第34話 事件完全終息


 バルドルは一人の魔族が倒れていく姿を見つめながら、今回の事件が終息したことを領域で確認し、安堵の吐息を零した。


 駆け寄ってくるユニを視た後は、宣言通りに守れたことが嬉しくて、応じようと思っていたのに……視界が傾く。


「あっ……」


 指先が視界に映っていたが、微かな力も入らなかった。


 もう体に立っていられるほどの力はなく、精根尽き果てたバルドルは地面に倒れていき──タッタッ、と駆け寄ってきたユニに抱き止められた。


「お疲れ様です、バルト君」


 その存在を確かめるように、生きていることを喜ぶように、ぎゅぅっと強く抱き締めた。


「あはは、少し、疲れたかも」


 本当は守るべき生徒に弱った姿を見せるのは良くないのに、この心地良さに抗えるほど強くはなかったみたいだ。


 そのことがおかしくて、甘えるように体重を預けながら、魔眼を閉じて一息ついた。


 まだ、全てが終わったわけではない。


 遠くにいるエルトリーアは気絶していて、魔物に襲われる心配があり、早く回収しに行かないといけない。


 マルクの方は魅了で夢を見ている状態だが、もう一人の魔族は起きないとも限らない。魔族は身体能力が高くとにかくタフだからだ。


 だから、眠るのは早いと偏頭痛を我慢してユニにエルトリーアの元まで連れて行ってもらおうと提案しようとしたが……


「あれ?」


 領域内に見覚えのある人物が入り、ダンとエルトリーアを回収しこちらに向かって来ていた。


「どうしたんですか?」


「いや、それは……」


 ユニに理由を話そうとしたが、少し離れた茂みからシアを背負ったシンが現れたので、話を中断する。


「「……………………」」


 いつもは賑やかなやり取りをしていたが、今日は違った。


 二人は静かに向かい合っている。


 だが、この空気に何となく居心地の悪さを感じ、口を開いた。


「やあ、シン君」


「……あっちが素だったんだな」


 いつもの挨拶をスルーすると、過去を思い出すようにシンは目を瞑った。ちなみに、背負っているシアは色々あって疲れたのか、ぐっすりと眠っている。


「あっちって?」


「初めて合った時のことだ」


 シンは最初「相手は一年生最強だ」という気持ちが強く、バルドルの言動や行動をちゃんと記憶していなかったから、本当のことに気づくのが遅れた。


 シンは知っていた。


 バルドルの一人称が「僕」で普段は言葉のパンチが効いていないことに。


「まあ、ね。そればっかりはちょっと失敗かな」


 生徒会に入ったばかりの頃はまだ、レオンハルト越えの生徒会長を目指す具体的な計画はなかった。寮に帰り寝るまでに設計したのだ。そのため、実は計画には結構杜撰な所があり、レオンハルトに「お前は真面目に生徒会長を目指すつもりがあるのか?」と威圧感満載の微笑みで聞かれたりもした。


「それで、僕に何のようかな? 随分とその魔族のことを気にしているみたいだけど……?」


 さっきからシンの視線がマルクに引き寄せられていたので、尋ねた。


 殺気が見え隠れしていたのだ。


 過去に何があったか知らないが、マルクには生きて情報を提供してもらわないといけない。その後は好きにしてもらっても構わないが。


 だが、シンの反応は思ったよりカラッとしていた。


「もう気にしてない。ただ俺は……」


 それは、本当に大切なものを見つけたからだ。


 復讐に囚われて本当に大切なものを見失う所だったと、強く思い知らされたからだ。


「先輩達が無事かどうかを聞きたいだけだ」


「そっか」


 その言葉に唇を綻ばせた。


 シアのことばかり考えていると思ったが、しっかりと先輩達のことも考えているようだ。


「みんな無事だよ」


「て言うことは、その、勝ったんだよな」


「ああ」


「…………そっか」


 シンは吹っ切れたような顔を浮かべていた。


 自分の全てを出しても敵わない壁を知り、その壁が更に高く分厚くなったものを、目の前の男は越えていったのだ。


(そりゃあ、俺なんかが勝てるわけねぇよな)


