第5話

 村へ案内する途中、シェンは父に起きた異変の一部始終を語った。


「女の子……そうか」


 何故かリョウの表情が曇る。どうしたのかと訝しんでいると、リョウが言いにくそうにポツポツと語り始めた。


「その女の子は、元は人間だったんだけどな」

「元は人間? どういうことだよ」


 シェンの中では、人間は二種類しかない。生きているのと死んでいるのだ。王都などに行けば様々な噂話もあるだろうが、この田舎に得体の知れない噂話は立たない。全員が知り合いなので、なにか起きても真相を本人に聞けば事足りるからだった。


「もう動いて噛み付いているってことは、バクっていう悪魔になっちまったってことなんだよ」

「悪魔? 何だよそのおとぎ話みたいなのは」


 この世には神様と悪魔の概念はあるのはシェンとて知っているが、実在するなんて聞いたことがない。時折、娯楽の紙芝居を持ち込む行商人もいるにはいたから、そういう考えがあるのは知っていたが。


 紙芝居の内容は、大抵が神様や悪魔がどうのこうのという話だった。そもそもあれは宗教的概念を元々根底に持つ人間にしか響く様に作られていないのか、神様ナニソレ食えるのかという考えの人間しかいないこの村では不人気だった。


 代わりに子供たちがよくせがんだのが、不憫な立場の子供が幸運により幸せを掴むという話だ。きらびやかな城、見たこともない美味しい料理を腹一杯食べてふかふかの綿毛の布団で寝る王様の様な暮らしに、子供は憧れた。


 訳の分からない宗教的精神的教えよりも、人間の欲求により近いものの方が好まれたという訳だ。村の子供は皆逞しい。


 リョウが、首を傾げながら言葉を選びつつ答える。


「本当に悪魔かどうかは分からないけどな、怪物であることに間違いはないんだよ。人間に取り憑いて、一度覚醒した獏はもうどうやっても人間に戻せない。……その、殺す以外には」

「殺す……?」


 随分と物騒な単語が出てきたな、とシェンは隣の大きな男を見上げた。もしや、腰に帯びたその剣で、これまで人の形をしたその獏とやらを屠ってきたのか。


 シェンの非難する様な視線に気付いたのだろう。リョウが気まずそうに頭をボリボリと掻くと、フケが風に乗って流れていった。


「……俺だって斬りたくはないけどな、獏の被害は判明した時点でさっさと元を断たないと、どんどん勢いを増して世間に広がってるからな」


 ここまで話し、シェンはようやく気付く。


 何故リョウが寝たきり起きない人間を探しているのか。何故その奇病を直しにわざわざ人が外から寄越されるのか。


 かちゃん、とシェンの中で全てが繋がった瞬間、シェンは不安に襲われた。


「リョウ……! 父さんも、目が覚めたらその獏になっちまうってことか!?」

「……時が満ちて、自ら目覚めたらな」


 そんな。あの優しい頼りがいのある父が、とシェンが信じられない思いでリョウを見つめると、リョウが安心させる様にシェンの肩をぽんと叩く。


「だけど、寝ている間に夢の中に隠された『核』を退治すりゃあ元に戻る」

「本当……!? 父さんは大丈夫なんだよな!?」


 シェンがリョウの太い腕を掴んで尋ねると、リョウは真剣な面持ちで頷いた。


「その為に俺が来た」

「リョウ……!」


 シェンはリョウの腕を掴んだまま、引っ張り始める。


「こっちだ! お願い、父さんを……父さんを助けてほしい!」


 シェンの必死の訴えに、リョウは駆け足になることで応えた。


 二人、急ぎ村へと向かう。泣きそうな顔でひた走るシェンに、リョウがぽつりと尋ねた。


「ただ、寝ている期間は限られているんだ。八十九日を過ぎると、獏は目を覚ます」


 そして、最初に目についた者を食べてしまう。そうなる前に、早く対処しないと――。


 リョウの言葉に、シェンはヒヤリとしたものを覚えた。八十九日。父が寝たきりとなってどれくらい経ったか、正確に数えていなかったのだ。だが、最近の話ではない。


 ……ひと月やそこいらの話ではないことだけは確かだ。あれはまだ秋の入り口の頃だったから。そろそろ冬が到来する今、あれから何日経っただろうか。


「……リョウ、早く行かないと、早く何とかしないと父さんが父さんじゃなくなってしまうかもしれない……!」


 怯えた瞳を見せたシェンの言葉に、リョウは突然シェンを肩に抱えると、「案内しろ!」と言った。


「あ、あっち……!」


 とんでもない早さでリョウが駆ける。


 だが。


 やがて村に辿り着いた二人の目に飛び込んできたものを見て、シェンは己の目を疑った。

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