第10話

 目を覚ました少女の獏に食われたのは、末娘を一番心配していた母親だったという。


 突然目を覚ました末娘の血だらけの異様な姿と床に転がる妻の無残な姿に、一家の主である男は咄嗟に、手に持っていた火が点いたままの燭台を末娘に向かって投げつけた。


 獏は火を恐れる。獏と化した末娘は家を飛び出すと、外を照らす夕暮れ手前のまだ明るい空に更に慄いた。隠れ場所を探し、遠目に木々が生い茂る町の外が目に付いたのだろう。そこを目掛け、目を庇う様にしながら逃げて行った。


 一家の主は、警邏隊に報告を入れた。妻の遺体がある以上、計り知れない異常が起きたのは明らかだったからだ。


 警邏隊の殆どの者は獏の存在をまだ知らなかったが、隊長である彼だけは、別の町からの情報共有を受けていた為知っていた。よって、対処法も知っていた。


 以降、町は連日篝火が用意され、間違っても獏が入り込めない様になり、住人にも注意喚起をするに至る。


 警邏隊は、安全の整備が終わったところで近隣の集落にも情報共有をする予定だったが、何の手違いか、シェンの村にだけ報告が漏れてしまっていたらしい。人口の多い町への連絡ばかりに気を取られたからだろう、と隊長は頭を下げた。


 シェンの父が少女の獏と出会った場所と、隊長が語った場所はひとつの山の麓。裾野の木々が影となり連なっている場所だ。


 リョウはそのことを確認すると、翌日シェン用に武器を購入し、躊躇いなくその場所へと向かった。


 そして、ひとりで少女の獏を祓ったのだ。


 シェンは、人殺しとも捉えることが出来る光景に身体を動かすことが出来ず、ただ見ていることしか出来なかった。


 これが獏を祓うということなのだ。ようやくその意味を心の底から理解したシェンは、次こそリョウと肩を並べられる様、剣の腕を磨くことを固く心に誓う。


 尚、シェンの父である獏は、くまなく探してはみたものの、近隣では見つけることが叶わなかった。



 シェンの父である獏を見つけられないまま、二年の月日が過ぎた。一体どこへ逃げたのか。若しくは、他の獏祓いに退治されたのか。


 聞き込みをしながら探索の範囲を広げるが、入手するのは別の獏による被害の情報ばかりだった。


 そんな例の内のひとつ、牛の獏の核を植え付けられていた男から聞いた、草原の先にある林。


 それらしき場所を最初に見つけたのはシェンだった。


「リョウ、あそこじゃないか?」

「お?」


 林はさして大きくもなく、そこだけ木が密集している様なこぢんまりとした場所だ。だが、木々の葉に隠された空間の闇は深く、日の光や火を苦手とする獏が隠れるには最適な環境に見える。


「今回の獏は、頭だろ」


 シェンが問う。こちらの世界に存在する獏と、その核である夢の中の影の急所は同じ場所に位置する。これも、獏祓いたちがその経験から学んだことだ。


 他の獏の被害が周りになければ、獏は一体だ。夢で知った獏の急所のみを狙いにいけるが、近隣に同時多発している場合、どの獏がどの核を植えたかは分からない。影の背格好は似る様だが。


 だが、今回は確実だ。何故なら、影がどう見ても牛だったからだ。つまり本体も十中八九牛であることに間違いはなく、その分、遥かに退治しやすい。


「肉は残りそうだな」


 ぐうう、と腹の虫を盛大に鳴らしながら、リョウが剣を構える。


「まだ言ってんのかそれ。俺は食わないぞ」


 シェンは呆れ返ってそう返答しながらも、同じ様にリョウのよりも大分細身の剣を抜いた。そしてもうひとつ、捕縛用の鎖を肩に乗せる。


 リョウが、気軽そうに話す。相手を警戒させない為に。


「獏の肉を食って死んだ話は聞いたことはないぞ」


 ジリ、と闇に一歩、また一歩と近付く。


「人間の獏を食わねえだろ。馬鹿言うなよ」


 シェンは辺りの気配に耳を澄ませた。何も聞こえない。――虫の声すらも。


 シェンがリョウに目配せすると、リョウも目だけで頷いた。恐らく、奴は近くにいる。まだ陽が高い所為で外まで出てこないだけで、いる。


 リョウが、足許に転がっていた石を静かに拾う。それを二人からは少し離れた林の影の部分に向かい、思い切り投げつけた。


 その瞬間、石が当たった木の幹に突進してくる影。


 ドン! という衝撃と共に葉がハラハラと舞い散る。木の幹に角を突き刺しているのは、茶色い毛並みをした牛だった。


 シェンが、先端に重しが付いた鎖を牛の足目掛けて投げつける。後ろ足を二本、鎖に取られた牛は、暴れながらもがくりと地に足を付いた。


 リョウが親指をぐっと掲げてシェンに笑顔を見せると、シェンにも小さくだが笑みが浮かんだ。


「でかしたぞシェン!」

「当然だ」


 力では、どうやっても筋肉隆々のリョウには劣る。シェンの背はあれから伸びたが、髪の毛同様母親の血を濃く受け継いだのか、ちっとも筋肉もりもりにならないのだ。


 そこでシェンは考えた。二人同時に同じ行動を取るよりも、互いに援護し合う形の行動が取れるいい案がないかと。そこで到達した答えがこれだったという訳だ。


 鎖といってもかなり軽量化を図ったもので、この二年間で知り合った、とある鍛冶屋お手製の特注品だ。しかも頑丈ときているので、この上からリョウの馬鹿力でぶった斬ろうが壊れることはほぼない。


 否、一度ぶった斬ったら鍛冶屋の爺さんがブチ切れて更に頑丈な素材に変えたので、多分もう壊れることはないだろう。


 シェンが鎖を手繰り寄せつつ引っ張ると、牛がドン! と砂煙を立てて横倒しになった。牛が怒りに染まった金の瞳をシェンに向ける。


 ――今だ!


「リョウ!」

「任せろ!」


 シェンの掛け声と共に、体重を感じさせない軽やかな跳躍を見せ、リョウは上空から全体重を乗せて牛の首を一刀両断にしたのだった。

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