 でも、と。


 いつかは追いつけるようになりたい。


 一人の少年は、次は自分の手で妹を守れるくらいに強くなると、そう決意した。


「……それでバルト君、さっきはどうしたんですか」


 自分の世界に入ったシンを見たユニは、先程の質問に話を戻した。


「実は……」


 改めてユニに答えようと口を開いたが、到着したみたいだ。


「もう、来たみたい」


 目を閉じたバルドルが顔を向けた先、草原を駆ける三匹の影があった。それは入学式で見せた動物を象る水に騎乗する女性。


「やっほー」


 物凄く気軽に挨拶してきたその人は、魔法学園アドミスの校長リーベナだった。


 チーターを模した水獣に横向きに座り、優雅に手を振り登場にした。隣にはライオンを模した水獣の中に閉じ込められているダンと、地竜を模した水獣(竜?)に背負われているエルトリーアがいた。


「リーベナ先生、二人は無事なのでしょうか?」


「バルドル君は驚いてないわね」


 ユニとシンは急に目上の人物を前にして固まっている。


「驚きよりも別の感情が大半を締めていますからね。皆を守ることができたので、今は追求しませんよ」


「やっぱり兄妹ね。似たようなことをシスカちゃんにも言われたわ。ま、その話は置いておくとして、二人共無事よ。こっちは水中でも呼吸できるタイプだしね」


「そうですか」


(情報を得られそうで良かった)


 ダンの安否を心配していた理由は当然、尋問し情報を得るためである。一人より二人の方が、情報の精度と確実性を上げることができるからだ。と、


「──エル!?」


 校長の登場に呆気に取られていたユニは復活し、見た目的にはバルドルより酷い状態のエルトリーアを見て、直ぐ様駆け寄り治療を施していく。


 その際にほんの僅かに体力が回復してきたバルドルは立ち上がり、ライオンの水獣がマルクを咥えた光景を目撃し、強者だった者の末路に虚しいものを覚えていた。


「バルドル君、はいこれ」


 リーベナは水獣から降りると、バルドルに封印の神器を手渡した。ここに来るまでに拾った物だ。


「……」


 数瞬、動きを止めてしまったバルドルは、光ある世界を目に焼き付けるように草原を見回して、風が吹き、その心地良さに目を細めると、一息に付け直した。


 すると、自動的に鍵の部分はかけられ、魔眼は封印された。


(みんなの顔……見たかったな)


 胸に一抹の寂しさを覚えたバルドルは、少しの未練を混ぜた笑みを浮かべるのだった。


 その間、リーベナはエルトリーアの治療を終えたユニに話しかけに行く。


「ユニちゃん」


「は、はい! 何ですか?」


 校長先生と話すのは初めてで、微妙に声が上擦ってしまう。


 凄く美人な人だった。


 清楚な純白の髪に、高貴な黄金の瞳。


 遠目で見たことはあったが、目の前で見るとやはりその体付きは良く、若い男の理想を体現したような容姿だった。


 バルドルの先生ということを思い出せば、聖女として負けるわけにはいかない……! と楚々とした振る舞いを心がけるようにして、緊張が解れていた。


 そんなユニを面白そうに見つめると、はい、と何かを差し出してきた。


「これ、上げるわ」


「これは……」


 それは生命の雫だった。


 ユニの命を守った物だ。


 自分の物は壊れているので、リーベナが所持している物なのだろう。


「いいんですか? 生命の雫は教会でも三つしか存在せず、とても貴重な物だと記憶しています」


「だからよ。だってこれがないとユニちゃん、教会に連れ戻されちゃうでしょ?」


「っ……!」


 確かに! と目を見開いた。


 死一歩手前の状態になったと知られたら、寮生活とはおさらばしなければならない。最悪、退学させられる。良くても四六時中護衛が付き纏うようになるだろう。


 護衛の人、というより教会の人は魔眼、特に〈魅了の魔眼〉といった精神系の力を忌避している傾向にあるので、バルドルと一緒に行動すると無理やり止められかねない。


 そのことを分かっているであろうリーベナは、物語の魔女のように微笑んでいた。


「貸一つでどう?」


 それは、甘い誘惑だった。


 ユニは聖女として偽る真似は避けたかった。嘘をつくのは嫌いだし、心配かけないために傷を治したから怪我をしていない、などと言うのは心情的に納得できない。


 だけど、教会に戻ったら、また教えを受けるだけになる。自分で得られる知識はなく、経験はなく、情報だけを与えられる。


 ……いや、本当はそんなことはどうでも良かった。


(私はバルト君とまだ一緒にいたい……!)


