝の挨拶だけは忘れない。教室に入室と同時に一礼する。無視されるが毅然とした姿はそのまま。
思い返せば自分がされたら必ず不登校になりそうな仕打ちを受けさせたはずなのだ。
田舎出身にしては上物のシルクで仕立てたドレスも泥で汚してやった。
光沢のあるブロンドの長髪で編んだであろうドリルのようなツインテールも跡形もなくグチャグチャにしてやった。
彼女の身の周りのものも破壊して目の前に置いてやった。
目前で大声で陰口を叩いてやった。
そろそろ暴力にものをいわせて、身分の違いという現実をわからせてやるべきか。特例生を金で買収すれば手数は揃う。
エカテリーナの周囲は、最初こそ喜んでいじめ行為に加担していたが、やがてなにも変化のない笑顔に恐怖さえ覚えた。
しかし、この日だけは違った。周知していたので恐怖を押し殺せた。
「あら。これは………どなたからでしょう」
エカテリーナが机にあった便箋を手に取る。
それは二年生からの手紙であった。帝都ではそれなりに名の知れた貴族のひとり娘。ランクでいえばこの学園の中層といったところ。
「お昼休みに大ホールにてコンサートを行うから是非参加されたし。………なるほど。お誘いでございますか。光栄ですわぁ」
エカテリーナは招待状を握りしめて雀躍する。
しかし彼女以外の貴族の子供たちは知っていた。その上級生は新人殺しで有名で、他のクラスではあるがすでに三名ほど心をぶち折っていることを。
精々心を潰されて、この学園から去るがいい。奏者のなんたるかも知らない不届き者め。
と多くの目が語るのも知らず、エカテリーナは午前の講義を終えると上物のドレスを翻すように大ホールのある棟へと、新米勇者の旅立ちのように出発するのだった。
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