 建前を捨てて、聖女は魔女の手を取った。


「……はい」


 ユニはニヤリと笑うリーベナを見ると、自ら進んで罠にかかる気持ちになったが、仕方ないと飲み込むことで、生命の雫を受け取り、クリスタルがなくなったネックレスと交換し、その紐をポケットに仕舞うのだった。


 そうして、バルドル達は地上に帰還するために、ダンジョンを後にした。



 帰り道、シスカと合流したバルドル達は、地上に帰還すると人がいないのに気づく。


 バルドルだけは領域で、風紀委員の人達が生徒達がダンジョン近くに侵入しないようにと警備として立っているのを視た。


 リーベナの配慮なのだろう。


 こちらの状況を知り過ぎている、とは思うが今は置いておき、医療施設に足を運ぶ。


 そこには生徒会の面々が既にいて、エルトリーアを見たレオンハルトがバルドルに詰め寄ってきた。


「もう少し、上手くやれなかったのか?」


 色々と事情を聞いていたレオンハルトは、問うように尋ねた。


 実際、バルドルが魔眼を使うことができれば、初めから誰も怪我をせずに済んだ、と理解しているからだ。


 レオンハルトはバルドルの魔眼封じの神器の情報を知らないからこその問だ。バルドルはそこを指摘はしなかった。


 彼が知りたいのは、生徒会の一員バルドルがいたのに守るべき対象生徒に襲撃者と戦わせたのか、ということだ。


「はい。それほどまでに、魔族は強かったです。僕も、エルも、ユニも、シン君も、シアちゃんも、誰か一人でも欠けていれば、生きては戻ってこれませんでした」


 その響きが、室内を満たした。


「……分かった。よく頑張った。後はゆっくり休むといい」


 バルドルの肩に手を置き、労いの言葉を口する。


「後のことは俺達に任せておけ」


 そう言って、レオンハルトはリーベナに視線を送り、ダンとマルクを尋問するために、医療施設を後にした。


 その間にルス達上級生とエルトリーアをベッドに寝転がせた。女性のエルトリーアはカーテンの仕切りがある所に寝かされた。


 ルス達は洗脳が解かれ、頭が洗脳前に戻り、その情報の歪さを受け止めきれず、未だに気絶している。


 そのカーテンの中に入ると、シアを寝かせているシンがいた。


 少しでもシアを休ませたいという彼の気遣いだ。


 医療施設にいる先生方や手伝いの生徒も今ばかりはいなかった。どうしてか、バルドルには理由が分からなかったが、何か狙いがあるのだろう。


 そして、本当に何故かユニがシンに話しかけていた。


「シン君、実は前からお聞きしたいことがあったんですけど、少し良いですか?」


「ああ、別に良いぞ」


 ユニはずっと彼に聞きたいことがあった。普段はバルドルを見ると剣呑な空気になるから、聞きに行くことができなかった疑問だ。


「シアちゃんはどこか悪い所があるんですか?」


「っ!? ど、どこでそれを……!?」


 ビクッと肩を震わせ、睨むようにユニを見つめる。


 心臓が激しく音を鳴らす。


 知られたくない秘密を暴かれる寸前のように、焦燥感が額に汗を浮かばせた。


「やっぱり、どこか悪いのですね」


「わ、悪くはない……!」


 絞り出すように、否定する。


 その言葉の節々には、何かあると思わせる焦りが見られた。


 否定は、否定に見えなかった。


 まるで肯定するかのような様子に、分かりやすいシンの姿にユニは呆れた目を向けてしまいそうになるのを堪え、真摯に見つめ聞いた。


「私では治せませんか?」


「っ、無理だ」


 国有数の癒やし手と目されるユニの提案に、ハッキリと答えた。


「何を根拠に無理だと口にしたのかな?」


 バルドルが話に加わった。彼が持つ情報とシンとユニの会話から、シアに何かがあるのは分かった。だから、素直に助けたいと思ったのだ。


「それは…………今のお前らになら、話してもいいか」


 シンは諦めたように、自分達シンシア兄妹に起こった悲劇を話し始めた。


「あれは、8年前のことだった。まだ7際だった俺は、当時から剣の訓練をしていた。俺の適性魔法は剣技ソードアーツ、冒険者の人にもめちゃくちゃ強くなれるって聞いて浮かれてたんだ。それを後先考えずに使って、結果……今日、襲撃してきたマルクって言われてた魔族に目をつけられたんだ」


 強く、強く手を握り締めた。


 爪が食い込み血が流れるが、それは自分に対する罰だと言わんばかりに無視する。


「夜のことだった。シアに絵本を読んであげて、丁度寝る前……や、シアは寝てたんだったかな? まあ忘れたけど、そんな時に……母さんの悲鳴が聞こえてきた」


 握り締めた手が、力なく垂れ下げられた。


 ツーッと血が掌から指へ伝っていく。


「まだ、その時は何が起こってんのか分からなくてさ、子供ながらに大丈夫だ、てシアと考えたんだ。……母さんの悲鳴が過去一番だってことにも当時は気付けなかったんだ。それが無意識に分かってたからか、寝室に着いた時は怖くて……でも、母さんの泣いてる声聞いて、心配になって扉を開けたら……」


 何度か、息を吸って、吐いた。


 血が地面に落ちて跳ねた。


「父さんが、母さんの胸を護身用の剣で貫いてたんだ」


 ユニが口に手の当て息を呑む。


 バルドルもあまりの過去に、前に自分が口にした言葉を後悔する。


 胸が、痛かった……。


「母さんは俺らに気づかなかった。最後まで、俺とシアのことを見ずに……死んだ。父さんだって、今なら分かるけど、あん時はわけ分かんなくて……や、今はこの話はいいな。部屋に入った俺は、父さんと母さんの様子に怖いと感じて、殺そうとしちまったんだ。その自分の行動に何の疑問も恐怖もなく、本当に殺すつもりで魔法を使った」


 シンが見つめる自分の両手の平は、震えていた。先程の記憶を振り返る。シアを殺そうとする時も、殺意に満たされていた。


 それが、愛する者を憎んで殺そうとしたという事実が、シンの心を深く傷つけていた。


「だけど、さ……シアが助けてくれたんだ」


 不意にシンはベッドで眠るシアを見た。


 血を流していない方の手で、シアの手を握り締めた。


 英雄に憧れる少年のように、自分を助けてくれた魔法使いに感謝するように、ありがとうの意味を込めた手だった。


 その時には既に、手の震えは止まってロックされていた。


「そん時に俺とシアは部屋に魔族がいるのに気づいて、そいつはシアの魔法を見てシアに何かの魔法を使わせると、言ったんだ。質と、量が足りないって……で、目の前で両親を殺された。次に目を覚ました時、シアは、シアは……」


 優しくも強く、シアの手を握り締めた。


 咎人が聖女の前で自分の罪を独白するように、吐き出すように涙混じりの声を響かさた。


「誰って、そういったんだ…………」


 掠れた声。


 零れ落ちる涙。


「全部、忘れたんだ……!」


 その時の絶望が胸をキュッと締め付けた。


 ドク、ドク、ドク、ドク……と心臓の鼓動が耳にまで聞こえてくる。


 シアは全てを忘れた無垢な幼子の顔で、キョトンとシンを見上げていた。思い出も、自分も、両親も、忘れていた。


「今にして思えば、良かったかもしれないけど……」


 再度、強く握り締められた拳は、その時は更に絶望が襲ってきた気分だった、と伝えているようなものだった。


「封印された記憶を元に戻すために、ここに来るまで冒険者として戦って、報酬を手に入れて、何度も、何度も何度も何度も……治せるか試してもらった。でも、無理だった」


 その時のことを語る。


 魔法を解除する魔法の使い手は、残酷な現実を知らせた。内部で魔法が発動し続けているので、魔法解除の魔法が届かないそうだ。


 高位の聖職者の神父は誘導を解呪できなかった。シアは自分の魔法を解除しようとすると、誘導が入りできなかったからだ。だが、その誘導は普通とは違った。あまりにも強力過ぎる誘導は、これもまた体に馴染み過ぎて解呪できなかった。そして、


「シアはずっと、大量の魔力を使い続けてるんだ」


「「っ……!」」


 バルドルが何かに気づき目を見開く。


 ユニの顔から血の気の引いた。


 記憶を封印する魔法に、シアは魔力を無意識の内に使い続けている。


 魔力は人なら誰もが持つものだ。当たり前にあるものがない、あるいは極端に少ない。それは肉体の霊的なバランスを崩してしまい……。


「──成長が止まってるんだ」


 シアの髪を撫で、頬に手を添える。


 変わらない妹の姿を見つめるように、その瞳には微かな悲しさが覗いていた。


「ずっと側にいた。

 ずっと隣りにいた。

 一緒に育ってきた。

 でも……俺だけが、前に進んでた」


 シアは初めてから学んで行った。


 兄という頼り甲斐のある存在を知った。


 食事というものを知った。


 その味は、シンが苦労して作った食事は、母親の手料理を真似たもので、それを食べたシアが美味しいなんて言ってくれた時には、目に涙が浮かんでしまった……。


 あの日からシンは一人、ずっと心が置いていかれている。


 マルクのことを覚えているから、復讐心が燃え続けていた。


 シアに救われた時から、より一層シアを守るために努力した。


 記憶を元に戻すために、冒険者として戦い続けた。


 ……なのに、シアは何も変わっていなかった。


 前に進む度に、隣りにいたはずの妹はいつしかいなくなり、ずっと後ろについて回るようになっていた。


 兄として妹を守るのは当たり前だ。と強がってはいたけど、何だかんだでシンは、心の何処かで同じ思い出を共有する仲間が欲しかったのだ。


 シアを守りたいと思う一方で、一緒に魔族に仇討ちするために戦って欲しかった。


 その思いがシアを守りながらも、冒険に連れて行くという矛盾を生んでいた。


 前に出さない癖に、一緒に戦わせた。


 シンは対等な関係に、家族になりたかった。


 助け、助けられ、支え合う。


 ……けどシンは一方的にシアを助け続けた。


 いつも元気な妹を支え続けた。


 それが苦ではないから、余計に我慢して……。


「俺はシアに、記憶を取り戻して欲しいと思ってる。守りたい気持ちは本物だけど、それは、一緒に並んだ上でだから」


 前衛、後衛的な話だ。


 シンは前で戦ってシアを守り、シアは後ろからシンを支援する。シンの騎士としてのあり方は、守護は、そんな形だった。


「……て、関係ない話だったな」


 シンは照れくさそうに頭を掻いた。


 すると、ここまで黙って話を聞いていたシスカが口を開いた。


「一つ、解決策があります」


 凛とした声で、真っ直ぐとシンを見つめた。


「ほ、本当か!? お前なら治せるのか!?」


「いえ」


 シスカは首を横に振った。


 次にバルドルに視線を向けた。


 え? と呆けた顔を浮かべる。


 バルドルの〈魅了の魔眼〉の魔法解除能力も、見えないものには効果を発揮できないからだ。だが……


「兄さんなら、上書きすることが可能です」


 そう、魅了は精神系の事象だ。


 超過の魔眼イクシード・アイ何するものぞ、だ。


「そして、魔眼の影響が出たばかりであれば、体に馴染む前に私が解除することが可能です」


 肉体に影響を及ぼす、例えば身体強化の魔法などは、初めは身体強化の光を纏う感じだが、時間が経つに連れ体に馴染み、宿す、という感じになるのだ。


 バルドルの魅了も時間が経てば体に馴染み、容易に解除はできなくなるが、逆に魅了したばかりであれば、その繋がりを断つことがシスカにはできた。


「で、でも……!」


 魅了するという事実は残る。


 だが、すぐに否定の言葉が放たれなかったのは、本当のバルドルの性格を知ってしまったからだ。


 知る前ならば信用できないと突っぱねることもできたのに、今は、彼は自分達を助けてくれたから、信じたいという気持ちもあった。


 けれども同時に、話が上手く行き過ぎている現実が、失敗した時の可能性を想像させて……シンはまた、シアを見ていなかった。


 だから、いつの間にかシアが目を開いているのに気づかなかった……。


「お兄ちゃん」


「っ!?」


 妹の声を聞いたことで肩を震わせる。


 聞かれた、一番聞かれたくないシアに聞かれたかもしれない、その恐怖に胸が高鳴った。


 体が封印させられたみたいに動かなくて、俯いてしまった。


 頭を垂れるように、処刑台に上がった罪人が罰を受けるように、顔を伏せた。


「私は──私だよ」


 一見、それは内容のない言葉にも聞こえたが、違った。


「記憶が元に戻っても、私は消えるわけじゃない。元に戻るだけだから、だからお兄ちゃん、そんなに苦しそうな顔をしないで」


 この記憶はなくなるわけではない。


 シンが気に病む必要はないとシアは告げる。


「元はと言えば私が悪い……」


「それはない!」


 バッと顔を上げたシンは否定する。


「何で?」


「何でって、それはあの魔族が悪いからで……!」


「だったらお兄ちゃんもだよ」


「あっ……」


 幼い心、純粋無垢な少女はサラリと真実をついていく。


「悪いのは魔族っていう人だよ。だから、お兄ちゃんが悪かったなんて、思う必要はない。お兄ちゃんはいつも、私を助けてくれてたんだからさ」


 花が咲くような、天使のような微笑み。


 シアはシンが苦しんでいるのを知り、自分に精一杯できることを考え、分からなかった。分からないから、シンを褒めようと思ったのだ。


 それが一番、シアには嬉しいことだから。


「ありがとう、お兄ちゃん。

 ずっと頑張ってくれて、ありがとう」


 ニパッと太陽のように眩しい笑顔だった。


 その笑顔は今の今まで心に溜め込んだ苦しい思いが綺麗に消えてなくなるかのように、浄化されていった。


「あっ──────」


 そうしたらもう、涙は止まらなかった。


 自分のしてきたことが報われているみたいで、そしてそれは必ず報われる。ここにはそれを可能とする二人の兄妹がいた。


「えっと、じゃあ、頼みます」


 頼りない兄に変わりシアがペコリと頭を下げ、お願いする。


「うん」


「私も風紀委員として力を貸します」


「……素直じゃないですね」


「…………うるさい」


 ユニと小声でやり取りをしたシスカは、バルドルと一緒にシアの前に立った。その間にユニはシンの掌の傷を癒やす。


 バルドルはすぐにまた〈魅了の魔眼〉を開眼するとは思ってもいなかった。


 それでも、彼にはこの眼を助けるために使えることが嬉しくて、鍵を回した。


(まさか、初めて顔を見る相手がシアちゃんになるとはね)


 思ってもいなかったことに、くすりと微笑を浮かべながら、その顔をシアに晒した。


「──!?」


 その美しさはハッキリ言って、異常な領域だった。〈魅了の魔眼〉がなくても、魅了の効果を備えていそうな美貌。


 怪し気な色気を醸し出す桃色の瞳に射抜かれたシアは、ぴくんと痙攣するような反応を見せ、真っ赤に染まった頬でバルドルを見つめる。


 シンの精神状態が壊滅の危機に瀕し、まるで最愛の彼女が取られるかのように手を伸ばし、バルドルの視界内に入れると危険なのでユニが止めた。


 シアのアホ毛がフニャンと垂れ始め、ハートマークを作っているが気にしてはいけない。


 バルドルは充分にシアを魅了した上で、命令する。


「その封印を解放しろ」


 シアの精神に干渉していた誘導は魅了に飲み込まれ、シアは命令に従うように、自身の記憶を封じ続けていた魔法を解除する。


 瞬、間……剣を抜いたシスカがバルドルとシアの視線の間を遮るように振り上げ、魅了の効果を解除した。


 同時に目を閉じたバルドルは、封印の神器を付け直す。


 そうして、魔法を解除したシアは、膨大な情報を思い出し、それを受け取るために目を閉じる。と……少しして、水色の目を開いた。


 その目は呆然とシンの方を向いていた。


 何かを堪らえるみたいに、シアは自分の胸の前でぎゅぅっと手を握り締めた。


 そして、万年の思いを込めた一言を放った。


「ただいま、お兄ちゃん」


 くしゃり、と顔が歪み、再開を喜ぶ涙の雫が次々と零れ落ちてきた。


「シア──! ああ、おかえり……!」


 シンはシアを抱き締めた。


 8年間、ずっと頑張ってきた。


 一人で妹を支え続けた。


 その全ては無駄ではなかった。


 そう報われたシンは、涙を流しながら、強くシアを抱き締めるのだった。


 バルドル達は空気を読んでいなくなり、二人の兄妹は両親がいた頃の思い出話に花を咲かせていた。

 

 

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